見渡す限りの炎の海にいた。
走り回った路地、通り過ぎた家、その全てが炎で赤く染まっていた。
何もかもが燃えていた。
燃えていないものは何もなかった。
救い、助けを求める声、悲鳴。
炎は止まることは知らず、炎上し続ける。
熱が五感を刺激し、とても、とても熱く、息が苦しい。
まるで、地獄の煉獄。
周囲には黒く焼けた死体が転がっている。
彼らは何の罪もないにも関わらず、私のせいで地獄に落としてしまった。
私はただその煉獄の彷徨い歩く。
ボンヤリと、思考が回らないまま歩き、ふと空を見上げる。
夜を照らす炎の中、それはいた。
空にそびえ立つ黒い塔、あふれ出す黒い呪い。
魔術師ではないが直感、いや本能が警告する。
あれは人智の範疇から外れる呪いの象徴。
今はこの世の全てを穢すものになった、かつて求めた■■の成りの果て。
■■■が言ったように■■は呪いに犯され、災いの箱を開いてしまった。
嗚呼、間違っていた。
何もかも、間違っていた。
私が王になることも、この戦争で■■を求めたことその全てが。
私の選択その全てが間違っていた。
私がもし、最初からいなければ■■■■の丘の光景も、この悲劇もなかったのに――――嗚呼、消えてしまいたい。
視界に見知った人間が入る。
思わず振り返り、視界の中央に捉える、■■■■だ。
■■■■が何かを抱えていた。
この戦争で■■■■は自分と3度しか口を開かなかった。
そして、騎士である自分とは違い常に冷酷な暗殺者として振舞ってきた。
だが、今の彼は瞳から光りが失せている。
私と同じく、信念が砕かれた魂のない虚ろな人形。
ただ、ただ、ボンヤリと両腕に死にかけた子どもを抱えている。
近づいて、その子どもを見る。
酷い姿だった、性別もよく分からない状態であったが、息はある。
が、このまま放置すれば死からは免れないのは明白。
今もなお、死につつある者たちと同じ道を辿るであろう。
――――いや、まだだ。
手はある、自己満足に過ぎないが手段があるならやるべきだ。
私は手をその子どもに触れ、最後の魔力。
この世界で現界するに必要な魔力の全てを子どもに注ぎ込んだ。
■■■■が驚く。
何か言っているようだが、かまわない。
既に私は歴史の中の人間。
そして、こうしてこの世界にいるのは分身に過ぎない。
ならば、死者より生者を生かすのが道理であり、必然。
魔力が注がれ、次第に子どもはその傷を癒してゆく。
だが、私の体は徐々に薄くなり、視界は暗くなる。
■■■■の様子を見るに、うまく行っているのは確かなようだ。
「すまない……セイバー」
まさかの感謝の言葉。
この男からそんな言葉を聞くなんて。
嗚呼だが、どうやら、ここまでのようだ。
「……私は許しません。
だが、■■■■。どうか貴方の人生に幸あらんことを」
そう言い、私は永久の眠りに入った。
※ ※ ※
終わった。
何もかも終わった。
これまでの人生の全てが、信念の全てが終わった。
自分に出来ることは自己満足に過ぎない償いを求めることのみ。
心は砕け、ただただ彷徨い歩いてゆき、
まだ息のある生存者を見つけた時、衛宮切嗣は一切の迷いもなく■を埋め込み、回復を試みた。
だが、出来なかった。
理由は分からない、だがこのままではこの生者もやがて屍に変わるのは明白。
何も救えない事実に呆然としていたが、■■■の自身の消滅と引き換えにその命を引き止めることに成功した。
「…まさか、■の影響なのか?」
炎が止み、黒い雨が降り出す中、
衛宮切嗣は呟いた――――幼い金髪の少女を抱きしめて。
※ ※ ※
「おはようございます、先輩」
古い建物が数多く残る深山の町、
「衛宮」という標識がついた武家屋敷に紫髪の少女の声が木霊する。
だが、家主からの反応はなく少女、間桐桜の声に答えることはなかった。
「せんぱーい?」
珍しい、そんな感想を抱きつつ桜は玄関から再度呼びかける。
だが、相変わらず反応はなく実に静かであった。
いつもなら、自分を出迎えている時間にも関わらずにだ。
「もしかして道場?」
首を傾げていた桜が、
家主の習慣、道場での瞑想を思いつくと、
回れ右で玄関から飛び出て、道場に向かって早足で駆ける。
家主の父親、養父が作ったという道場は直ぐにたどり着いた。
桜は引き戸をソロリ、ソロリと開き、戸から顔だ出して中の様子を見る。
「…………」
そこには金髪の美しい少女が座ったまま寝ていた。
少女はまるで少年のような中性的な容姿であるが、
少女特有の柔らかな肉体的特長は少女であることを主張し、そのギャップを引き出させる。
この国の黄色い肌とは違う白い肌に汚れは一切なく、
混じりけのない金髪が朝日を浴びて、まるで黄金のように輝いていた。
今の少女は、眠れる森の美女ならぬ、眠れる道場の姫といったところであろう。
「わ、」
だからだろう。
桜はその美しさに、思わず驚きの言語を発した。
同性であるが、少女の幻想的な美しさに見惚れてしまった。
心臓が加速し、動悸も早くなる。
胸が苦しくなり、桜は己の胸の前で手を握った。
「……?」
だが、桜の声で眠れる美少女は覚醒した。
金髪の少女が眠たげに碧眼を薄っすら開け、ゆっくりと起き上がる。
固い道場の床の上で座ったまま寝たから、体が痛いのか体をほぐす。
眠気が強いのかしばらく視線を彷徨わせていたが、
入り口から覗く桜の存在に気づいた少女が朝の挨拶を述べた。
「おはようございます、桜」
「おはようございます、先輩。
珍しいですね、先輩がこんなところで寝てしまうなんて。
藤村先生が見たら、「女の子がこんな所で寝ちゃ駄目ー!!」って怒りますよ」
「はい、いつもならそのような失態を犯すことはないのですが、どうやら、気が抜けていたようです」
保護者でもある藤村大河の真似をした桜に少女は苦笑する。
「さて、大河が後少しで来るでしょうし、早く朝食の仕度をしないと」
「はい、先輩。今朝は塩鮭を人数分持って来ました、
冷蔵庫に夕べの卵がまだあったはずですからだし巻き卵、
みそ汁はたまねぎに油揚げ、青い物は水菜があるのでトマトとサラダにしましょう」
「…完璧です、桜。白いご飯に塩鮭のコンボ、
シャキシャキ感のある水菜のサラダ、パーフェクトです」
「はい、ありがとうございます!
そう言っていただけると先輩の弟子として嬉しいです」
少女の賞賛に桜は嬉しげに言った。
元々桜は中学まで料理が出来ずにいたが、
少女の手ほどきで、今日この日、師匠が賞賛する水準まで至ったのだから嬉しいのだろう。
桜の家、間桐ではそのような些細な幸福など味わえないからなおさらだ。
だが、そんなありふれた日常の幸福は少女の手に描かれたある物を目にして凍りついた。
「先輩その手…」
「なんでしょうか、桜。む……これは?」
少女が己の右手をかざす。
そこには、蚯蚓腫れのように傷がついており、何かの模様みたいになっていた。
「ちょっと待っていてください先輩!今直ぐに包帯とか持ってきますから!」
「あ、いえ、このくらい別に…」
少女が制止するより先に桜が道場に上がると、
バタバタと足を立てて、道場に備え付けてある救急箱を手にして少女の元に来る。
そして、救急箱を開けると少女の右手を掴み、消毒液をつけて、すばやく包帯を巻いていった。
「桜、このくらい別に大げさな…」
少女が戸惑うように呟く。
剣道を嗜んでいる少女からすれば多少の生傷は慣れていた。
「先輩、絶対にその包帯を外してはいけません。
それと、最近物騒と聞きますから夜は出来るだけ出ないでください」
「桜…?」
だが、桜の態度は真剣そのものであった。
普段引っ込み思案な桜が強い口調で言う様子に少女は不思議に感じるが、
正論であったため少女は深く追求せず、その言葉に同意を示した。
「ええ、分かりました。今後は気をつけます桜」
「はい、お願いします」
少女が同意したため、
桜がいつもの笑顔で少女に答えた。
「――――でないと、巻き込まれますから」
「え?」
無意識であろう。
桜から漏れた言葉に少女は思わず問い返す。
この怪我が何か重要な出来事と繋がっているのを隠している。
そう、少女は直感でし、問いただそうと口を開くが――――。
「おはよー!アルトリアちゃーん!桜ちゃーん!ご飯作ってー!」
虎のような咆哮と共に玄関から女性の声が響く。
先程2人で話していた藤村大河、その人物がやってきたのだ。
「さて、先輩行きましょう」
「え、ええ、そうですね。桜」
疑問はある。
だが、先に虎の胃袋を満たすのが先。
そう考え、少女――――衛宮アルトリアが立ち上がり道場を後にした。