「非道、行ずべからず」 松井今朝子著 集英社文庫 (08/05/15読了)
江戸の芝居小屋・中村座で衣装箱に入った初老の男の他殺体が発見されるところから物語はスタート。同心見習いの理市郎が端役のおやまや、桟敷番の兄ちゃんを使って下手人を探っているうちに、第2、第3の殺人事件が…。火サスなら「父と兄弟、火花散らせる女形の意地=中村座、連続殺人事=」ってところでしょうか。
松井今朝子作品に対する期待度が異常に高くなっている分、あまりテンションが上がらないまま読み終えてしまいました。最後の方は何度も何度も「犯人が誰なのかもうちょっとでわかりますよ~」と期待させつつ、「でも、もう、しばしお待ち下さいませね」と肩透かしを食らう感じ。同じような表現が何度も何度も出てきてくどいと思うところも何カ所かありました。539ページの大作ですが、ストーリーの枠組みはそのままで、思い切って、450ページぐらいに圧縮した方が作品としてスッキリしたのではないかという気がします。
推理小説としてのトリックというか…理市郎の上司である同心・笹岡の捜査に対するスタンスもいかがなものか-と突っ込みを入れたくなったりして。でも、笹岡の言葉を借りた演劇論なんかは、とっても、興味深かったし、歌舞伎の専門家である松井さんだからこその、裏方さんの様子や舞台の仕掛けなども詳細に書き込まれていて、そういう部分は引き込まれました。でも、松井さんの時代推理モノでは、ノホホン系の拍さんシリーズの方が圧倒的に私好みです。そして、めくるめく同性愛ワールドにはちょっと「へぇ~」と思いました。考えてみれば、プラトンなどのギリシア哲学者の間でも“少年愛”とか言って、カワイイ男の子を恋人にするのが流行っていたみたいだし、バイセクシャルが禁忌とされるようになったのは、意外と最近のことなんでしょうか。
そういえば、近藤史恵の「二人道成寺」などの小菊シリーズも、歌舞伎を舞台に事件が起こり、端役の女形(しかも、あんまり美形ではないっぽい)が解決に一役買うというのは、小説として同じ作りでした。時代は違いますが…。それと比べると、やっぱり、松井今朝子さんに軍配です。
江戸の芝居小屋・中村座で衣装箱に入った初老の男の他殺体が発見されるところから物語はスタート。同心見習いの理市郎が端役のおやまや、桟敷番の兄ちゃんを使って下手人を探っているうちに、第2、第3の殺人事件が…。火サスなら「父と兄弟、火花散らせる女形の意地=中村座、連続殺人事=」ってところでしょうか。
松井今朝子作品に対する期待度が異常に高くなっている分、あまりテンションが上がらないまま読み終えてしまいました。最後の方は何度も何度も「犯人が誰なのかもうちょっとでわかりますよ~」と期待させつつ、「でも、もう、しばしお待ち下さいませね」と肩透かしを食らう感じ。同じような表現が何度も何度も出てきてくどいと思うところも何カ所かありました。539ページの大作ですが、ストーリーの枠組みはそのままで、思い切って、450ページぐらいに圧縮した方が作品としてスッキリしたのではないかという気がします。
推理小説としてのトリックというか…理市郎の上司である同心・笹岡の捜査に対するスタンスもいかがなものか-と突っ込みを入れたくなったりして。でも、笹岡の言葉を借りた演劇論なんかは、とっても、興味深かったし、歌舞伎の専門家である松井さんだからこその、裏方さんの様子や舞台の仕掛けなども詳細に書き込まれていて、そういう部分は引き込まれました。でも、松井さんの時代推理モノでは、ノホホン系の拍さんシリーズの方が圧倒的に私好みです。そして、めくるめく同性愛ワールドにはちょっと「へぇ~」と思いました。考えてみれば、プラトンなどのギリシア哲学者の間でも“少年愛”とか言って、カワイイ男の子を恋人にするのが流行っていたみたいだし、バイセクシャルが禁忌とされるようになったのは、意外と最近のことなんでしょうか。
そういえば、近藤史恵の「二人道成寺」などの小菊シリーズも、歌舞伎を舞台に事件が起こり、端役の女形(しかも、あんまり美形ではないっぽい)が解決に一役買うというのは、小説として同じ作りでした。時代は違いますが…。それと比べると、やっぱり、松井今朝子さんに軍配です。