風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

小牛田山神社

2016-02-27 11:12:45 | 岩手・東北




今回は宮城県の話。



宮城県北部、大崎平野の平坦な土地に位置する美里町は、2006年に遠田郡小牛田町と南郷町とが合併してできた町です。


旧小牛田町は、東北本線をはじめとする数本の鉄道が交差する、鉄道の町として栄えました。その小牛田駅から2キロほど北へ下ったところに、山神社(やまのかみしゃ)が鎮座されております。


ついこの前、この神社の前を初めて通りかかったのですが、とても立派な社殿に、正直驚きました。

かなり広い地域からの信仰があったようで、講なども発達していたようです。そのときは時間がなくて立ち寄れず、外からちらっと見ただけなのですが、その社殿の規模は、仙台市総鎮守である大崎八幡神社にも匹敵するほどではないか、と見ました。要するに、かなり立派ということです。


参拝したかったなあ。無理してでも参拝すればよかったかなあ。後悔先に立たず、ですねえ……(笑)




こちらの神社の御祭神はコノハナサクヤヒメ。安産の神様ということですが、先述したように山の神には6種類ほどの性格があるとされており、小牛田の地は大崎平野のほぼ真ん中、平坦な地にあって、古くから穀倉地帯として拓かれた土地であろうと思われます。

ですから元々は、水の神であり田の神である、農業神としての性格が強かったのではないでしょうか。


この大崎平野を流れるいくつもの河川のうち、特に大きな河川は鳴瀬川と江合川のようです。このうち鳴瀬川の水源は、山形県と宮城県との県境に聳える霊峰船形山。

この船形山に連なる舟形連峰は古くから修験道の聖地だったとか。


ところで、この山神社の起源は、伝承によると元摂津国住人であった小山田清寧(現宮司家先祖)なる人物が、家の守り神として勧請したのが始まりで、さらにその子孫の浄円なる人物が、ご神体を奉じて社殿を建てて祀ったのだとか。


この小山田なる人物、どうも僧侶風の名前ですね、おそらくは山伏だったのではないでしょうか。


舟形連峰で修行を積んだ山伏ででもあったか、その辺は分かりませんが、おそらくは山伏によって、元々あった土地神、氏神信仰に手を加えられていき、それが現在の山神社となった。


なんてことを、勝手に考えてみました。


まっ、ど素人の安直な妄想ですから。








さて、船形山ですが、その別名を「御所山」とも言うそうです。


鎌倉時代、幕府転覆を図った「承久の乱」が勃発します。


乱の首謀者、後鳥羽上皇の皇子、順徳天皇は後鳥羽院に従って挙兵し、乱収束後に佐渡島に配流され、かの地で薨じられたとされています。


しかし実は、密かに佐渡島を脱出し、舟形連峰の西麓、尾花沢の地に隠れ住んだとする伝承があるのです。

御所山の名は、その順徳天皇がお住まいになられた御所に由来するのだとか。





悲運の天皇に対する同情から発した伝説なのか、それとも事実だったのか。それは分かりません。


ただ、そうした「追われた貴種たち」の逃亡の地としてのイメージが、東北にはあったのかも知れません。

そう思わせる伝承が、実は他の「山神社」に伝わっているのです。



その話は次回また。


つづく、で


ありやす(・θ・)







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