風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

蒼茫の大地、滅ぶ ~幻想の東北独立~

2016-07-15 13:07:43 | 岩手・東北









作家、西村寿行氏といえば、動物を主体とした小説や、パニック小説、バイオレンス・アクション、時代小説、伝奇小説等々、幅広い作風で人気を博し、80年代には、長者番付作家部門のトップに立っておりました。


『犬笛』『黄金の犬』『君よ憤怒の河を渡れ』『化石の荒野』などの作品は映画化もされ、記憶にある方もおられるでしょう。



その西村氏が東北を舞台として描いた小説が、こちら『蒼茫の大地、滅ぶ』です。

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アジアの大陸から大量の飛蝗の群れが東北に飛来し、東北の穀倉地帯は悉く蝗の群れに食べつくされてしまう。東北各所でパニックや暴動が起こり、日本政府は関東以南を守るため、東北に対しては消極的な対策しか取らない。
青森県知事・野上は、もはや日本政府に期待はできぬと東北各県の知事と連合し、東北から日本を独立させ「奥州国」樹立を宣言します。

盛岡に首都を構え、野上は遥かなる古代より、「中央」がいかに東北の人を、資源を利用し搾取し、また都合が悪くなれば攻め、あるいは見捨て、差別してきたかを等々と論じ、東北独立の正当性を力説します。

日本政府がこれを認めるわけがなく、奥州国樹立阻止の動きに出ます。野上暗殺の刺客を差し向けるなど、水面下での工作を進めながらも、遂には自衛隊が派遣され、盛岡は空自による爆撃を受け壊滅。蝗によって齎された災害は、ついに日本を二分する内乱へと発展していくのです……。


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西村寿行氏は「怨念の作家」とも称されていたようで、人の心の奥に棲む「魔」的なものを表に引きずり出し、「人間の本性は所詮、悪だ」とする西村氏独特の視点を、小説を通して展開させているかのように、私には思えます。



そんな西村氏から見れば、東北の歩んできた歴史には、東北の人々の「怨念」が詰まっているように見えたことでしょう。それは「一面の真理」ではありますが……。


物語の結末は悲劇的なものです。奥州国首相となった野上は、刺客の手によって暗殺され、東北は自衛隊によって制圧されていく。東北の「悲願」はまたもや中央によって制せられて終わる。


東北の悲劇は、まだまだ続く……。





ストーリーとしては飛躍もあるし、歴史的解釈もかなり偏っていると言えます。それに東日本大震災や阪神淡路大震災をみればわかるように、東北人は、日本人は未曽有の災害にあっても、暴動を起こすようなことはなかった。そういう部分では、西村氏は「日本人」というものを見誤っていた、といえるでしょう。




そもそも東北は、本気で日本から独立しようなどという行動を起こしたことはなく、おそらくは考えたこともなかったでしょう。日本書紀にある「日高見国」を独立国家とするのは早計に過ぎ、あの場合の「国」とは「地域」といった意味合いで使われていたとみる方が妥当でしょう。




奥州藤原氏百年の都・平泉にしても、奥州藤原氏の権威はあくまで朝廷から与えられた官位官職あってのことです。朝廷より奥州の政治を差配する権利を保障されていたからこその、藤原氏の権威なのであって、朝廷なくんば奥州藤原氏もまたなかった。



東北は、独立国家であったことも、独立しようとしたことも、

一度もなかった。




そもそもこの小説には、天皇と日本国民との関係性に対する言及が一切欠落しています。日本国であること、日本人であることとというのは、その頂点に天皇陛下を頂いているからこその「日本」であり「日本人」であるわけです。



日本から独立する、日本人であることを辞めるということは、

天皇を、皇室を「捨てる」ということです。


そんなことを、すべての東北人が、いかに悲しい歴史の積み重ねがあったとはいえ、

すべての東北人が、簡単に受け入れるとでも思っていたのだろうか。


戊辰戦争にしても、あれはいかにすれば皇室をお守りできるかという考え方の相違から、悲劇的な戦争へと発展して行ったのであって、東北諸藩の皇室への敬慕の念は揺るぎないものであったのであり、決して東北諸藩が薩長を打ち破って天下を取ろうなどという戦争ではなかった。

皇室という大前提があってこその、主張の違いだったのです。

皇室を、天皇を抜きにして、日本や東北を語ることなど、ましてや「独立」を語ることなど

本来、あり得ないのです。


野上という青森県知事にはカリスマ的な信頼が寄せられており、東北各県の知事は、野上の主張をすんなり受け入れたように描かれているようですが、この点ですでに無理がありますね。県知事であればこそ、野上のような極端な主張に対しては慎重になるのが、知事の立場として当然のはず。



東北人全般は、そこまで日本を「恨んで」などいない。




小説としては面白った。学生の頃は一時期、私の愛読書でもありましたからね(笑)

しかし現実味はまるでないと言わざるを得ません。


そもそも独立などしたところで、お互い幸せになれるとは到底思えない。

新たな悲劇を生むだけだ。


東北独立など夢のまた夢、いや



悪夢です。






近年、気分としての「東北独立」という雰囲気が、仙台あたりを中心として、東北全体に「なんとなく」広がってきているような「気が」します。

特に、東日本大震災以降、その傾向が「なんとなく」強くなっているかもしれない。


あくまで気分であって、本気で独立しようなどとは思っていない。ただ東北の、特に知識層の間で、このような「気分」が「なんとなく」広がっている。

私にはそのように思える。


気分といえど、由々しき問題といえるでしょう。


これがまたまた、東北の「悲劇」というかたちで、現れなきゃいいけどね。


私の杞憂であればいいけど。



「東北」は「日本」であり、「東北人」は「日本人」です。当たり前のことですが。













岩手県の寒村が日本からの独立を宣言するという、井上ひさし氏の小説『吉里吉里人』は、実は相当な毒が込められているようですが、基本的にはコメディに終始しています。


コメディにしたことが、井上氏の精一杯の「良識」だったのかもしれない。なんてことを思う、今日この頃。



「笑い話」で、終わればいいけどね……。






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7 コメント

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Unknown (玲玲)
2016-07-16 10:57:56
そういえば、天皇がおわすこと、を日本人全体で知ったことはいつからなのでしょうかね?

お雛様の普及で江戸時代後期に庶民に勤王心が芽生えたって描写をどこかで見てから、庶民に天皇の存在があまり知られず大和朝廷は東征して行ったのか、それがあまりよく分からないです。

東北の庶民は、阿弖流為のような統治する方々に想いを託して、懸命に生きていただけで、庶民には天子様って存在が伝わっていたのか?とふと疑問に思いました。
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Unknown (薫風亭奥大道)
2016-07-16 11:53:14
玲さん、当時蝦夷の族長クラスには「蝦夷爵」という一種の「官位」が与えられていたようです。蝦夷専用の爵位で、中央から派遣されてくる役人に比べたら低いものでした。
どれほど優遇策がとられていたのか、よくわかりませんが、一応そうやって爵位を与えることで、その権利を保障した。そうやって朝廷の権威を奥州にも及ぼしていたんですね。
まあですから、庶民も朝廷の存在をまったく知らないということはなかったんじゃないかな。ただどの程度まで理解していたのかはわかりませんが。
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Unknown (たま♪)
2016-07-16 12:51:59
国が一つにまとまる時に犠牲はつきものかもしれないけれど、犠牲になった方々を当たり前と思わず、心の中だけでも謝罪の意を表して欲しかった、そんな気持ちが東北の方々には残っているのかもしれないですね。
話は飛びますが、私は「日本」に拘りすぎている人達って、逆に「日本じゃないこと」を見下して嘲ってる心があるから、そうなってしまうんじゃないか?と思うことがあります。
日本じゃなくたって、自然崇拝の国や風習はたくさんあるわけだし。日本じゃなくたって、良いものは良い。
法律上日本国の規定に入っている日本であるだけで充分な恩恵があるとも思うし、日本人であるということは、日本ではない国の自然崇拝の国の方々よりも、さらに責任・使命が大きい、心して生きるべしという制約があるということだと思うのでした。

この世に生をいただいたからには、誰もがご先祖様の無念の思いを慰めたいものですよね。

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Unknown (薫風亭奥大道)
2016-07-16 13:23:43
たま♪さん、ご先祖様の無念を思いつつ、それに引っ張られることなく今を生きていかないとね。私は引っ張られやすいみたいだから(笑)
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Unknown (たま♪)
2016-07-16 15:05:52
このコラムおもしろかったです☆

http://blog.jog-net.jp/201405/article_7.html
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Unknown (薫風亭奥大道)
2016-07-16 16:10:31
なるほど、こういう視点も有りですね。
ただ私は、搾取も差別も「まったく」なかったとは思わない。私はそこまで、人間というのを信じていないので(笑)蝦夷側が「不当に扱われている」と感じる事どもが続いたからこその反乱でしょう。
そうしたくやしさだとか、敗北とかを乗り越えてきた歴史が東北にはある。東北人の粘り強さというのは、そうした歴史からきているものでもあると思う。
歴史のどこを切り取るか、ですね。怒りとか、憤りとか、そこからくる先人たちへの敬慕の念とか、そういう部分だけを切り取って解釈すると、心理的に高揚しやすいんですよね。己のアイデンティティにある種の誇りが持てる。
でもそれは、ある意味「反国家的」な方向に向きやすく、危険なものでもあります。
かつての私もそうでしたから。
東北人には潜在的に「そっち」を向きやすい危険性がある……というのは、単なる私の杞憂、かな。
ならいいけど。
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Unknown (たま♪)
2016-07-16 18:53:44
私には、過去の中央と東北は、先輩後輩の関係に似てるな、と思う事があります。
中央が上であれば何も問題ないのですが、後輩の出来が良すぎて先輩後輩関係がギクシャクしてたみたいな。
後輩が思ったよりも飲み込みが早すぎて、成長するのが早すぎて、立派すぎて、つい上から理不尽な要求をしてしまう、、、というのは現在の運動部の部活なんかでもよくありますよね。(男子学生では)

日本トップと言われていた会津藩校日新館は神学も含み、いろいろな分野で優秀だったそうですが、子供の頃の掟も立派です。
一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言をいふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

若干時代遅れな内容もありますが、道徳の基本でもあると思いますし、人間性の教育も高い学校だったのだろうと思います。

東北人の粘り強さは、自分に一点の曇りもないという自信からきているのではないか?と私は思っています。

自分よりも立場が上の人から理不尽な扱いをされた際、自分よりも立場が上が故に「もしかしたら自分にも悪い面があるのでは?」と思ってしまう限り、恨みが続きます。恨みたくない、不本意だと思っていても。
立場を利用して理不尽を行ったのだから、できたら謝って欲しい、対等だと示してほしいという思いが続いてしまいます。
ですが、1mmの曇りもない、一点も自分には汚れがない、と自分を強く信じられたら、恨むほどの相手ではない、と思えます。
なので、信頼して尊敬していた相手ほど、理不尽なことをされた際は恨みが時間かけて引きずってしまう面があると。
国をまとめた人は立派だけれど、それを上回るほど東北の人達の心には何の曇りもなかったから、点ほどの汚れさえないから、粘り強く生きてこられたのだと私は思います。

天皇ほどの上からの立場が故の方からの理不尽を乗り越えるには、それ以上の曇りのない心が必要だった。
だから、東北の試練は、通常よりも大きくて、はたが安易に「早く乗り越えろよ」と言えるようなものではなかった、と思うし。当事者ではない人間が「それが東北の試練じゃ、がんばれや」なんて簡単に言えるものではないとも思います。はたが口出しできることではない。と、個人的に思います。
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