原田伊織という方をご存知でしょうか?先述した「明治維新は民族の誤り」という説を唱えている方です。学者ではないのですが、明治維新など、日本の歴史に関する著作をいくつか発表されておられます。
この方の著作を読んでおりますと、私の中に長年燻っていた、明治維新に対する、疑念ともいえない、なにか「しこり」のようなものが一挙に崩れていくのを感じるんです。
そうか、そういうことだったのか‼目から鱗が落ちまくり、私の心を覆っていた檻のようなものが崩れていく爽快感。
武田鉄矢さんは、勉強とは「己を壊すこと」だと明言しておられますが、原田氏の著作を読んでおりますと、本当にそれを実感します。
ただ私は原田氏の説に100%は与するものではありません。あの明治維新にも意義はあった。私はそう思う。
さて、幕末において勤王の志士などと呼ばれた者達が盛んに口にしていた「攘夷」や「復古」あるいは「尊王」といったものが、いかに「口先だけ」のものであったかは、彼らの実際の行動を見ればわかることです。
攘夷を叫びながら、実際にはイギリスと手を結び資金や武器の提供を受けていたわけだし、「復古」を叫びながら、明治の世になってから実際に彼らが行ったことは、臆面なく西洋文化を模倣することでした。
「尊王」に関しては本当に酷い。天皇のことを平気で「玉」と呼び、桂小五郎などは「玉を転がす」という表現で、天皇の政治利用を平然と口にしていました。
天皇の意志を無視して、偽勅を乱発し、公武合体主義者で、幕府への政権移譲を是としていた孝明天皇の御意思をまったく考慮することなく、天皇の大和行幸を画策したいわゆる「尊王激派」と呼ばれる者たち。孝明天皇はこの者達、具体的に云えば長州藩とそれを支持する公家どもを心の底から嫌っていました。
そんな孝明天皇にとって、真から純なる思いで勤王に務める会津藩がいかに頼もしく思えたか。
孝明天皇が会津藩に絶大な信頼を寄せたわけが、わかるというものです。
そんな、尊攘激派にとって最大の目の上のタンコブであった孝明天皇が、突然崩御されてしまわれます。
そうして、明治天皇が即位されるわけですが、私はこの明治天皇を即位させたこと、「南朝」の正当なる皇統を引く明治天皇をご即位こそが、明治維新最大の功績なのではないかと思っています。
なにがなんでも明治天皇を即位させる、尊攘派のなり振り構わぬ行動には、あるいはそんな動機が隠されていたのではないか、最近私は、明治維新というものをそんな風に捉えています。
南朝の皇統?北朝でしょ?真面目な歴史研究家の方はそう思われるかもしれません。これはいわゆる「トンデモ」の範疇に属することですので、私の云わんとしていることは、分かる方には分かるでしょう。
これ以上は差し控えさせていただきます。
維新が成ったあと、「維新の英傑」と言われた方々がどのような生活を送っていたか。
彼らは元々下級武士の出です。人の上に立つ者のあるべき姿、心構えなど教わったことはなかったでしょう。
そんな者たちが、持ち慣れない強大な権力を手中にしたらどうなるか。
大概のものは権力に溺れ、権力をひたすら行使することに無類の快感を覚えるようになる。
彼らもまた同じでした。絵に描いたように権力の持つ陥穽に落ち込み、女色に溺れ、公金を自分の財布のように使い込み遊興に耽る。
行き着く先は汚職に疑獄。山縣有朋や井上馨などがそうした事件の主役となって窮地に立たされると、彼らの親分たる木戸孝允、つまりは桂小五郎がもみ消しに東奔西走することになる。
ただ一人、西郷隆盛だけはその陥穽に落ち込むことはなかったようですが。
桂は、山縣や井上が起こした事件の内容を吟味することは一切なく、ただひたすらもみ消すことだけに尽力します。子分の危機を救うのは親分の役目とばかりに、まるでヤクザのような感覚しか持ち合わせていなかったわけです。
盛岡藩の家老の家に生まれた原敬が、藩閥政治を打ち破り、日本初の政党内閣樹立に尽力したのも、そんな「英傑」たちの情けない姿を見ていたからでしょう。原が生涯爵位をたまわらなかったのは、あんな連中と同じには見られたくないという盛岡藩士としての、賊徒の烙印を押された者としての、強烈な反骨の炎が胸に渦巻いていたからでしょう。
維新の英傑などとと云われますが、その実態はどうしようもないぐらいに普通の、欲望塗れのごく普通の人間だった。
しかしそんな彼らでも、この国、日本を思う気持ちだけは、純なるものがあったと思いたい。
明治天皇を、この不世出の御方を、霊的巨人を、天皇として即位させた、その一点だけでも
いや、その一点のみが、明治維新における明らかにして唯一最大の功績であると規定して良いのではあるまいか。
なんてことを思う、今日この頃。
明治天皇の御即位こそが、明治維新の最大の功績。それだけでも良かったとしてしまうには酷すぎる彼らの蛮行ですが、彼らにも日本のことを思う純粋な気持ちがあったと思いたい…。
明治維新にも一点でもしかも最大に良い点があったと知り、私も少しは安心しました…。
でも、私も立派な真の尊皇の会津藩を尊敬致します。
創業578年、大阪にあるその会社の名は『金剛組』社寺建築専門の会社です。
聖徳太子に招かれて百済から3人の工匠が来日、四天王寺の建築にかかわりました。
完成後、四天王寺を守る使命を賜り現在に至る宮大工の集団ー『株式会社金剛組』です。
1400年の歴史を持つこの会社が存亡の危機に2度直面します。
一つが明治維新の副作用ー廃仏毀釈。
もう一つは2005年の経営危機だそうです。
よその子を羨み、自分の子をないがしろにして失ってしまわないように、愚かな親になりたくないものです。
明治維新…知らなかった裏話、もっと教えてください。
明治維新を綺麗ごとにしたがる人たちは未だにいます。でもそれは明らかな間違いです。検証することは大事。ホントに日本のこと、日本人のことを思うなら、綺麗ごとで終わらせてはいけないんですよ。
神仏を分離したのは正しかった。しかしだからといって、それだけで終わらせていいのだろうか?どなたの意志で行われたものであるにせよ、人間というもの、日本人というものを考える上で、検証は必要です。