7世紀後半になると、日本の対外関係は緊張を増していきます。
白村江の戦いに敗れ、朝鮮半島の権益を失い、朝廷はその財政基盤を国内に求めざるを得なくなってくる。
そこで目をつけられたのが、奥州だった。
それ以前にも奥州には、朝廷との結びつきはある程度できていたものと思われ、まったくの絶縁状態だったわけではないようです。奥州には律令制度が定着しておらず、奥州の民は必ずしも稲作農耕に縛られることのない、比較的自由な生活を謳歌していたことでしょう。
産鉄、産金、馬産といった産業で中央とも繋がっており、比較的豊かだったのではないでしょうか。
鉄や馬は国策上も非常に重要な資源です。ですから中央の産鉄民などの非農耕民は、日常生活が厳しく制限され、ある種の差別さえ受けていた、ともいわれています。
稲作に偏重した価値観と、仏教流入による殺生罪業観が広がっていくにつれて、産鉄民その他、非農耕民は徐々に社会の片隅へと追いやられて行きました。
その点、奥州は比較的自由だった。
特に北東北は元々稲作には不向きな土地でしたから、なかなか稲作農耕は定着しなかった。それもあって非農耕民は伸び伸びと行動することができた。
それに憧れて、産鉄民、馬産民などの多くの農耕民が奥州へ移ってきたことでしょう。
人が増えれば当然、そうした人々を纏める「リーダー」格が必要になってきます。
それにふさわしいのはやはり、古代より奥州、東北に入り、鉄や馬の生産を束ねていたであろう
物部系氏族だった。
こちらによくコメントを寄せてくださる、「おトキさん」ことトキトキさんのブログ記事によりますと、アベ氏の祖であるオオヒコノミコトは物部系の血を引くそうな。
ほほ~う、と思いましたね(笑)
アベ(阿倍、安倍、阿部、安部)氏はつまりは物部系なわけです。それも皇族の血筋であるということから、特にリーダーとして選ばれたのかもしれない。それが前九年合戦の安倍一族へと繋がり、さらにその血筋は奥州藤原氏へと繋がっていく。
なんだか、面白いなあと、思いましたね。
ではアテルイはどうなんだろう?アベではないけど。
そうですね、伝承にみる限り、アテルイはアベではないですね。
漢字で書けば「阿弖流為」ですが、「阿」はついてるけど、アベではない。
確かに、アベではないけれど、
でも
「ア、テルイ」
なんですよねえ……。
〈つづく〉で
ありやす。(・Θ・)
参考文献
千城央 著
『エミシとヤマト ~鉄と馬と黄金の争奪~』
河北新報出版センター
今回の一連の記事はおトキさんのブログ記事、アベ氏の祖は物部系だという記事に触発されて書いております。詳しく知りたい方は、おトキさん、正式にはトキトキさんのブログを訪ねてね。
おトキさん、いつもありがと。