懲りずに奈良の蛍石を探して山添村へ。
硫砒鉄鉱等を掘ってたらしく、一縷の望みってか、可能性シラミツブシってか。
教わった情報も加味して、しゃしゃしゃーと走り現地に着いてお年寄りに話を伺うと、
「硫黄掘ってたらしいぞ? 鉱山の名前は知らん。 田んぼ拡張して もう穴も残って無いぞ。」
礼を言い、軽四ギリギリの道をグネグネ進むと教わった場所に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/1e/762d5072f2a68e01cadc57c9f574d313.jpg)
鉱山跡の気配が薄い。
その下の田んぼで作業されてた方に聞くと、
「あの辺りが鉱山やったと聞いたが、操業は戦前の話で見た事ないわ。 でも確かに真下の1枚目の田んぼは稲が育たん。今年も稲植えんかったな。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/51/0fd9c537d22ca489755fe0f60c0a39a7.jpg)
指差された辺りだけ谷を切り開いてあり、手入れされて無い杉の若木がぎゅうぎゅうに植わってた。
その直上にはお稲荷さんがあり、4月には20戸程で奉るそうな。
確かに石垣が組んであり、上がっていくがズリも見当たらない。モノがモノだけにキチンと埋めたんか。
周辺は花崗岩で所々マサ化してる。 石英脈でもないかと歩く。
小さな穴は有ったが、石は無い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ec/a894dc9a21741633339f99dea3327bb0.jpg)
「西の田んぼも3枚ほど稲が育たん。 で、荒れたままやぞ。」
見に行くがズリ石は見当たらず。
今のこの村にとって、鉱山は負の遺産なんかもやな。。。 と掘らずに帰った。