「親子で歌い継ぐ日本の歌百選Concert」が2日、つつじケ丘児童館ホールであり、声を限りに歌ってきた。主催は今日の日はさようなら歌碑建立委員会、筆者はこの会の記事が新聞に出てすぐに寄付をしたので招待状が届いたのだ。「今日の日はさようなら」は約半世紀前の1966年、調布で生まれた歌、子供会活動をしていたボランティア・グループの若者たちが、作詞・作曲した金子詔一さんのギター伴奏で集いの最後に歌った歌だとパンフレットにある。この曲に思い出のある人、この歌が好きな人、良い歌を親子で歌いたい人たちで会場は満員だった。周知の歌が多いこの100選(実際には101曲)は皆素敵な歌だ。第1回目の今回は調布市の市長さん等のご挨拶、尺八グループの演奏や手話ダンスグループのパーフォーマンス等で参加者が一緒に歌う時間が少なかったのが少し不満だったが、「雨降りお月さん」、「牧場の朝」、「夏は来ぬ」、「月の砂漠」等の懐かしい唱歌、抒情歌、百恵ちゃんの「いい日旅立ち」、九ちゃんの素敵な歌、「幸せなら手を叩こう」や「見上げてごらん空の星を」等、そして勿論、調布で生まれた「思い出のアルバム」や「今日の日はさようなら」は何度も歌う機会があった。プログラムに「歌の思い出を語る」時間があり、筆者もかつてこの歌を歌った日々について超短いスピーチをさせて頂いた。筆者は70年代、「日本婦人会議」という団体で婦人解放運動を中心に、発言力の弱いグループ―子ども、シニア、婦人、労働者―のための活動に燃えており、この会合がある度、最後にいつも合唱した歌だった。懐かしさひとしおゆえ、歌碑建立委員会の記事が出た途端に寄付をしたわけだが、今では小川地球村塾の会合の最後に歌っている。プロジェクターで森山良子さんの歌を流しながら。「思い出のアルバム」も久方ぶりに歌ったのだが、ほんとに良い歌だ。歌いながら若き日の活動仲間の顔が浮かんだ「思い出のアルバム」や、「今日の日はさようならまた会う日まで」の仲間の声のトーンまで蘇り、心も目も潤んだ2時間半だった。(彩の渦輪) 写真4.筆者のショート・スピーチ
2.4.徳富蘇峰館の前にて 数年前から熱望していてやっと実現した山中湖村訪問。31年来の友人、レイコさんとジョージさんご夫妻の風流なお宅のお庭には四季の花が咲き乱れ、はや桔梗やコスモスなど秋の花が。赤い数珠のように熟れたトマトが花に負けじと彩を競い、人懐こいモモコ(ワンちゃん)が甘えるお庭に座り心地の良い椅子が並べられ、囲んだテーブルにはレイ子さん手作りの山海の珍味が。と言っても客は我々夫婦のみ。4人でなんと9:30am-5:00pmまで富士山の霊気を感じつつおしゃべりした。徳富蘇峰館、三島由紀夫文学館やNPO経営の情報創造館(立派な図書館や研修館)に案内もして頂いた。図書館で、筆者夫婦の著書が「ここにあるのよ」とレイコさんに検索を楽しませていただいた。徳富蘇峰は秀麗な富士山を望む山中湖をことのほか気に入り、湖畔の双宜荘で「近世日本国民史」100巻を完結した。彼の新聞社「民友社」の焼打ちに2度もあい、長男も失った後、毎日富岳を仰ぎ、その倒景の反射する山中湖面を眺めることによって元気な自己を取り戻していったという。94歳の時の彼の言葉、「衰朽猶存鉄石心」(老い朽ちかけてもなお鉄石の心があるぞよ!)にはいたく共鳴した。この山中湖文学の森訪問を勧めてくれたご夫妻に感謝したが、4人でのガーデン・チャッティングの後、「あれやんなきゃ」ストレスは霧消していた。夏とは思えぬ涼風のお庭には怖い蚊は1匹もいず、東京の喧騒もデング熱も嘘のよう。ありとあらゆる話題―建物の色調論、ご夫妻が参加しているNPO活動、エコロジー問題、徳富蘇峰の人生―これはわけありで後述―ガーデニング・ノウハウ、バックパックの旅あれこれ、ストレス解消法から深層心理学まで話題は尽きなかった。(彩の渦輪)