あけぼの

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スカーレットに染まるシンシナティの10月中旬

2009-10-25 03:21:44 | まち歩き

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アメリカの楓の多くはカナディアン・メープルだ。その紅葉の色合いはゴールデンが主だが濃いスカーレットが混ざりゴールデンを一層あざやかに燃え立たせる。我が住まいの窓越しから見るメープルの林は遠景から日に日に押し寄せ、迫って来た。緋色、つまり赤みを帯びた黄金色が我が家を囲んで東西南北にあり、秋の最中の今は目の前で輝いている。自分の脳裏に反映する眼前の幽玄の自然美が心中で燃え上がる。贅沢の一語に尽きる。人間の描いた絵画などお呼びもつかない神秘の世界である。私は今降りしきる黄金紅葉の中に住んでいるのだ。わが生涯最高の時なのかも知れぬ。この素晴らしい環境が利便性は抜群で立地的にも車で30分で国際空港に行ける所にあるのだ。この時期、年令の近い南田洋子さん(76歳)が他界された。あの世も我が眼前の風景のごとく美しいことを彼女のために祈っている。(自悠人)

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珍遇・奇遇

2009-09-30 02:25:08 | まち歩き

「事実は小説より奇なり」と言われるが誰しもまさかの現実を経験することがある。人はどこかで繋がっていると思わざるをえない。人生行路の極く一部を共有することから交友範囲が拡がり、生きる楽しみも増えるというものだ。覚えてる範囲の奇妙な出会いを紹介しよう。

珍遇では新宿の繁華街でばったり甥に出会ったことだ。我々は国立から、甥は鳥取県の郷里から出てきたばかりで信濃町で研修期間を過ごしていた。彼が東京に出ていることは知らなかったが、ワイフが見つけて「シンチャン」と声をかけた。違う名前を持つ彼が振り返った。お互いの驚きようは隠しようもなかった。「振チャン」は彼の兄貴の名前だったのだ。だが兄弟のテレパシーが通じたのか。

 

 海外の旅で日本人らしき人に会えば私はよく話しかける。南米パラグアイでもまさかの人に出会った。話かけていて偶然国立市のわが家から歩いて10分のところに住居のある人だった。彼は20年来途上国の土木建設に携わった人だが、

ご近所でも多分一生会うことのなかっただろう人に地球の裏側で会ったのは奇遇以外の何ものでもなかった。

 国際線ダラス行きの機中、飛び立って5時間ぐらいしてフライト・アテンダントが隣の空いた席に客を連れて来てよいかと尋ね、了解したら日本人らしき女性が席を求めて来た。聞いて驚いたことには、彼女はシンシナティの我が家のご近所、イーナおばさんの所に以前住んでいた下宿人だった。今は日本で結婚し、パナマの友人に会いに行く道中のフライトだった。高校、大学とイーナおばさんと暮らしたそうだ。イーナとは我々夫婦も付き合ってきた。そもそもイーナとの付き合いは、別の男性下宿人をイーナがシンシナティ空港に迎えに出た折、私がご近所と知り、同乗させてくれたことが始まりだった。これも因縁、今もって両人と付き合っている。(自悠人)


コロラドの松茸狩り、遅かった!

2009-09-04 17:08:18 | まち歩き

夫、自悠人はコロラドに松茸狩りに行く。今年はCincinnatiから飛行機で出かけたが、日本から行く時もあった。毎年8月末を中心に行くが、たいてい収穫を得て来る。今までは時期も大体外れなかったし、松茸狩りの奥義も知っているから。しかし今年は10日以上早くに生えたようで、一本の収穫もなく、がっかりした声で日本の私に電話してきた。飛行機の切符は早めに準備するので仕方がないでしょう。夫は松茸狩りが趣味、日本からの希望者があれば時折ご案内する。今年も希望者があったが、法要とかで不参加となり、結果論だが行かれなくてよかった。せっかく行って収穫なしではガッカリでしょうから。

アメリカの多くの州も日本同様天候不順だったようだ。松茸さんたち、時期を逸すまいと慌てたのでしょう。それにしても日本の今夏の天候は異常でしたね。この23日、道路に蝉の死骸をよく見かける。地上に出て1週間のはかない命を全うできたのかな。天を向いて大往生している蝉ばかり見かけるが。(彩の渦輪)


もう秋

2009-08-29 05:52:17 | まち歩き

赤とんぼが飛んでいた。まだ淡い色の赤とんぼ。もう秋ですね。今朝は4時に目覚めてこれを書いている。窓を開け放ち、ピリッと爽やかな空気を入れて。秋の虫の合唱が聞こえる。一週間以上前から鈴虫の声が聞こえていた。ぎっくり腰の後遺症(腰椎圧迫骨折)のため最近は風呂で朝晩二回は腰を温めるが、窓外は鈴虫の大合唱。まるで鈴虫カプセルに入っているようだ。それとも鈴虫さん主催の演奏会に招かれ、ホールでステレオ放送を聞いている感じ。舞台には大勢の鈴虫さんたちが林立してさまざまな楽器を演奏している。風呂場の窓を満開にして鈴虫の演奏を楽しむ毎日は意外な拾いもの、腰痛と短い夏のお陰だ。今年は夏が短かったせいかいろんな蝉が一緒に啼いていたようだったが、先頃まではミンミンゼミ、そして今はつくつくぼうし。もう秋ですね。5時、東の空がシェル・ピンクになったと思ったらじきに深紅になり、真っ赤な太陽がギラギラとあたりを睨みつけるように上がってきた。(彩の渦輪)


住み難くなったシンシナティ 完

2009-02-23 18:53:42 | まち歩き

木々に囲まれていないコミュニティーの家々は、周りは芝生でスケスケになり外部からの騒音や美観上でも損なわれた感じもする。このように最近開発された住宅は木々を残せば開発の邪魔になり、土地の有効活用が出来ないので取り除いて裏側だけ木々を残している。地理的便利性を求め、畑の中に立ち並び、芝生だけで木は一本もない地区や住宅が普通になってきた。当然環境破壊を増進させている。しかも2軒つながりのコンドウが多い。冷暖房は電気で完備されるし、冬の木々による電線なぎ倒しによる停電事故はないが、真夏の太陽も冬の強風もまともに受ける分、エネルギー損失は大きい筈だ。

一方、農地はシンシナティあたりでも遺伝子組み換え穀物が効率性から幅を効かせ、それ用の農薬が開発され使用されている。鳥の一種類は絶滅の危機にあると言われているが、農薬が関係しているのかも知れない。何が環境破壊の原因か。複雑な因子が重なっての破壊、自然再生が利かなくなったことは事実、すべては人間のエゴから発生しているのだ。自己中心のご都合主義も住む環境が限界に来ていることをしるべきだろう。対応だが、一人一人がそれに協力すべき時が来たのだ。

秋口、家の側面をコツコツと小鳥の嘴で叩く音を聞く。蛹を食べているのだ。赤い帽子の啄木鳥が樹木の表面をたたいてる。いずれ嘴で叩く音が聞こえなくなる日も来るだろう。自悠人