城を巡る、という中にもさまざまなタイプがいます。
そんなタイプを私なりに分類してみました。
本日は第2回目。『逸話萌え』についてです。
様々な逸話の現場に出向き、現場検証を行う、それが逸話萌えです。それは、その地にまつわるネタを求めて移動するジプシーのよう。
歴史が好きになるということは、歴史上の逸話(エピソード)にどれだけ共感できるか、が、大きく影響しています。逸話に共感するあまり現場へ出向いて確認せずにはいられない。それが逸話萌えの本質です。
ここで長篠合戦が行われて織田の天下への道が確定したのか、あるいは、関ヶ原で天下の帰趨が決定したのか、はたまた、諏訪大社で明智光秀が織田信長に蹴り倒されたのか、そして浜松城で家康は食い逃げした上にうんこ漏らしながら入城したのか・・・。
こうした数々の歴史の現場に出向いては、いにしえに思いをはせる訳です。
そして、こんな写真をとってしまうわけです。
※織田信長に蹴り倒される明智光秀の再現図
諏訪大社神宮寺にて甲斐武田討伐の論功行賞中。
光秀:「ようやく武田も滅び、お屋形様の天下じゃ。我らもよう働いた甲斐があったというものじゃ。のう、ご一同。」
信長「何!だれが働いたじゃと?!お前が何の働きをしたというのじゃ!」
光秀「はっ・・・!いや、出過ぎた事を、申し訳ご・・・!」
信長「やかましい、この金柑頭め!こざかしいわ!」
信長、光秀を蹴り倒す。目をそらす重臣達。
この扱いが本能寺の原因の一つとも言われている。
注)本当に蹴ってはおりません。演技が上手すぎるのです。ただし、よい子は真似しない。
逸話萌えは、お笑いで言えばツッコミタイプに分類されると思います。
逸話という”ボケ”に対して自分なりのツッコミを入れに行れていることと同じなのです。歴史は相方ともいうべきものとなり、もはや単なる趣味の域を超えていくことになります。
この類型は、城以外にも合戦場などでも興奮することも多く、ありとあらゆる場所で興奮できるという、ある意味危ない特徴も併せ持っています。また、他人にとってはどうでもいいような細かいエピソードを渉猟することになり、典型的な「オタク」に発展することでしょう。もっとも、城好きになった時点でオタクの仲間入りをしたようなものですが・・・。
この類型にとって最大の注意点は、「エピソード現場は大概殺害現場である。」ということ。軽はずみな気持ちで行ったばかりに、ナビが狂ったり、カメラが壊れたり、喫茶店で一人分余分に水とおしぼりが出されたりする羽目になるかもしれません。御注意ください。
そんなタイプを私なりに分類してみました。
本日は第2回目。『逸話萌え』についてです。
様々な逸話の現場に出向き、現場検証を行う、それが逸話萌えです。それは、その地にまつわるネタを求めて移動するジプシーのよう。
歴史が好きになるということは、歴史上の逸話(エピソード)にどれだけ共感できるか、が、大きく影響しています。逸話に共感するあまり現場へ出向いて確認せずにはいられない。それが逸話萌えの本質です。
ここで長篠合戦が行われて織田の天下への道が確定したのか、あるいは、関ヶ原で天下の帰趨が決定したのか、はたまた、諏訪大社で明智光秀が織田信長に蹴り倒されたのか、そして浜松城で家康は食い逃げした上にうんこ漏らしながら入城したのか・・・。
こうした数々の歴史の現場に出向いては、いにしえに思いをはせる訳です。
そして、こんな写真をとってしまうわけです。
※織田信長に蹴り倒される明智光秀の再現図
諏訪大社神宮寺にて甲斐武田討伐の論功行賞中。
光秀:「ようやく武田も滅び、お屋形様の天下じゃ。我らもよう働いた甲斐があったというものじゃ。のう、ご一同。」
信長「何!だれが働いたじゃと?!お前が何の働きをしたというのじゃ!」
光秀「はっ・・・!いや、出過ぎた事を、申し訳ご・・・!」
信長「やかましい、この金柑頭め!こざかしいわ!」
信長、光秀を蹴り倒す。目をそらす重臣達。
この扱いが本能寺の原因の一つとも言われている。
注)本当に蹴ってはおりません。演技が上手すぎるのです。ただし、よい子は真似しない。
逸話萌えは、お笑いで言えばツッコミタイプに分類されると思います。
逸話という”ボケ”に対して自分なりのツッコミを入れに行れていることと同じなのです。歴史は相方ともいうべきものとなり、もはや単なる趣味の域を超えていくことになります。
この類型は、城以外にも合戦場などでも興奮することも多く、ありとあらゆる場所で興奮できるという、ある意味危ない特徴も併せ持っています。また、他人にとってはどうでもいいような細かいエピソードを渉猟することになり、典型的な「オタク」に発展することでしょう。もっとも、城好きになった時点でオタクの仲間入りをしたようなものですが・・・。
この類型にとって最大の注意点は、「エピソード現場は大概殺害現場である。」ということ。軽はずみな気持ちで行ったばかりに、ナビが狂ったり、カメラが壊れたり、喫茶店で一人分余分に水とおしぼりが出されたりする羽目になるかもしれません。御注意ください。
この間TVでやってましたが、
当時は言葉が国により大きく違い、京言葉が大名の憧れだったようです。「みゃー」でなく本場の京言葉を完璧に操れる明智さんに信長はコンプレックスがあったとかなかったとか。また、明智さんが重用されたのも京言葉が使えたからという説もあるようです。
京言葉ですか。なるほど。確かに今でも東京に行くと方弁が消える地方の人が多いですからね。
京言葉は当時の社交界の標準語だったのかもしれませんね。