長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

徳川秀忠 ~将軍どっきり(秘)報告~

2012年04月19日 | 戦国逸話
 徳川秀忠。家康の息子で2代目将軍。
 非常に謹厳実直で穏和な人柄で知られますが、初代家康と三代家光に挟まれて地味な存在です。そんな彼のエピソードはこちら。

『常時従容(じょうじしょうよう)』
 秀忠は小さい頃から仁徳が厚かった。13歳の時、家来に本を読ませて聴いていたところ、突然牛が乱入してきて障子や戸を全部なぎ倒して、モウモウ泣いて、周りの近習は驚いて我を忘れたが、秀忠は沈着冷静常ならずであった。(以下略)

 突然の牛の乱入にも沈着冷静。すごいです。
 しかし、本を読んでいる殿様の子どもの部屋に牛が乱入する大名家って、どんな大名だ。しかも全部扉や障子をなぎ倒した、って尋常ではない。秀忠の沈着さよりも牛が乱入するような部屋に住んでいて、その牛は暴れ放題だった、その事実にこちらは驚かされてしまいます。

『家臣の処遇』
 秀忠が鷹狩りの時、左が山、右が崖、となっている細い道を馬に乗って通った時、家来の石谷長門が秀忠の馬を誘導していたが、崖に落ちては大変と馬を山側へ抑えていたら、抑えすぎて秀忠は山側に落馬してしまった。「上様落馬!」との声で家来衆が駆けつけて大騒ぎになった。石谷は手討ちの覚悟をしていたが、秀忠は笑いながら起きあがり、「長門が予を大事に思いすぎて落馬させてしまった。少しも迷惑に思っていない。幸い痛いこともなかった。長門よ。予の砂を払え。」といったそうな。(以下略)

 ええ話や~~。(涙)穏和な大将です。
 が、崖に大事な殿様を落とすまいと必死になって殿様を落馬させてしまった石山長門。なかなかナイスなキャラです。多分、秀忠も内心『ちょっちょっちょっと。儂、落ちてまうて』と思っていたのかもしれません。ちなみに、うらにわの高校生時代の同級生早川君は話している人の方に寄っていく癖があり、同級生の下堂園君を田圃に落としたことがあるそうです。冬だったので水が無くてよかったとか。そんな高校生の頃の記憶を呼び覚ましてくれました。 

 最後にこんなこともあったそうです。

『そらねむり』
 秀忠が鷹狩りでとった鶴を野田玄縁に賜ったことがあった。玄縁は有り難さのあまり頂いた鶴の汁物を押し頂きすぎて、自分の頭から襟首にかけて熱い汁をぶちまけてしまった。
 秀忠はそれを見ていたが、たまたま脇差しを杖に頬杖をついていたので、そのまま眠ったふりをして玄縁を見ないふりをした。これは玄縁が御前を気遣ってどうしようもなくなることを気遣ったからである。

 部下への優しい気配りがうかがえます。
 が、なんでこうも秀忠の周りには珍事が続出するのか。

 牛が部屋に乱入して障子や扉を倒すは、部下が心配のあまり馬のハンドリングを誤って落馬させられるは、褒美の吸い物をありがたさのあまりぶちまけて大やけどしている部下が出るは・・・。
 実は皆「秀忠は驚かないのだろうか?」という興味から賭けでもしていたのではないか。そう、疑いたくなってしまいます。しかし、秀忠は驚かなかった。どっきり潰しだったんですね。

 そんな秀忠が唯一慌てたと思われるのが、真田昌幸に翻弄されて、肝心の関ヶ原の戦いに間に合わなかった時。きっと真田昌幸が、ヘルメットかぶってプラカード持って『てってれー』という音楽と共に「大成功。」と秀忠の前に現れたことでしょう。