長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

江戸のブロガー 松浦鎮信 ~石田三成熱愛発覚!~

2012年04月15日 | 戦国逸話
 『武功雑記』なる書物があります。肥前平戸第四代藩主松浦鎮信なる方が書いたものです。うわさ話的なものが書いてあるので、面白い。本当か嘘かはわかりませんが、そんな話が昔あったんだね、という感じです。
 この資料を読んでおりましたところ、石田三成にとんでもない疑惑が!

『石田三成と大谷刑部』
 大谷刑部少輔吉隆は、たびたび石田三成を叱り、あまつさえ頭を叩くことさえあった。
 実は石田は大谷に恋慕し、成就した仲となっていたのだ。それからは頭を叩かれても「忝ない」というようにすらなっていたとか。(武功雑記巻12)

 ええええええ!
 炸裂する戦国ゴシップ!
 『石田三成熱愛発覚! 深夜大坂城からのお持ち帰りデート!!』
 と、いう感じです。

 先日さる方から「最近、落武者日記の品位が下がってられるような気がします。『いいね!』ボタンを押すのを躊躇ってしまいます。」という意見を頂戴しましたが、どうしても意外な戦国史、というものの発掘を狙うと、こっち系が多くなってしまいます。念のために申し上げておきますが、私は至って普通の嗜好ですので、そちらの世界には関心がございませんので、悪しからず。。。

 真面目な話をさせていただくとするならば、当時の武士たちの間では、こうした「文化」があり、抵抗無くきわめてノーマル扱いされていた、ということがあるようです。こうした部分を理解しないと、案外歴史の真実が掴めないことがあるのではないか、そんな感じがします。
 ひょっとすると本能寺の変は痴情のもつれから、明智光秀が関係の清算を図った、とかだったのかも。
 
 ちなみに茶会の席でお茶を回し飲みするとき、大谷の鼻水(一説によるとハンセン氏病に罹患していた大谷の膿)が茶に落ちてしまい一堂が凍りついた状況になったとき、石田がそれを飲み干したため大谷は恩義を感じただの、大谷は関ヶ原の戦いに味方する時、散々石田三成の悪いところを言い立てて、でも、負けを覚悟で石田方に参加しただのの逸話があり、なんとなく「なんか怪しげな・・・。」と睨んでいたところ、江戸時代からそんな話が既にあったわけです。
 三成の上司、豊臣秀吉はそちらの趣味がなかったようですが、これは下賎の身から出発している豊臣秀吉は上流階級のたしなみである衆道文化に触れることが無かったためだといわれています。その分、女性に対する意欲は尋常ではなく、大量の側室を抱えていました。石田三成は小さい頃寺に入っており、そこで三杯のお茶を豊臣秀吉に出したことから出世につながっていることからわかるように、衆道文化に触れる環境にあったといえます。ならば、深い仲になる男性がいてもおかしくはない訳です。

 しっかし今回の話、江戸時代に私のようなどうでも良いことに興味を持つ人(松浦鎮信)が書きとめたものを、平成になって同じようにどうでも良いことに興味を持つ人間(私)がブログに改めて書いた逸話な訳です。

 いつの時代も、私のようなヒマ人がいるんですね。