長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

亀甲積

2012年04月12日 | 奥三河
新城市は歴史の宝庫で普通の顔してすごいものがなにげにあったりします。
まぁ、なんとはなしに通過するこんな場所がありました。

こんな感じで、

詳しくはこんな感じ。

現在、更地で売り出されている場所なんですが、古い石積みでかさ上げされていまして土地に入る場合に邪魔になるねぇ、と、思ったことはありました。
しかし、こうしたブログをやっていると様々に情報提供してくださる奇特な方がおりまして、
「うらにわさん知ってますか?あの石垣貴重なもんらしくて、昔道路工事やった際、崩すときに番号つけて、わざわざもう一度同じように積み直したもんなんですよ。」
との情報を頂く。

えええ!と驚き、すっ飛んで写真撮りに行ったのが上記の写真です。
よくみりゃ亀甲積じゃんか!、と、ひとりごちる。(←近くに人がいれば嫌がられることでしょう。)

どうせ最近のコンクリでそれっぽく外観整えて、貼っつけたモンだろうと頭から決めこんでましたので全く気がつきませんでした。なるほどこれは石垣じゃん、と納得。
まだまだ私も青い、と反省した次第です。
そんなものがゴロゴロしている新城ってすごい!と、改めて思いました。

ちなみに亀甲積とは、一般的な城郭に利用されているものではなく変則的な積み方の一種で「・・・石を六角形に整形して積む亀甲積である。しかし、城郭においては、亀甲積は江戸時代後期の比較的低い石垣に・・・わずかに見られるだけである。・・・」(参照『城のつくり方辞典』三浦正幸著 小学館)
石を整形する積み方は一般に切込ハギという技法が有名ですが(隙間なくぴっちりとつんである奴です。名古屋城とか江戸城とかにあります。)亀甲積もその亜流みたいな感じでひっそりと分類されるもののようです。
現在石垣を積む技術と言うのは失われているそうでして、文化財保護などの目的で積み直しをする場合は、石の一つ一つに番号を振って図面に写し取り、同じように再現する積み方しかないとは聞いていましたが、そうしたレベルのものがこんなところに使われていたとは。

実は、石垣一つとっても積み方、素材、化粧方法、反りなど奥が深いのです。もっともこんな話を喜ぶのは私らヲタでありまして、城好き以外には「はぁ?!亀甲?縛り方?」とか言われて終わりでしょう、きっと。