入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

Ume氏の入笠 「冬」 番外編(14)

2014年12月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 下では昼少し前に降り出した雪は午後になると雨に変わって、夕方になってもまだ降り続いている。午前中、上の様子を見ようと雪の降る中千代田湖経由で行ってみたが、「国立高遠少年の家」方面はさすがにしっかり除雪してあるものの、途中の分岐から入笠・千代田湖方面へ向かうと、300メートルも行かぬうちにもう、雪のためそこから先に進むことはできなかった。
 念のため引き返し、芝平経由も試してみたが、こちらも「百姓山奥いつもいる」氏が冬ごもりを始めた隠れ家へ行くための山道に、覚束ない轍があるものの、芝平峠に通ずる本道はそこで除雪が終わっていた。一昨日隠れ家に帰ってきた「山奥いつもいる」氏の言によれば、チェーンも併用したとのことで、なるほど悪戦苦闘したらしい様子がまだ雪道の上に残っていた。
 ご機嫌伺いをしてみようかとその山道に乗り入れてみたが、雪道を荒らしてしまうことになりそうで、”まだ運転技量に難のある”氏をひと冬山奥に閉じ込めてしまってはまずいと思い、断念した。それにしても氏は、ここでこんなことを書かれていることも知らず、何が嬉しくて「One Man's Wildness]日本編をやっているのだろう。
「夕暮れの雪面の色を知っているか」
「白い色ではござらぬのか」
「何を言ってるんだ、薄い青、青色だよ。見たことないのか」
 山奥センセイは勝ち誇ったように嗤ってくれた。
 
 すっかり雪に埋もれた牧場の雪原上を、確かにブルーの薄い層が覆い、夕暮れの逆光の中に粉雪が風に舞い、踊る。噴煙を上げる御嶽山を真ん中にして中央と北の両アルプスが、夜の闇の中に沈みかけた眼下の広大な大地の防波堤となって、透き通る色のない冬の空を区切る。
 寒さの中で幾たびそういう一瞬から、深い時間を得ることができたことか。

 山小屋「農協ハウス」の冬季営業に関しましては、11月17日のブログをご覧ください。12月5日、9日のブログも参考にしてください。そういうわけで、車での入笠牧場行きは困難となりました。富士見パノラマリゾートのゴンドラを利用するか、沢入からの入山がお勧めですが、伊那側の味わい深い「法華道」もお忘れなく。
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Ume氏の入笠 「冬」 番外編(13)

2014年12月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 所用で三日(この数字の表記、毎回迷う)ばかり東京へ行ってた。長年気にしていた身内と会うことができ、それが何よりだった。最初の夜は友人が予約しておいてくれたホテルに泊まったが、単身の身でダブルベッドは落ち着かずよく眠れなかった。次の夜は一転して、ギャンブルで生き方を変えてしまった友人の、簡素なアパートの一室に、昔話だけがご馳走の一夜を過ごした。
 
 30数年を暮らした東京だが、そのことが不思議なほど遠いことのように思えて、今回は行けばかならず声をかけた幾人かの友人・知人とも連絡を取る気になれなかった。ただ空いてしまった何時間かを、靖国と上野の杜を訪ねてつぶした。
 FMZ君には今回も歓待してもらったし、結構な額の会費の結構な料理の忘年会も愉快だった。しかし歳末の都会の猥雑さ、せわしなさ、人の多さに気圧されて、山の奥で8年も牛を相手に暮らしてきた身には、東京は完全に異郷の地に戻ってしまっていた。
 
 帰路、新宿から高速バスに乗り2時間、山梨県と長野県の県境を過ぎると、風景から暖かさが消える。森は雪に埋もれ、里は一面雪の原となる。白い甲斐駒や八ヶ岳が見る者を威圧し、拒否する。それでも、雪の山々が身近に迫ってきたときには、一心に鳩舎を目指す伝書鳩のような気持ちになっていたかも知れない。

 そして今朝、起きて寒暖計を見たらマイナス2度。「海のおうち山のおうち」と違い、これはわが陋屋の室内温度。本格的な冬ともなれば、気温はさらに下がる。そういう朝はいくらストーブを燃やしても、室内温度はおよそ18度ぐらいで頭打ちする。そういう家に暮らしている。

 入笠もかなりの積雪になっているようだ。管理棟まで車で行くことができるかどうか、様子を見にゆかねばなるまい。ともかく23日は予約を受けているから歩いても登る。天気予報は明日20日が雨、これで雪が融ければ助かるが、さて。21、22、23日は晴れの予報、かんと氏、TBI氏は難しい判断をすることになる。

 Chiyさん、あなたたちご夫婦は「何とか入笠を」と思う老兵にブログを教えてくれ、そして有難い読者にもなってくれた。不思議な縁を喜び、感謝の気持ちも尽きません。

 山小屋「農協ハウス」の冬季営業に関しましては11月17日のブログをご覧ください。また、12月5日、9日のブログなども山行にしてください。 
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       Ume氏の入笠 「冬」 番外編(12)

2014年12月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 もう少しだけ昔のこと。
 山の遭難の原因は大概「装備の不備」ということで片付けられた時代があった。戦後の高度成長が始まった時代でも、まだ登山者の着る物、装備は貧しかった。
 八方尾根で高校生が遭難事故を起こしたときも、そう言われた。なにしろエアーマットの代用に、彼らは炭俵を使用していたのだ。このころでも、エアーマットはすでに出回っていたが、高校生の身では十分なことができなかったのだろう。不憫に思ったことを覚えている。
 高校山岳部と言えば、母校の部室にあったカーキ色の寝袋は、進駐軍の放出品であった。「鳥小屋」と呼んでいたが、それを使うと身体中、鳥の羽にまみれ、狭いテント内にも舞い上がった。何でも朝鮮戦争当時、米兵の遺体を戦地から日本へ搬送する際に使った代物だと聞いた。
 
 昭和40年前後の国産品は、いまひとつ信用されなかったが、その代表がラジュースであった。例えば南極観測隊の装備は、国産品を使用するということが基本方針だったにもかかわらず、ラジュースだけは外国産を持っていったと、何かの本で読んだ。使用した燃料にも原因があったと思うが、国産品は予熱と火力のコントロールが特に困難で、テントを燃やしたという話も聞いた。遭難者の残した手記に、故障したラジュースに手を焼いた様子が記されていたこともあった。ガスコンロの登場は、その点大きかった。
 今では「ダウンジャケット」などと呼ばれる羽毛服も、フリースと同じく、どこやらのメーカーが安価な製品を売るまでは、国産品はまず目にしなかったと思う。外国品は本物のグース・ダウンを使っていたから高価だったが、品質は格段に良かった。国内の登山では「贅沢だ」と言われ、羽毛服の使用が禁止されていた大学山岳部もあったと聞く。ようやく手に入れたフランス製の羽毛服の胸元を、酔っぱらって燃やしてしまったこともあったが、ガムテープをベタベタと貼って意気がっていた。

 いつしか山は、中高年が台頭してきた。交通の便もよくなったし、装備や衣類も進歩したから仕事を離れた定年後でも、また山へ帰ってくることができるのかも知れない。そうだとすれば、山を賑わせている人たちは、昔も今も同じ人たちだということになるが、さてどうだろう。少しは当たっているかも知れない。「装備の不備」は言われなくなったが、「体力不足」がそれに代わった。
 他方、各地の岩場からクライマーの姿が消えた。「岩を染めてたヒーローたち」は、今はどうしているのだろうか。

 本当は厳寒の山の夜の「自然に呼ばれたとき」の大変さを書くつもりだったが、Ume氏の美しい写真とはあまりにミスマッチかと・・・、またいつか。

 山小屋「農協ハウス」の冬季営業に関しましては、11月17日のブログをご覧ください。12月5日、9日のブログも参考にしてください。年末年始の計画については、何卒お早目に。16、17、18日とブログを休みます。
 
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       Ume氏の入笠 「冬」 番外編(11)

2014年12月14日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 
 (前日よりの続き)
 夜半過ぎ、やはり背中が寒くて目が覚めた。冬の山のテント内で快適に眠った記憶は、一度たりともない。覚悟していたこととはいえ、かなりこたえる。装備的にはまず全身用のインナーに身を入れてから腹部まで覆う半シュラフに入り、上は羽毛服を着た上で最初に入ったインナーを頭までたくし上げ、さらにシュラフカバーで全身を寒さから保護する。これ以上は自分の弱さだと諦めて、我慢するしかない。
 外に出てみると森閑とした森の上に、冬の凍れる月がまさに異彩を放つかのように照っている。眠っていた間に少し雪が降ったようだったが、その雪雲は凄みを見せて煌々と輝く月の光に押しやられ、雪の森は明るく見えている。
 テントの中に戻り、ラジュースに火を点け湯を沸かした。暖を取るためだけにストーブを空焚きするということは、したことがない。次第にふるえる身体が温まり、無造作に飲み込んだドロンとしたウイスキーが内側からも冷え切った身体に効いてきた。沸騰し始めた湯に紅茶のパックを落とし入れ、いつもより甘くして、そして今度はゆっくりと味わうように飲んだ。それは、冬山の孤独に、ぽっと点るような安堵感だった。

 早朝、アタックザックに羽毛服と簡単な行動食、それに万一のためヘッドランプを入れて出発した。雪の尾根には先行者の足跡はない。できるだけきれいなラインを引こうと意識しながら急登する。
 「岩登り熟達者でなければ危険」とかつてガイドブックで読んだガリーへ出た。「熟達者」ではなかったが、技術的には問題なさそうだった。構わず登行を開始する。アイゼンの前爪が小さなスタンスによく効く。時折、風が昨夜降った雪を舞い上げ襲ってくる。しかし、登行に影響するほどのことはない。吹き溜まりの雪はズボズボと踏み込んで足場を作り、さして緊張することもなく上に出た。そこからは、風に吹き飛ばされて現れた凍てついた地表や雪庇を避けて、締まった雪面をひたすら登ると、誰もいない頂上に着いた。
 強風に翻弄される雲のために視界は明けてもすぐに閉ざされ、それが何度か繰り返されたが、そういう頂上の方が何故かそのときは、自分の心境には合っていた。(某月某日の「山行記」より)

 山小屋「農協ハウス」の冬季営業に関しましては、11月17日のブログをご覧ください。12月5日、9日も参考にしてください。また、スノーシュー(ズ)は、富士見パノラマリゾートのレンタル用を、1日2000円でここでも利用できるように話し合い中です。2泊3日の場合、出発地のパノラマリゾートで借りれば6000円ですが、ここで仮に1日だけの使用なら、2000円で済むというわけです。
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       Ume氏の入笠 「冬」番外編(10)

2014年12月13日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 入笠も少しづつ変わっていく。しかし、冬の伊那側を訪れる人は稀で、その自然は今もあまり時代の波には影響を受けていない。この美しいUme氏の作品を見れば、それが分かる。ただしここへきて、入牧頭数は激減した。牧場の存続や美しい景観は常に危機にある。
 この写真が撮影されたのは実はかなり以前のことで、場所は北門を入って左手、第3牧区西斜面一体だ。幸運に恵まれた、ということではない。撮影者のこの山や森や林への深い愛着、そして磨かれた技量と自然がマッチしたのだと言いたい。
 入笠牧場の今の平穏な環境を守りたいと願いつつも、やはりあの人やこの人、彼や彼女、この雪景色や星空を見せたい人、連れてきたい人がいる。来て欲しい人たちがいる。

 夕暮れ、なるべく風の当たらない平地を選び、重いザックを下ろす。しっかり雪を踏みしめてからテントを張る。かじかんだ手で雪を落とし、中に落ち着く。
 ザックの中から必要な物を取り出し、雪で湯を沸かす。冬の単独の山では、ウイスキーの消費を抑えるためにお湯割りと決めている。クラッカーにチーズを塗り付け、ウイスキーを舐める。苦くて渋い琥珀の液体が、喉を焼く。「ウイスキーよりビールがいい」と言ったら、「過ぎた望みだ」と叱ってくれた男がいた。無事帰ってきたら結婚すると言って出掛けた海外の山から、彼は帰ってこなかった。
 ゴウゴウと力強い音を立てて燃えだしたラジュウスがテント内を暖め、コッヘルの湯が沸騰する。ほのかな酔いに安堵感が広がると、睡魔と疲労感も一緒になってやってくる。味噌漬けにした豚ロースをスライスし、茹でたラーメンに放り込む。外の風の音を気にしながら、それを噛み、啜る。
 深い森の中の雪原に夕闇が迫り、オレンジ色のテントに灯が点る。無音の闇とともに長い夜が、また始まる。

 山小屋「農協ハウス」の冬季営業に関しましては、11月17日のブログをご覧ください。12月5日、9日のブログも参考にしてください。
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