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岬塾レポート

2005-10-11 | 歴史
毎度おなじみ、深谷岬塾が去る10月8日(土)に渋沢記念館で開催された。今回はいろんな意味で記念すべき講義となった。

今まで塾としての自覚のなさからだらしない運営が続いていた、岬先生に渇を入れられたこともあって事務局メンバー一丸となってことにあたり、今回の講義から塾としての運営を明らかにする為毎回のテーマ付けをはっきりし、塾生としての修練の場であることを印象つけるために塾綱領の唱和・本講義前の塾生によるスピーチなどを盛り込んだ。

また、まばらな出席者についても自助努力すべき点であると、それぞれが動員を徹底し目標の30人をクリアした。スタッフ会議も数度開き、直前は朝の6時に行った。その甲斐はあったと言える。

さて、講義の中身、今回より岬先生の著書である『日本人の名著を読む』を題材としその中の23の名著を1回ずつ講義してもらうことになった。今回は「吉田兼好~徒然草」。

高校のとき古文で習った徒然草は確かに面白いなあという印象を持っていた。ものの見方がシニカルでワイドショーのコメンテーターみたいなそんなイメージがあった。
だから、日本思想史を学ぶ目的の『日本人の名著』のしょっぱなが吉田兼好というのはいささか違和感があった。そのことについて、岬先生から懇切丁寧に解説いただいた。

『日本人の名著』の大部分が儒教をベースとしており社会の中における人間の生き方について厳しく律する方向であるがゆえ、失敗したときにぽっきり折れてしまう危うさを持っている。老荘の思想=諦観をベースにしたこの徒然草は宇宙の中の人間について成功も失敗も不幸も幸福も大宇宙から眺めれば大したことではないよと、肩の力を抜いてのんびり構えてもよいことを教えてくれる。

要はバランスで、どちらかに傾きすぎてもいけないが、少なくともまじめ一本でなくても良いのだとゆとりを与えてくれているのだ。まじめ一本やりの典型は例えば吉田松陰や久坂厳瑞のように破滅的最期を自ずと迎えてしまう。

老荘思想の一例でいえば「上善水の如し」・・・水は四角い器では四角く、丸い器では丸く形を変える。常に高きから低きへ流れ温度によって堅くなったり空気になったり自由自在に変化する。心を水のようにしていられれば何も恐れることはない、ってな感じかな。

いい加減なぼくにとってはとても共感できるありがたい思想である。
『日本人の名著』のなかではほんの一説を取り上げてあったが、徒然草まとめて読んでみたくなった。ただし、完全現代語訳じゃないとやだな。

さて、次回は「宮本武蔵~五輪書」。これまた異色だなあ。我々の知る吉川栄治の作り上げた武蔵は完全に物語のヒーローだから、日本思想史に関わる実在の武蔵というのはどんなものだろう?大変興味深い。

次回は12月10日(土)16:00~渋沢記念館です。


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