石匠風間ブログ!

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ロボット対人間

2016-02-04 | 科学
去年は人工知能やロボットに対する本を色々読んで色々と刺激された。
年々世の中に「ロボットに仕事を奪われる」とか「いずれ支配される」とか、そういう不安感・恐怖感が強くなっているのがわかる。

これらはいずれも機械対人間という対立構造でとらえた場合なのだけど、ことはそんなに安直じゃないと思うのです。

たとえばパラリンピックの記録が徐々にオリンピックの記録に迫ってきているのをご存知でしょうか?

ロンドン五輪100m走だと9秒63(ウサイン・ボルト)に対し
パラリンピックのピストリウス選手10秒91、その差1秒28!
遂にここまで来ているのです。

そりゃ当たり前かもしれない、義肢義足はどんどん最新技術や素材をつぎ込んで進化しているのだから健常者を凌駕するのは時間の問題でしょう。

健常者より障害者のほうが早く走れるのだとすると、、、いささか興ざめしませんか?「いくら世界王者になっても障害者にはかなわない」という構図ができたら今までのように五輪を楽しめるのか?

この「機械の体」に人工知能が組み合わさるとロボットということになるけれど、現時点では技術的に簡単ではないでしょ、それより機械と人間のハーフ=サイボーグのほうが手っ取り早いし合理的な気がします。

人工知能だってそう、現在の我々はPCやアイホンなどで外部記憶装置に頼っているわけで、これもハイブリッドと言えなくもない。
まあ、そう言い出したら入れ歯だってメガネだって補聴器だってサイボーグと言えなくもないかw

要は人工知能に意識を持たせるっていうかなり時間もお金もかかる技術を待つ前にすでに我々は人工知能と混在化しつつあるのではないかと。

昔は友達の家の電話番号結構覚えてましたよね?今や全部携帯の中。読めない字があったらすぐ携帯で調べ、場所を知りたい時も携帯で解決。これって昔の人からすれば超人類に見えるかも。

グーグル・グラスなどスマホのウェアラブル化も進みつつあるし、近い将来頭の中にCPUが埋め込まれるのは確実ではないかと予想します。もちろん派手な外科手術なしに注射とか錠剤のような形で取り込めるみたいな。

つまり「人間対機械」という構図は成立せず、混在化していく、どこまでが生身の人かどこからがサイボーグかなんて区別はできないくらい。

そう考えるからぼくは未来を楽観視しているのです。