ついに羽生善治が名人に返り咲いた、と同時に通算5期獲得で第19世永世名人資格者となった。
ついに、というか、ようやく、だな。94年にはじめて名人位を獲りそのあと2期防衛し7冠をとったりして20世紀中に永世名人になることは確実視されていたのだから。それから10年以上かかってしまったことは、不思議としか言いようがない。
弱いから獲れなかった、ではすまされない、なぜならこの10年も羽生は第一人者としてふさわしい成績を残しているし、タイトル獲得数も今回ので69個目だよ!将棋知らない人にはピンと来ないかもしれないが、尋常じゃない数字である(王座16棋王13王位12王将11竜王6棋聖6名人4)。ほとんどのプロは一度もタイトルを獲らずに終わるのだから。
ちなみにほかのタイトルでは永世位をほとんど獲っていて、これで「永世6冠」となった、あとは永世竜王だけ。竜王も後1期で永世だから夢の永世7冠が現実的になった。
単年7冠制覇('96)後の羽生は、勝利に執着しなくなったとよく言われる。勝ち負けよりも内容のいい将棋を追及しているとか。確かに羽生の将棋は見ていて面白い。見ている人をあっといわせる差し回し、これこそプロフェッショナルだ。
けれど「7冠の頃より数倍強くなっている」とは佐藤康光2冠の言葉。つまり回りも引きずられて強くなっているということか。
しかし今回の名人戦を戦った羽生と森内、この二人のタイトル戦ではほとんど先手が勝っていた。今回第3局で歴史的大逆転を見せて後手番の羽生が勝ったが、ようするにほとんど先手番が勝つということはこの二人の将棋は現在では最も将棋の神に近いところで行われているのかもしれない。以前このブログで森内をこき下ろしたが、やっぱ5期も名人位をとる人はぼくらのうかがい知れないレベルで違うのだろう。
それぞれ9時間の持ち時間で戦う一局の将棋のなかで考えることを、もし文字で表現できたとすると何万冊単位の百科事典ができあがるという。もうそれは想像を絶する狂気の世界だろう。
さて、永世名人資格を獲得し一段落したいところだろうが、羽生は忙しい。なにせ木曜日には橋本と王位の挑戦者決定戦、土曜は佐藤と棋聖戦第2局が待ち構えている。活躍しすぎだろ。
スポーツと違っておっさんがトップを走れる将棋に魅力を感じてしまう。なんでもっと人気がないのか不思議だ。