ぬえの能楽通信blog

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絢爛豪華な脇能『嵐山』(その15)

2008-08-17 20:46:27 | 能楽
地謡「和光利物の御姿(七ツ拍子右ヘノリ)。和光利物の御姿。
シテ「われ本覚の都を出でて(謡いながら舞台に入り)。分段同居の塵に交はり(正へサシ込ヒラキ)。
地謡「金胎両部の(右ウケ少し出、扇を左手に取り)一足をひつさげ(ヒラキながら左手と左足を上げ)。
シテ「悪業の衆生の苦患を助け(扇を右に持ち直しながら大小前へ廻り)。
地謡「さて又虚空に御手を上げては(正へ出、ヒラキながら両袖を頭へ返し)。
シテ「忽ち苦海の煩悩を払ひ(六ツ拍子、両袖を払い)。
地謡「悪魔降伏の青蓮のまなじりに(右へサシ分ケ)。光明を放つて国土を照らし(サシて右へ廻り)。衆生を守る誓を顕し(大小前にてヒラキ)。子守勝手蔵王権現(七ツ拍子。ここでツレ<子方>二人は立ち上がり、そのまま幕へ引く)。同体異名の姿を見せて(大きく直し)。おのおの嵐の(正先へノリ込拍子)山に攀ぢのぼり(右に飛返り)。花に戯れ(正へグワッシ)梢に翔つて(右へ廻り飛返り立居)。さながらこゝも金の峰の(正先へ出て左袖を巻き上げ)。光も輝く千本の桜(すぐに左へトリ右袖も巻き上げ)。光も輝く千本の桜の(常座へ行き小廻り袖を払いヒラキ))。栄ゆく春こそ久しけれ(右ウケ左袖を返し留拍子)。

キリの型は仕舞でもおなじみだと思いますが、師家の通常の型は割合とおとなしい感じですね。ところがこの他にいくつかの替エの型が用意されていまして、現在ではその型の方が演じられる頻度は高いのではないかと思います。

すなわち

悪魔降伏の青蓮のまなじりに(右へサシ分ケ)。光明を放つて国土を照らし(サシて右へ廻り)。衆生を守る誓を顕し(大小前にてヒラキ。このところにてツレ<子方>立ち上がり、シテの左右の後ろに立ち並び)。子守勝手蔵王権現(シテは七ツ拍子)。同体異名の姿を見せて(大きく直し)。おのおの嵐の(正先へノリ込拍子。ツレ<子方>は正先へ出)山に攀ぢのぼり(右に飛返り)。花に戯れ(正へグワッシ。ツレ<子方>は桜の作物に向き左袖返しかけ)梢に翔つて(右へ廻り飛返り立居ツレ<子方は幕へ引く)。さながらこゝも金の峰の(正先へ出て左袖を巻き上げ、またはサシて正先へ出て左袖巻き上げるも)。光も輝く千本の桜(すぐに左へトリ右袖も巻き上げ)。光も輝く千本の桜の(常座へ行き小廻り袖を払いヒラキ))。栄ゆく春こそ久しけれ(右ウケ左袖を返し留拍子)。

シテの左右の後ろにツレ(子方)が立ち並ぶさまは「子守勝手蔵王権現、同体異名の姿を見せて」とある地謡の文句に添った型ですね。シテの左右の後ろに立つのはツレの場合で、子方の場合はそれではシテの陰に隠れて見えなくなってしまいますから、シテの前に立つことになっています。

そして、ツレの場合でも、シテが左右のツレの肩に両手をかける型もありまして、この場合もツレはシテより前に立つことになります。今回はこの型、すなわち子方をシテの前に立たせて、その肩に手を掛ける型をやってみたかったために ぬえは『嵐山』を上演曲に選んだようなもので、そのあとシテは伸び上がって両手を左右に大きく拡げて、それこそ「同体異名」のさまを表現するのですよね。

さらに、その型のあとには子方が正先に出て桜の作物の横に立ち、作物にそれぞれ左の袖をかけるのです。この型は替エではありますけれども、子方を出しておいてこの型をさせないのでは、舞台効果には雲泥の差が出るでしょうね。この型のためだけに桜の立木の作物を出すとも言える。桜の作物は中入で引くこともあるのです。そりゃ、『嵐山』の後半はツレ(子方)も登場して舞台は狭くなりますから、作物は中入で引いた方がシテにとってはありがたいのですが、やっぱり花の風情の曲ですし、何と言っても作物を残しておけばこのツレ(子方)が袖をかける型ができますし、ましてやそれが子方であれば、これはまた情緒満点の舞台になるのです。

ん~~、結局『嵐山』で子守勝手を子方にすれば、この曲全体が子方の舞に集約されちゃう、とも言えます。少なくとも舞台で人目を引きつけるのは事実上 子方で、桜の枝を持って現れ、それを扇に持ち替えて「天女之舞」を舞う子方は、そりゃ美しいです。後シテはその添え物に近い存在かも。。実際 ぬえは、子方のこの型のために『嵐山』を選んだのですよねえ。だって、後シテは子方が舞っている時間と比べればはるかに短い時間しか登場していないし、自分の前で子方が舞っているから、やっぱり目立つのは子方。伊豆の国市の薪能だからこそ選んだ演目です。


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