ぬえの能楽通信blog

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絢爛豪華な脇能『嵐山』(その14)

2008-08-15 15:17:03 | 能楽
「天女之舞」が終わると、引き続いてツレ(子方)二人は大ノリの地謡に合わせて舞い続けます。「天女之舞」に限らず舞のあとに大ノリの地謡、または拍子に合わない地謡がある時は、中左右、跡へ打込、ヒラキという定型の型を舞うことになっていて、それよりそれぞれの曲に独自の型が続きます。

地謡「神楽の鼓声澄みて(中左右、打込ヒラキ)。神楽の鼓声澄みて。羅綾の袂を翻し翻す(角へ出て左袖を頭に返し)舞楽の秘曲も度重なりて(左に廻り)。感応肝に銘ずるをりから(大小前よりサシ込ヒラキ)。

『嵐山』の場合は中左右、打込のあとに「羅綾の袂を翻し翻す」という文句があるので、その文意に沿った型、すなわち角にて左袖を頭に返す型があって、その型を中心に型が組み上げられている感じが見えると思います。

地謡「不思議や南の方より吹きくる風の(サシて脇座の方へ行き)。異香薫じて瑞雲たなびき(受ケ流シ)。金色の光輝きわたるは(幕の方へ出)。蔵王権現の来現かや(雲之扇)。

次いで地謡が拍子に合わない謡い方に転じると、ツレ(子方)は脇座の方から幕の方へ向き、舞台の中央あたりまで出て雲之扇の型をします。これまた脇能など、後シテの神の配下にある天女のツレの役が、後シテを待ち受けるときに必ず行う定型の型です。なおこの場合の雲之扇は「はるかに見はるかして待ち受ける」という意味があります。そこで、たとえば『嵐山』では小書「白頭」のとき、後シテはここですでに幕を出て三之松に立ちますが、こういう時にはツレ(子方)は雲之扇の型はしませんで、下に居て両手をついてシテに向かってお辞儀をしたりします。こういうところも型に込められた意味がわかりやすいところだと思います。

ツレ(子方)が待ち受けるところに、囃子が「早笛」という非常に躍動的で緊張感に溢れた、高速なテンポの登場囃子を演奏し、やがて後シテが登場します。

後シテは「蔵王権現」で、装束付は以下の通り。

面=大飛出、赤頭、唐冠または輪冠、襟=紺、着付=紅入段厚板、赤地半切、袷狩衣、縫紋腰帯、神扇。

威厳のある神や鬼神の典型の姿で、面を替えることによって神にも鬼神にもなる扮装です。狩衣はかなりい現のある装束で、単狩衣は『融』や『須磨源氏』『遊行柳』などのシテや『熊野』などのワキなど貴人や貴公子役に使われる一方、袷狩衣は『嵐山』や『高砂』『老松』『賀茂』のような神の役にも、また『鵜飼』や『鍾馗』など鬼神にも用います。鬼神の役で少し位の低い役には袷法被を着ることが多く、『小鍛冶』『野守』などがその好例でしょう。これらの曲でも小書によって位が重く扱われる場合には袷狩衣を着ることもあります。面白いのは『船弁慶』で、この後シテは鬼神ではなく怨霊なので袷法被を着るのですが、小書がつけられると狩衣を着ます。これは怨霊と言えども平知盛は敦盛や清経、経正などと同じく平家の公達で、その貴人としての位から狩衣に替わるのだろうと思います。

「早笛」は本来二段構成の登場囃子で、通例は一段に演奏されます。登場人物はその定められた囃子のキッカケを聞いて幕を上げ、大きく右手を前へサシ出して走り出るのが多くの場合ですが、『安達原』のように右手を出さないで登場する曲もあります。

『嵐山』では大飛出という異相の形相の後シテが扇を前にサシ出して走り出、一之松に止まって正面に向きサシ込ヒラキをしたところで囃子は「早笛」を止め、地謡が謡い出します。


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