ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

主人公がいない能~『春日龍神』について(その8)

2007-06-19 23:48:46 | 能楽
今日、『春日龍神』の申合が済みました。だいたい思うようには出来たと思いますし、おワキやお囃子方とも打ち合わせが出来上がったのですが。。左足を痛めてしまいました。まあ、切能を舞うときは稽古の最中にどこかしら負傷はするものですが。。当日までに痛みは引くと思うのですが、問題はこの痛みから、思わず型を怖がることがないように気を付けなければなりません。怖がって型をすると。。必ず失敗するか、もしくはさらに大きな負傷をするものなのですよねえ。。

さて八大龍王にひき続いて名前が上げられる「妙法緊那羅王」「持法緊那羅王」「婆稚阿修羅王」「羅喉阿修羅王」は、仏教を守護する八部衆そ龍王とともに構成する神々です。それらが「恒沙」=「恒河沙」=ガンジス河の砂の数、つまり無数の眷属を引き連れて登場している、と詞章は語ります。舞台は本当は通勤の満員電車もかなわないほどの大混雑。

さらに詞章は続けます。「龍女が立ち舞ふ波瀾の袖」。。まだ出てくるか。(;^_^A

龍女が舞う その袖は白く、海原。。と言っても本当は猿沢の池ですが、その波も白く波立ち、またその水面には夜空が映り、その上を月が舟のように渡ってゆきます。恐ろしげな八部衆だけでなく、釈迦の法座が再現されることを愛でて龍女も舞い、あたりの景色も美しく輝きます。シテの龍神はここでは脇役。型としては扇を打杖に持ち替えて座り直し、左袖を頭に返して(こういう切能の場合は、正確には左肩に返すのですが)「空色も映る」と上を大きく見廻し、「海原や」と今度は下を見込み、「沖行くばかり」と立ち上がって右へ廻り、角より常座に至り、ここにて小廻り、「浮かみ出づれば」とヒラキ。これより太鼓の打込の手に合わせて「八大龍王」と謡いながら七つ拍子を踏み、舞働になります。

ところで、この後シテは最初に扇を持って登場しますね。龍神役で扇で舞うのは珍しい。この舞働の前に扇を腰に差して打杖に持ち替えるのですが、どうしてこの役が最初から打杖を持たずに扇なのだろうか? とずいぶん疑問を持っていました。今回稽古をしてみて、はじめて理由がわかったのですが、それは至極 単純な理由からでした。。すわわち、飛び安座をして下に座っている姿が、長い打杖では似合わないのです。そりゃ、打杖では不可能、というわけではないのですが、どっかりと座した姿では右手に持った長い打杖はどうにもやり場に困るから、という感じでしょう。もちろん早笛で登場する時には打杖の方が写りがよいので、最初から打杖を持って出るやり方もあります。

「舞働」は短い舞ですが、舞というよりは強い性格を持った鬼神などの役が威力を見せる示威行動といった感じです。これにも数種あって、囃子の方にもいくつかの種類がありますが、型の方でも「龍神の舞働」といって、龍神役は舞働の中でも最も激しい型で舞います。

「舞働」は常座で終わり、最後はキリを残すのみ。ここは仕舞にもなっているところですが、最後の最後にきて体力勝負の型の連続です。面白いのは、後場の眼目たるべき釈迦の生涯の大スペクタクル、というのが詞章としては「摩耶の誕生鷲峯の説法。双林の入滅悉く終はりて」と至極あっさりと触れられているだけだ、ということでしょうか(後述)。そして龍神は明恵の前にどっかりと座って尋ねます。

地謡「明恵上人さて入唐は。ワキ「止まるべし。地謡「渡天は如何に。ワキ「渡るまじ。地謡「さて仏跡は。ワキ「尋ぬまじや。

さっき「入唐渡天の事思ひ止まり候べし」とワキが言ったのに、この念の入れよう。ただ、シテはこのところだけちょっと休む事ができます。(^◇^;) 面白いことに、どんなに激しい能でも(『石橋』は例外でしょうが。。)、動きっぱなし、という事はありません。どこかで息を少し休める箇所があり、また動き、またちょっと静止するところがあり。能の型というのはよく出来ています。面を掛けていますし、動きっぱなしの型ではシテは舞うことはできないでしょうし、またこの動→静の連続が型にメリハリを与えることにもひと役買っているとも思います。

最後はシテは正先から常座まで一気に下がって、そこで飛返り、猿沢の池水を返してその底に姿を消した体で左袖をかづき、立ち上がってトメ拍子を踏んで引きます。

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