登米市の横山不動尊さまを予定よりも遅れて出発して、次の目的地は やはり笛のT氏の交友関係から南三陸町・志津川の上山八幡宮さまへ。
こちらの神社はかつて、今回の震災で有名になってしまった防災庁舎のすぐそばに鎮座していましたが、昭和35年のチリ地震による津波で浸水して高台に移転したのだそう。そうして今回の震災では社殿こそ被害を免れたものの、その寸前まで津波が到達。しかし付近の住民さんの避難場所として幾多の命を救った場所でもありました。
この場所。。到着してみて初めて気がついたことですが、震災の半年後には ぬえたちは訪れていました。「上の山(かみのやま)」八幡宮、という社名で気づくべきでした。これは移転後の高台の地名を冠したものだったのですね。ここは上の山という、志津川では最も市街地にも海にも近い高台の一角で、志津川町の指定避難所でもあったそうです。こちらが2年前の8月に上の山の上にある公園で撮った画像。ちゃんと津波の際の避難場所の標識が。
…ところが実際には今回の震災でここに避難した人の証言ではこの場所にいても危険を感じて、山づたいにもっと高い場所にある保育所へ(こちらも園庭まで被災しました)、さらに奥の小学校まで やぶをかき分けて逃げたのだそうです。
上山八幡宮さまは上の山の中でも少し海から離れた高台に建っていましたが、境内には「波来の地」という石碑が。ここまで津波がやってきました。こちらは今回撮影の画像です。
さて社務所でこの日面会してくださる工藤真弓さんとお会いしました。工藤さんは震災を描いた絵本『つなみのえほん ~ぼくのふるさと~』で知られた人。ですが、もともとこの絵本の中にも登場する「五行歌」を詠む歌人でもあり、歌集『神さまもひと休み』を上梓されたりしています。あ、もちろん本職はお父君の後を継ぐ神職さんですが、ご自宅は津波で流され、現在ご主人とご長男と一緒に仮設住宅にお住まいです。震災のときのご家族の体験が絵本という形になりました(絵本は志津川の仮設商店街「さんさん商店街」でも売っていました)。
震災後は工藤さんは「復興まちづくり推進員」として志津川の復興のために住民さんの話し合いを進めておられ、上山八幡宮さまの社務所もしばしば会合の場ともなっているようですね。この日も復興計画案の図面を見せて頂きましたが、工藤さんらしく美しいイラスト入りの図面でした。
前にも書きましたが、ぬえたちプロジェクトは南三陸町では活動らしい活動をしたことがありませんでしたが、いろいろな計画について工藤さんにも話を聞いて頂きました。聞けば当地でもちょっとロマンチックなお祭りもあるらしくて、とても興味を持ったのですが、この夏は、じつは志津川に限らず沿岸地域では防潮堤問題のひとつの山場になっているのと、我々プロジェクトもこの夏の活動はほぼ固まりつつある段階なので、今後あらためて南三陸町での活動を関係者とご相談させて頂くことになりそうです。
【参考】
「つなみのえほん」購入について→アマゾン
ブログ等紹介記事→くどうまゆみさん著『つなみのえほん』ができるまで
→「つなみのえほん」の紹介
→つなみのえほん/くどうまゆみ
神さまもひと休み - 五行歌集→紀伊国屋書店
五行歌については、南三陸町の被災者を受け入れた避難所がおかれた山形県の加美町の人々への恩返しにと工藤さんが書いた歌「感謝のうた」が、加美町の住民さんによってメロディをつけた歌になって、CDとなったようです。こちらは限定版なので入手できないようですが、感想を見つけました。
→真弓さんの五行歌
CD化の経緯→宮城・南三陸と加美、「五行歌」結んだ2町の絆
【おまけ】
今回、工藤真弓さんの活動についてあまり知らなかった ぬえなので、付け焼き刃で調べてみたのですが、その中で、震災ボランティアさんの活動。。震災の年に最も幅広く、大勢の人々が参加した「泥掻き」について、面白いレポートを発見しました。「やさしいやーつ」とか「オヤジさん」「オフクロさん」などの現場で生まれた用語が出てきたり、読んでるととても楽しそうなのですが、現実の作業は重労働でしょう。ぬえは最初から体力的な無理を感じて参加できませんでしたが。。震災の年にはいつ行っても、ひとつの家に大勢の若いボランティアさんが、まるで群れるように作業をしている様子を見ることができました。
タノンティア ブログ
→ボランティア ノ テクニック
→ボランティア ノ ココロエ
→ボランティア ノ テビキ
こちらの神社はかつて、今回の震災で有名になってしまった防災庁舎のすぐそばに鎮座していましたが、昭和35年のチリ地震による津波で浸水して高台に移転したのだそう。そうして今回の震災では社殿こそ被害を免れたものの、その寸前まで津波が到達。しかし付近の住民さんの避難場所として幾多の命を救った場所でもありました。
この場所。。到着してみて初めて気がついたことですが、震災の半年後には ぬえたちは訪れていました。「上の山(かみのやま)」八幡宮、という社名で気づくべきでした。これは移転後の高台の地名を冠したものだったのですね。ここは上の山という、志津川では最も市街地にも海にも近い高台の一角で、志津川町の指定避難所でもあったそうです。こちらが2年前の8月に上の山の上にある公園で撮った画像。ちゃんと津波の際の避難場所の標識が。
…ところが実際には今回の震災でここに避難した人の証言ではこの場所にいても危険を感じて、山づたいにもっと高い場所にある保育所へ(こちらも園庭まで被災しました)、さらに奥の小学校まで やぶをかき分けて逃げたのだそうです。
上山八幡宮さまは上の山の中でも少し海から離れた高台に建っていましたが、境内には「波来の地」という石碑が。ここまで津波がやってきました。こちらは今回撮影の画像です。
さて社務所でこの日面会してくださる工藤真弓さんとお会いしました。工藤さんは震災を描いた絵本『つなみのえほん ~ぼくのふるさと~』で知られた人。ですが、もともとこの絵本の中にも登場する「五行歌」を詠む歌人でもあり、歌集『神さまもひと休み』を上梓されたりしています。あ、もちろん本職はお父君の後を継ぐ神職さんですが、ご自宅は津波で流され、現在ご主人とご長男と一緒に仮設住宅にお住まいです。震災のときのご家族の体験が絵本という形になりました(絵本は志津川の仮設商店街「さんさん商店街」でも売っていました)。
震災後は工藤さんは「復興まちづくり推進員」として志津川の復興のために住民さんの話し合いを進めておられ、上山八幡宮さまの社務所もしばしば会合の場ともなっているようですね。この日も復興計画案の図面を見せて頂きましたが、工藤さんらしく美しいイラスト入りの図面でした。
前にも書きましたが、ぬえたちプロジェクトは南三陸町では活動らしい活動をしたことがありませんでしたが、いろいろな計画について工藤さんにも話を聞いて頂きました。聞けば当地でもちょっとロマンチックなお祭りもあるらしくて、とても興味を持ったのですが、この夏は、じつは志津川に限らず沿岸地域では防潮堤問題のひとつの山場になっているのと、我々プロジェクトもこの夏の活動はほぼ固まりつつある段階なので、今後あらためて南三陸町での活動を関係者とご相談させて頂くことになりそうです。
【参考】
「つなみのえほん」購入について→アマゾン
ブログ等紹介記事→くどうまゆみさん著『つなみのえほん』ができるまで
→「つなみのえほん」の紹介
→つなみのえほん/くどうまゆみ
神さまもひと休み - 五行歌集→紀伊国屋書店
五行歌については、南三陸町の被災者を受け入れた避難所がおかれた山形県の加美町の人々への恩返しにと工藤さんが書いた歌「感謝のうた」が、加美町の住民さんによってメロディをつけた歌になって、CDとなったようです。こちらは限定版なので入手できないようですが、感想を見つけました。
→真弓さんの五行歌
CD化の経緯→宮城・南三陸と加美、「五行歌」結んだ2町の絆
【おまけ】
今回、工藤真弓さんの活動についてあまり知らなかった ぬえなので、付け焼き刃で調べてみたのですが、その中で、震災ボランティアさんの活動。。震災の年に最も幅広く、大勢の人々が参加した「泥掻き」について、面白いレポートを発見しました。「やさしいやーつ」とか「オヤジさん」「オフクロさん」などの現場で生まれた用語が出てきたり、読んでるととても楽しそうなのですが、現実の作業は重労働でしょう。ぬえは最初から体力的な無理を感じて参加できませんでしたが。。震災の年にはいつ行っても、ひとつの家に大勢の若いボランティアさんが、まるで群れるように作業をしている様子を見ることができました。
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→ボランティア ノ テクニック
→ボランティア ノ ココロエ
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