この「次第」の文句、「よし足引の山姥が山廻りする」は前シテも言及していますが、ここではその末尾は「山廻りするぞ苦しき」と言っていますね。「苦しき」という表現はどうもツレが曲舞に作って評判をとった「山姥の歌」としては不似合いであるように思いますし、この言葉は「謡ひ給ひてさりとては我が妄執を晴らし給へ」とツレに言うシテの言葉によく合致します。ぬえは、ここは山姥、つまり後シテの言葉だと解しておきたいと思います。ツレが謡い始めると、すぐに山姥がその言葉を引き取って、「まことの山姥」の説明をはじめた、と思うのです。
かと言って、ツレはほんの1~2句だけを謡ったに過ぎず、残りはすべて山姥の言葉か、というと、どうもそうとばかりは言い切れないようにも思えます。
(クリ)
シテ「それ山といつぱ塵泥より起こつて、天雲掛かる千丈の峰、
地謡「海は苔の露より滴りて、波濤を畳む万水たり。
(サシ)
シテ「一洞空しき谷の声、梢に響く山彦の、地謡「無声音を聞く便りとなり、声に響かぬ谷もがなと、望みしもげにかくやらん、
ここまではツレの言葉と考えることもできますし、どうやらシテとツレの二人の言葉は互いに唱和しながら、だんだんとシテの言葉の比重が重くなってくる、という構造なのではないかしらん。型としてはシテは鹿背杖を扇に持ち替えて、クリの間に舞台の正中で床几に掛けます。すでに山姥が一人語りをする、という姿で、サシのトメにはツレへ向く型があるから、ここでは完全にシテがツレに対して物語を語っています。これがどこから始まると考えれば良いのでしょうか。やはりサシの中盤の次の言葉からだと考えるのが自然でしょう。
シテ「殊にわが住む山家の景色、山高うして海近く、谷深うして水遠し 地謡「前には海水瀼々として、月真如の光を掲げ、後には嶺松巍々として、風常楽の夢を破る シテ「刑鞭蒲朽ちて蛍空しく去る 地謡「諌鼓苔深うして、鳥驚かずともいひつべし。
ちなみにクリ~サシ~クセは非常に難解な文章で、ぬえの知識では追いつかない部分も多いです。。いろいろと調べてもみたのですが、その説明はあまりに煩雑になるので、小学館の日本古典文学全集『謡曲集(2)』から、難解な部分だけ現代語訳を抜粋しておきます。
サシ「中のうつろな洞穴に似た、閑寂な谷。そこでの物音は、梢に響いて山彦となって返って来る。これは、声なき声を聞くよすがとなるのであって、かつて古人が『声を出しても響くことのない谷がほしいものだ』と望んだというが、それもきっとこのようなことなのだろう」
次の「山高うして海近く、谷深うして水遠し」は面白い表現ですね。(以下は ぬえ訳)「山が非常に高い標高であるため、遠くにあるはずの海もまるで眼下にあるように近く見える」「一方その山の稜線を切り裂く谷は断崖の装いで、その底に流れる谷川の水は、海よりはずっと近いはずなのに遙かに遠くの奥底にある」。
「前には海水瀼々として月真如の光を掲げ、後には嶺松巍々として風常楽の夢を破る」は「前に見える海には月光が照り返り、仏法の真理の普遍性を現すよう。一方後ろにある険しい峰では松を吹きすさぶ風の音が悟りの平安を願う夢を覚ますようだ」
「刑鞭蒲朽ちて蛍空しく去る。諌鼓苔深うして鳥驚かずともいひつべし」は「刑罰に使う鞭の穂も使われずに朽ちて蛍が去来し、悪政を諫める太鼓も打たれずに苔が生え、鳥がその音に驚くこともない」の意。善政・平和のたとえとして『和漢朗詠集』に載る詩ですが、ここでは閑寂なさまを表現したいのでしょう。文意としてはここは少しちぐはぐな感じは否めませんけれども。。なお「刑鞭」がなぜ「蒲」なのかは、罪人を打つ鞭の穂にやわらかい蒲を鞭に使い、それさえも使われずに朽ちた、という、後漢時代のやはり平和な世のたとえの別の言葉「刑鞭蒲朽」が混じり込んでいるから。また「諌鼓」も中国の話で、帝王が門に設置した太鼓。間違って悪政を行って人民が苦しむときは、自由にそれを打って自分に知らせるようにと気遣ったのです。もっともそのような帝王が悪政をするわけもなく鼓は苔むしたのだそうで、「鳥驚かず」というのも、使われない太鼓の中に巣を作った鳥も安心して住処とできた、という意味なのだそうです。
以下はクセの文章と型。ここも難解な語釈が主になってしまう事をお許しください。。
地謡「遠近の、たづきも知らぬ山中に、おぼつかなくも呼子鳥の、声凄き折々に、伐木丁々として、山さらに幽かなり(と上を見上げ)、法性峰聳えては(右まで見回し)、上求菩提を現はし、無明谷深きよそほひは(下を見込み)、下化衆生を表して(足拍子二つ踏み)、金輪際に・及べり(立ち上がり扇を返して下を見込み、大きく足拍子を踏む)
「伐木丁々として」は木こりが木を伐る音。「法性峰聳えては上求菩提を現はし」は「万物の実体そのもののように厳然とした様子でそびえ立っている峰々は、菩提を求めて修行する菩薩の精神を表し」、「無明谷深きよそほひは下化衆生を表し」は「深い谷は煩悩から逃れ得ない衆生の姿。同じく菩薩が教下済度の誓願を起こしたまさにその対象」。「金輪際に及べり」は「その深い谷は無限に深いといわれる地下の最下層にまで及ぶ(=菩薩の誓願も際限なく及ぼされる)」。
かと言って、ツレはほんの1~2句だけを謡ったに過ぎず、残りはすべて山姥の言葉か、というと、どうもそうとばかりは言い切れないようにも思えます。
(クリ)
シテ「それ山といつぱ塵泥より起こつて、天雲掛かる千丈の峰、
地謡「海は苔の露より滴りて、波濤を畳む万水たり。
(サシ)
シテ「一洞空しき谷の声、梢に響く山彦の、地謡「無声音を聞く便りとなり、声に響かぬ谷もがなと、望みしもげにかくやらん、
ここまではツレの言葉と考えることもできますし、どうやらシテとツレの二人の言葉は互いに唱和しながら、だんだんとシテの言葉の比重が重くなってくる、という構造なのではないかしらん。型としてはシテは鹿背杖を扇に持ち替えて、クリの間に舞台の正中で床几に掛けます。すでに山姥が一人語りをする、という姿で、サシのトメにはツレへ向く型があるから、ここでは完全にシテがツレに対して物語を語っています。これがどこから始まると考えれば良いのでしょうか。やはりサシの中盤の次の言葉からだと考えるのが自然でしょう。
シテ「殊にわが住む山家の景色、山高うして海近く、谷深うして水遠し 地謡「前には海水瀼々として、月真如の光を掲げ、後には嶺松巍々として、風常楽の夢を破る シテ「刑鞭蒲朽ちて蛍空しく去る 地謡「諌鼓苔深うして、鳥驚かずともいひつべし。
ちなみにクリ~サシ~クセは非常に難解な文章で、ぬえの知識では追いつかない部分も多いです。。いろいろと調べてもみたのですが、その説明はあまりに煩雑になるので、小学館の日本古典文学全集『謡曲集(2)』から、難解な部分だけ現代語訳を抜粋しておきます。
サシ「中のうつろな洞穴に似た、閑寂な谷。そこでの物音は、梢に響いて山彦となって返って来る。これは、声なき声を聞くよすがとなるのであって、かつて古人が『声を出しても響くことのない谷がほしいものだ』と望んだというが、それもきっとこのようなことなのだろう」
次の「山高うして海近く、谷深うして水遠し」は面白い表現ですね。(以下は ぬえ訳)「山が非常に高い標高であるため、遠くにあるはずの海もまるで眼下にあるように近く見える」「一方その山の稜線を切り裂く谷は断崖の装いで、その底に流れる谷川の水は、海よりはずっと近いはずなのに遙かに遠くの奥底にある」。
「前には海水瀼々として月真如の光を掲げ、後には嶺松巍々として風常楽の夢を破る」は「前に見える海には月光が照り返り、仏法の真理の普遍性を現すよう。一方後ろにある険しい峰では松を吹きすさぶ風の音が悟りの平安を願う夢を覚ますようだ」
「刑鞭蒲朽ちて蛍空しく去る。諌鼓苔深うして鳥驚かずともいひつべし」は「刑罰に使う鞭の穂も使われずに朽ちて蛍が去来し、悪政を諫める太鼓も打たれずに苔が生え、鳥がその音に驚くこともない」の意。善政・平和のたとえとして『和漢朗詠集』に載る詩ですが、ここでは閑寂なさまを表現したいのでしょう。文意としてはここは少しちぐはぐな感じは否めませんけれども。。なお「刑鞭」がなぜ「蒲」なのかは、罪人を打つ鞭の穂にやわらかい蒲を鞭に使い、それさえも使われずに朽ちた、という、後漢時代のやはり平和な世のたとえの別の言葉「刑鞭蒲朽」が混じり込んでいるから。また「諌鼓」も中国の話で、帝王が門に設置した太鼓。間違って悪政を行って人民が苦しむときは、自由にそれを打って自分に知らせるようにと気遣ったのです。もっともそのような帝王が悪政をするわけもなく鼓は苔むしたのだそうで、「鳥驚かず」というのも、使われない太鼓の中に巣を作った鳥も安心して住処とできた、という意味なのだそうです。
以下はクセの文章と型。ここも難解な語釈が主になってしまう事をお許しください。。
地謡「遠近の、たづきも知らぬ山中に、おぼつかなくも呼子鳥の、声凄き折々に、伐木丁々として、山さらに幽かなり(と上を見上げ)、法性峰聳えては(右まで見回し)、上求菩提を現はし、無明谷深きよそほひは(下を見込み)、下化衆生を表して(足拍子二つ踏み)、金輪際に・及べり(立ち上がり扇を返して下を見込み、大きく足拍子を踏む)
「伐木丁々として」は木こりが木を伐る音。「法性峰聳えては上求菩提を現はし」は「万物の実体そのもののように厳然とした様子でそびえ立っている峰々は、菩提を求めて修行する菩薩の精神を表し」、「無明谷深きよそほひは下化衆生を表し」は「深い谷は煩悩から逃れ得ない衆生の姿。同じく菩薩が教下済度の誓願を起こしたまさにその対象」。「金輪際に及べり」は「その深い谷は無限に深いといわれる地下の最下層にまで及ぶ(=菩薩の誓願も際限なく及ぼされる)」。