ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

ワキ方の流儀について

2006-07-31 11:54:10 | 能楽
『藤』という能と囃子方。承前。

一昨日は新潟薪能に出勤してきました。まだそのときは東京はじめじめした陽気でしたが新潟は快晴で、しかも涼しい風が吹き渡り爽やかなこと!今年の薪能はみ~んな雨にたたられて雨天会場に変更されてきたので、なんと今年はじめての野外能となりました。上演したのは『屋島・弓流』と『葵上』の二番と野村萬斎さんの狂言『附子』。白山神社のご祭神は女神さまだったはず。喜んでくださったでしょうか。

さてこの薪能に出勤されたワキは福王流の方でした。先日師家の月例会で『藤』の地謡に出ていて、そのときには宝生流のおワキが勤められていて、おワキの流儀による「決まり事」の違いのような事を漠然と考えました。

現存するおワキの流儀は福王流・宝生流・高安流の三つです。福王流はシテ方観世流と近しい関係にあって、詞章もほとんど観世流と同一。同じく高安流はシテ方の金剛流に近く、詞章も似ているとのこと(ぬえが確認したわけではないですが。。)、宝生流は現在は廃絶した春藤流(しゅんどうりゅう=金春座付きの流儀)から分かれた流儀で、かつて宝生座付きであったために宝生を名乗っておられますが芸系は下掛リで、シテ方宝生流と区別するために「下掛宝生流」と呼んだりしています。面白いのはこのお流儀は独自性が強く、詞章もシテ方のどの流儀とも違う独自本文を持っていて(シテ方金春流とやや近い、という指摘もあり)、謡の技法も独特のニュアンスがあります。なお、やはり明治期に廃絶した流儀として春藤流のほかに観世座付きの進藤流がありました。

さて現在、お客さまが舞台で能をご覧になる場合、おワキの流儀の違いを比較してご覧になる機会は地域によってかなり限られています。東京では福王・宝生・高安の三流とも役者がおられたのですが、先年 高安流の和泉昭太朗氏が亡くなって、それ以来東京では高安流のおワキを見る機会はめっきり少なくなってしまいました。それでも東京では福王流と宝生流の二流の役者がおられるのですが、役者の人数では圧倒的に宝生流の方が多く、どちらかといえば優勢であるように思います。逆に名古屋では宗家もご在住の高安流の役者しかおられず、京都は高安流、大阪と神戸は福王流、北陸は宝生流、というように、地域によって役者の数に偏りがあります。もっとも京阪神では比較的自由に役者が行き来しておられるようですし、交通機関が発達した現代では東京の役者と関西の役者の共演、などという事も珍しくなくなってきましたが。

実際の能の上演ではシテとワキとの流儀が異なっているため(正確に言えば、現代では昔のシテ方の「座付き」の関係にこだわらずに自由にシテ方の流儀とおワキ方・囃子方の流儀が共演しているため)、シテとワキのやりとりの問答が微妙に言い回しが食い違う事もあって、それは事前の申合でよくお互いの詞章を確認しています。たまに見所で謡本を見ながらご覧になっておられるお客さまから「ワキが言葉を間違えている」という感想が出たりしますが、それは多くの場合、お客さまがシテ方の謡本をご覧になっておられるからで、おワキはそれぞれの役者が属するお流儀の詞章に従って謡っておられるのです。それどころか上演にやや具合が悪い詞章の違いがあった場合はおワキがシテの文句に合うように謡い変えてつき合ってくださっていて、シテ方の各流儀の公演にその都度おつき合いをするおワキは公演の事前に毎度大変な作業をしておられるのです。