ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『藤』という能と囃子方。

2006-07-23 23:10:30 | 能楽
今日は師家の月例会で、ぬえは仕舞と能『藤』の地謡のお役に出演していました。

『藤』という曲は上演が珍しい曲ですが、ぬえの師家では意外や好まれる曲でして、毎年のように上演されています。ぬえも舞った事がありますし、同門も大概は勤めた経験があって、中には「僕は二度勤めたよ」という先輩もありました。この遠い曲を二度。。実際『藤』は、ただ遠い(=上演が稀、な曲を「遠い」と表現します。一種の「楽屋言葉」のようなものでしょうか)だけではなくて、面倒な曲でもあるのです。

『藤』という曲は観世流のほかにも宝生流と金剛流にもレパートリーとして伝わっているのですが、それならば少しは上演の機会もありそうなものです。そして実際に宝生流では時折、という感じらしいですが上演される事もあるそう。そうなると、たとえば『吉野天人』のように、観世流だけがレパートリーとして伝えている曲よりも上演頻度は多いはずなのですが。。そこがこの曲の難しいところで、宝生流・金剛流に伝わる『藤』と、観世流の『藤』は詞章に大きな異同があるのです。

『藤』のあらすじはこんな感じ。“田祜(←この字見えてますか~?示偏に古い、という字です)の浦を訪れた僧が松の梢に掛かる山藤を見て「おのが波に同じ末葉の萎れけり、藤咲く田祜の恨めしの身ぞ」という新古今集の歌を吟じると里女が現れて藤の花にとって不名誉な歌を吟じるのを咎め、自分は藤の花の精だ明かして消える。その夜僧が読経していると藤の精が現れて仏法を礼賛し、この浦の四季の景観や春の形見としての藤の花の美しさを賛美して舞を舞うが曙の霞の中に消え失せる”

取り立てて深いテーマを持った曲ではなく、花の精が舞う、というビジュアルとしての美しさを狙った曲、風情の曲でしょうね。ところが観世・宝生・金剛ともほぼ同じストーリーのこの曲なのに、そもそも前シテの里女が現れる契機となる、僧が吟ずる歌そのものに流儀による異同があるのです。上記は観世流の詞章なのですが、宝生・金剛流ではワキ僧が吟ずる歌は「常盤なる松の名たてにあやなくも、かかれる藤の咲きて散るやと」となっています。これ以後もシテやワキの問答や地謡の文句にもおおまかには同じ文章のようでいながら微妙な長短とか言い回しの違いがあったりするのです。

この曲は江戸期に作られた比較的新しい作品で、おそらく越中のご当地ソングとして地元の大名などの周辺で作られたのだと推測されていますが(上演の史料上の初出が仙台の伊達藩だったりと、問題点はあるようですが。。)、ありていに言えば観世流の『藤』は後世の改作で、『梅』との類似点がある事から観世元章の手になる改作だろうと推測されています。

このような流儀による「微妙な違い」というのは囃子方やワキにとっては大きな苦労となるわけで、ぬえが『藤』を勤めたときも、稽古能の際に囃子方に「今日は“観世の”『藤』ですからね。宝生流じゃないですから間違わないでね」と軽口を言ってみたら「そうだったらどんなに良かったか。。」と真顔で言われてしまった。稀な上演であるはずなのに、それでも微妙に宝生流の方が上演頻度は高いのでしょう。

同じように、シテ方の流儀による「微妙な違い」がある「囃子方泣かせの曲」というのはほかにもあるそうで、『弱法師』『巴』などはその代表例なのだそうですね。ぬえは囃子オタクなので割と囃子には明るい方だと思うが、さすがにシテ方の謡は観世流しか知らないので、そういう囃子方の苦労まではわかりません。みなさんいろいろと努力されて舞台に臨まれているんですね~
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