「ウォーキング三昧」in 滋賀

「ウォーキング三昧」は2013年3月以来発信して来ましたが2019年5月1日、「スローライフ滋賀」に移行しました。

いちかわ歩こう会 江戸川歩輪ピックウオーク (10/13)

2014年10月16日 06時00分00秒 | ウオーキング

↑台風接近の中、市川関所跡(江戸川・国府台堤防)に集合したウオーカー

10月13日(月)、今年の「江戸川歩輪ピックウオーク」は台風19号接近がしていたが参加してきた。
一昨年までは40kmのコースもあったが40kmコースはなくなり最長が30kmだ。特別な企画はともかく一般的な例会は距離が短くなる傾向にある。これはウオーカーの高齢化によりある程度仕方がないだろう。
台風接近で参加者も少なく目分量で50名位だっただろうか。
今回は10kmに参加するつもりで参加したが歩友とも久しぶりにあったので20kmコースに変更し、最終的には30kmにした。今回は台風の接近もあってか小雨模様のウオーキングだった。しかし、南房総では一人ウオーキングだが歩友と楽しく歩けた。有り難うTさん。


↑見送るいちかわ歩こう会の役員さん

↑20kmコーススタート

↑今回は船歩のTさんといちかわ歩のEさんの3人で歩いた

↑チェックポイントの役員さん(Kさん、Dさんお疲れ様)

↑水門を通過

↑江戸川を渡る

↑見えますかスカイツリー(モヤで見えにくい)

↑ゴール手前の江戸川河津桜の木(春には綺麗に咲く)

↑ゴールで待っていてくれた役員さん(ゴールでは金メダルチョコレートを頂いた)

↑ゴール付近の市川関所跡

CWA設立35周年記念ウオーク ちばアクアラインマラソン2014応援ウオーク(10/19)

2014年10月15日 06時00分00秒 | ウオーキング
今年もCWA主催の「ちばアクアラインマラソン2014応援ウオーク」が行われるので紹介する。

以下、CWAニュースより

《千葉県54ウオーク袖ヶ浦市・木更津市》
主催:CWA 043-255-0141
日時:10月19日(日)8時45分団体歩行
集合:JR内房線袖ヶ浦駅前イベント会場(袖ヶ浦駅前徒歩1分)
参加費:CWA加盟団体200円・その他300円
解散:7km:15時頃 JR内房線巌根駅
11km:15時頃 木更津内港公園(JR内房線木更津駅西口徒歩15分)

7kmコース:袖ヶ浦駅前~三井アウトレット~(トップランナーから応援・昼食)巌根駅
11kmコース:袖ヶ浦駅前~三井アウトレット~金田中前沿道(トップランナーから応援~江川運動公園(昼食)~木更津内港公園(ゴール前沿道応援)~ゴール地点(木更津駅西口迄1.2km)

○ショートコース参加者は三井アウトレットの中にて買物できる時間があります。

2014年南総里見まつり(紹介)(10/18)

2014年10月14日 06時00分00秒 | 日本の祭り

↑南総里見まつりホームページ写真より

今年も「南総里見まつり」の時期がやってきた。今年は10月18日(土)の1日開催だ。
昨年の里見祭りの模様は2013年10月22~23日のこのブログでも紹介している。
武者修行、山車・神輿、花火など満載であり、北条海岸をメインに繰り広げる。
会場は館山駅から直ぐ近くで東京、横浜、千葉からの高速バスもある。興味のある方はどうぞ。
季節もよいのでウォーキングにも最適、併せて海の幸も最高だ。

http://satomi.tateyamacity.com/

100名城めぐり (25城目登城) 甲府城(舞鶴城)

2014年10月13日 06時00分00秒 | 日本100名城

↑甲府城(舞鶴城)入口
10月11日(土)、武田氏館に続いて甲府城を訪れた。
甲府城はJR甲府駅の直ぐ南にあり、城壁は当時立派な城を思い起こさせる。
甲府城は昔、都留の姿に似ているよ言うので舞鶴城と言われる。
甲府城は武田信玄の居城ではない。豊臣が武田を押さえるために築城をした城だったが徳川になって改築を重ねてきた。甲府は徳川直径で御三卿の地であり将軍も輩出している。また、あの柳沢吉保の居城の時もあった由緒ある城だ。


↑橋を越えて登城開始




↑今も残る立派な城壁

↑城内の櫓

↑本丸への道

↑本丸から見える富士山

↑鉄門を通って下城した


100名城めぐり (24城目登城) 武田氏館

2014年10月12日 06時00分00秒 | 日本100名城

↑100名城武田氏館(武田神社)

10月11日(土)、武田氏の3代の居館である「武田氏館(たけだしやかた)」を訪れた。
現在は武田神社となっているが典型的な城のたたずまいではない。当時の全景はかなり大きなものだった。
武田氏館は甲府駅から1本道を北に1kmくらい上がったところだ。
武田氏が勝頼の代で滅亡し、甲府の主役は事実上の平定後の甲府城に移ることになるが武田氏館を見ると中世と近世の城郭の違いがよく分かる。
戦国の雄、武田信玄の存在により歴史に名を残すことになったがその当時を思わせるものが甲府に少ないのは残念である。


↑武田氏館(たけだしやかた)跡

↑武田氏館(武田神社)全図

↑武田氏館(躑躅ヶ崎館跡)

↑現代の武田武士の甲冑姿

例会ウォーキングコースの利活用に想う

2014年10月11日 06時00分00秒 | ウオーキング
南房総に赴任して正に「ウイークエンドウオーカー」になってしまった。
千葉県内の歩こう会の例会・活動からみると2つの流れがある。

1.月例ウオーク:大半の例会は月1-2回、土曜日か日曜日に開催
2.ウイークデーウオーク:月1回程度ウイークデーに開催

特に、ウイークデーウオークは勤労者は参加できない。つまり勤労者外の年金対象者が主な参加者となる。しかし、現在の私のように勤労者がウイークエンドに参加できるようにするには既存のウォーキングコースを利用すればもっと手軽に週末にウォーキングできるのではないか。
つまり、例会その都度手間暇掛けた手作りの例会とは別に、「既存コース利用ウイークエンド・ウォーキング」を開催はどうだろう。
もう少し詳しく述べれば、
ウイークエンド・ウォーキング
・対象:中年や勤労者などを含む
・開催:月2回程度 土曜か日曜

私の知る限り、定期的に同じコースを利用しているのは柏の葉ウォーキングクラブの「健康コース」と、いちかわ歩こう会の月例会は基本的に毎年同じコースだ。その他の歩こう会の大半の例会は毎回趣向を凝らし手間がかかっている。
確かにコースを開拓しなければコースがマンネリし易く、新しいコースは楽しみも増える。
しかし、折角開拓したコースが1回限りで眠ってしまっているのは如何にももったいない。千葉の500選でさえ眠っている。
また、各歩こう会が手間暇掛けて作ったウォーキングコースをCWAが年間大賞などして表し、これらのコースをオープンにして、その後も多くのウオーカーに歩いて貰うのはどうだろう。

100名城めぐり(23城目登城) (伊賀上野城)

2014年10月09日 06時00分00秒 | 日本100名城

↑三重県の伊賀上野城

9月20日(土)午後、福井の丸岡城、二乗谷城についで三重の伊賀上野城を訪れた。
予想に反して立派な城であった。
伊賀上野城は、慶長16年(1611年)に徳川家康の命を負って藤堂高虎が拡張した。大坂の役によって、当時高虎が従属する徳川家康に対立していた豊臣氏が滅んだため築城が中止され、本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のままだった。(Wikipediaより)


↑上野公園を上がって行く


↑伊賀上野城天守閣

↑城の歴史書き

↑城壁


↑お城のお堀と裏から見る天守閣


お祭りウオーク(佐原の秋祭り10km((10/11)

2014年10月08日 06時48分51秒 | ウオーキング
東総歩こう会主催の10月例会は佐原の秋祭りウオークを紹介する。

以下、CWAニュースより

千葉県54ウオーク香取市
主催:東総歩こう会 電話:090-4243-6769(川尻)
日時:10月11日(土) 9時15分 団体歩行
集合:佐原中央公民館(JR成田線佐原駅 徒歩3分)
参加費:東総歩無料・その他300円
解散:11時30分頃道の駅水の郷さわら(JR成田線佐原駅・佐原の町並み共に徒歩20分)
コース:佐原中央公民館~両総用水~白楊高校前~諏訪神社~古い町並み~観福寺~新部橋~県立佐原病院前~利根川~道の駅水の郷佐原

みどころ:諏訪神社の秋祭りは、小野川の西側一帯(新宿地区)を14台の山車が曳き廻され、「佐原の山車行事」として、重要無形民俗文化財に指定されています。今年は例祭で、町内ごとにルートを決めて曳き廻される「乱曳き(らんびき)」や山車の曳き廻しの見せ場の「曲曳き(きょくびき)」が行われます。曲曳きには、「のの字廻し」、「こばん廻し」、そろばん曳き」など、見ごたえが有ります。解散後は、各自で祭りを堪能下さい。

100名城めぐり(22城目登城) (北陸 一乗谷城)

2014年10月07日 06時00分00秒 | 日本100名城

↑一乗谷城朝倉氏の遺跡の門

9月20日(土)午前、福井の丸岡城に続いて戦国時代の北陸の雄「朝倉義景」の居城であった一乗谷の朝倉遺跡を訪れた。

一乗谷城は福井市街の東南約10キロメートル、九頭竜川水系足羽川支流である一乗谷川下流沿いの細長い谷あいに築かれた戦国時代の城下町と館跡および背後の山城が一乗谷朝倉氏遺跡である。一乗谷は、東、西、南を山に囲まれ、北には足羽川が流れる天然の要害で、周辺の山峰には城砦や見張台が築かれ、地域全体が広大な要塞群であった。(Wikipediaより)

本丸跡は館跡の背後の3-400mの山頂にあり徒歩で1時間ほどあるらしい。今回は時間の制約もあり登れなかった。
戦国時代の要所は山間部など現代の尺度であれば不便なところが多い。守りの要塞であろうか。


↑朝倉氏遺跡(庭園や館)とその後ろにある山頂には本丸があった

↑門の左は庭園跡

↑時の将軍足利義昭を招いた有名な広大な庭園跡

↑朝倉義景の墓



↑広大な遺跡


↑復元された武家屋敷と町屋


100名城めぐり(21城目登城) (北陸 丸岡城)

2014年10月06日 06時00分00秒 | 日本100名城

↑福井の丸岡城天守閣

9月20日(土)、思いついたように朝から福井の丸岡城を21番目の100名城として訪れた。
100名城を知るまでこの城のことを良く知らなかった。

1576年(天正4年) 織田信長の家臣で、越前ほぼ一帯を領していた柴田勝家の甥である勝豊により築城された。
1582年(天正10年) 本能寺の変の後の清洲会議により、勝豊は近江国長浜城に移された。代わって勝家は安井家清を城代として置いた。
1583年(天正11年) 柴田勝家が豊臣秀吉によって北ノ庄城で滅ぼされると、この地は丹羽長秀の所領となり、長秀は丸岡城主として青山宗勝(修理亮)を置いた。(Wikipediaより)
秀吉に滅ぼされたが柴田勝家に通じる城である。