↑観音寺城跡
9月19日(金)、小谷城、彦根城、安土城に続いて4城目の観音寺趾を訪れた。
観音寺城は私の実家からそう遠くないところにあり近くには何度も行っているがが城跡は見たことがなかった。
観音寺城は西国32番札所「観音正寺」の傍にあったのだが戦国時代(主に安土桃山時代)前に東近江を統治した佐々木氏、六角氏の居城である。
近江源氏の佐々木氏、後に近江守護六角氏の居城で、小脇館、金剛寺城を経て六角氏の本拠となる
標高432.9メートル、南北に伸びる繖(きぬがさ)山の山上に築かれる。南腹の斜面に曲輪を展開、家臣や国人領主の屋敷を配した。総石垣で、安土城以前の中世城郭においては特異な点とされる。天文年間には城下町・石寺も置かれ、楽市が行われていた。周辺は琵琶湖や大中の湖、美濃から京都へ至る東山道、長光寺集落から伊勢へ抜ける八風街道があり、それらを管制できる要衝に位置する。(Wikipediaより)
西国32番札所巡りでは多くが「観音正寺」を訪れるが観音寺城は歴史からも、城があったことも忘れ去られている。地元の人も観音正寺のことを語っても観音寺城のことを語る人は殆どいない。今回、佐々木城趾の道が分かったので次回帰ってきた時にでも探してみよう。但し、道なき道で迷いそうであるが。。。。
只、この観音寺城が100名城の1つとしての考理由は恐らく「歴史上の重要性」であろうが史跡の整備保存や案内、地元のバックアップなどが極めて薄い。折角、全国から名城ファンが訪れるであろうが失望を与えるのではないかと残念である。
↑西国32番札所「観音正寺」の大仏様の脇見を下って行く
↑今は観音正寺となっているが明らかに城壁を右に下って行く
↑途中階段があった(当時もあったのだろうか)
↑本城があった広場
↑観音正寺途中に佐々木城の看板があった