↑現在の「酒山砦」があった場所
11月6日(日)午前、八千代市の吉橋城からの岐路、北習志野にあったとされる「酒山砦」の場所に立ち寄った。また、11月9日(水)のウォーキング例会後にも再度、団地内を訪れた。
「酒山砦」は「北習志野近隣公園」と道を挟んだ西側の習志野台12街区住宅住宅の一角にあったされるが今ではその欠片もなかった。只、道から少し高い位置が昔、砦があったのかなと勝手に想像する。11/9に団地内を改めて散策したがかろうじて昔の名残かなと思うのは土盛りだけである。
1500年代中期、この辺りは三方を沼に囲まれ、残る東方の平地には木柵を幾重にも立て重ねた要害地だったようだ。
現在、台地はすっかり平らに削られ、沼地も埋め立てられてしまい完全に市街地となっている。しかし、戦後直後まで半独立状の長方形の区画があったようでこれが酒山砦の跡であろうと言われている。
習志野は明治以降、陸軍の演習地で、それよりも昔は原野だったのではないかと思われる。江戸時代、この辺りは村は存在せず、明治においても「習志野原」と呼ばれていた。軍都としての広い習志野も開発され、殆どが削れとられ、今では都市化され面影は全くない。
↑砦があったとされる付近の土盛り
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