「ウォーキング三昧」in 滋賀

「ウォーキング三昧」は2013年3月以来発信して来ましたが2019年5月1日、「スローライフ滋賀」に移行しました。

ぶらり一人ウオーク 川端康成ゆかりの船橋「三田浜楽園跡」を訪ねて (4/8)

2016年04月09日 05時43分28秒 | ウオーキング

↑三田浜塩田・三田浜楽園跡の碑(船橋市市役所正面玄関前の湊町2丁目公園内にある)

船橋市には文豪の川端康成ゆかりの「三田浜楽園」と太宰治ゆかりの「玉川旅館」が知られているがその周辺を当時を想いながら4月8日(金)に歩いてみた。

三田浜楽園の場所は、明治初めに三田浜塩田として開拓されたもので、1929(昭和4)年には塩田は廃止され、三田浜楽園という遊園地ができた。そのころの三田浜楽園には、動物園・野球場・プール・割烹温泉旅館などが造られ、習志野市の谷津遊園とならんで東京近郊の観光地となっていたと言う。
割烹三田浜楽園は昭和の初期に開業し、2006年に高層マンションの建築と共に79年の歴史を閉じている。10年前のことであるから市民は三田浜楽園のことを覚えている人もまだ多い。

川端康成が1935(昭和10)年に発表した小説童謡は、この三田浜楽園で書かれたもので、"静かな割烹旅館" として描かれている。その頃、川端康成は親子が泊まれる部屋を月ぎめで借りており、よく子供ずれで釣をしていたという。

この場所は船橋駅から7-8分の船橋市役所近くで、今は昔の姿は全く存在せず、高層マンションとなり記念碑のみ存在している。
現在も存在する料亭「玉川旅館」と「三田浜楽園」は隣同士で、「玉川旅館」は太宰治らがよく利用したと伝えれている。太宰治は1年間船橋に住んだことがあるが当時の家は今はない。

こう考えてみるとかつての船橋は東京から適度に離れた海浜・漁港で、芸術家の避暑地的か隠れ家的居場所だったのだろうか。我孫子は白樺派の芸術者の街として知られているが船橋は今は都市化され、昔の面影はないがその当時は芸術家が集まる場所の1つでもあったのだ。
昭和10年頃の話なので川端康成も太宰治も同時期船橋に滞在しており、接触があったり会っていたかもしれない。何せ玉川旅館と三田浜楽園は隣近所だったのだから。。。
こんな夢想をしながらの楽しいウオーキングだった。


↑NTT船橋支店ビル裏ののっぽマンション「パークハウスプレシアタワー」が三田浜楽園があった場所

↑三田浜楽園記念記がある湊町2丁目公園(船橋市役所正面前)

↑三田浜楽園の説明

↑当時の三田浜の全景(出典:船橋市HPより)

↑現在も存在する玉川旅館とその後ろの高速マンションが三田浜楽園のあったところ

↑玉川旅館の歴史説明

↑途中見つけた三田浜の名称”三田浜食堂”(三田浜楽園と無関係?)


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