「ウォーキング三昧」in 滋賀

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強者共の夢の跡 「下総・吉橋城」(八千代市)探索 (11/6)

2016年11月14日 05時00分00秒 | 千葉の城郭

↑千葉県八千代市にある中世の吉橋城趾石碑

11月6日(日)午前、八千代市吉橋にあった「吉橋城」を訪れた。貞福寺と隣の台地が郭があった場所である。

吉橋は元々千葉氏の所領であったが、戦国期の吉橋城主であったという高城伊勢守は吉橋城を根城に勢力を振るったが天文5、6年に後北条氏に攻められ、吉橋城は落城したと言われている。落城後に家臣の一部が近くの楠ヶ山に移り住み帰農し、それらの者は故郷を懐かしんで吉橋姓を名乗ったという。現に貞福寺の手前の家も吉橋さんだった。

吉橋城は、吉橋地区の10mほどの台地にあった。現在、台地には「貞福寺」があり、この寺と切通しの道を挟んだ北側の2つの郭が認められる。吉橋城趾の主郭は「貞福寺」の裏側に、土塁で囲まれた四角形の平らなところにあった吉橋城趾の石碑は土塁を割って作った出入口近く入ったところにひっそりと建てられていた。この場所は現在、ゲートボールに使っているという。

現状に残る地形や土塁などから見ても明らかに城があったことが判る。また、周囲を見て昔はかなり大規模な城があったものと推察できる。現在は船橋市ではあるが楠ヶ谷城、坪井城、小穴城(古和釜城)、金堀城など近いエリアに城があったようであるが吉橋城の出城だったのだろうか。。。


↑吉橋城郭があった場所(現在は広場になっている。50-60m四方)

↑切り通しの土塁から入れば吉橋城郭に出る

↑吉橋城趾と貞福寺の間の切り通し
↑貞福寺への階段(右側の土塁台地も郭跡)
↑貞福寺(右側にも郭跡)





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