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【滋賀・近江の先人第12回】陶磁器商人豪商・辻惣兵衛(滋賀県日野町)

2019年02月19日 06時56分02秒 | 滋賀・近江の先人
辻惣兵衛(日野屋)は、1830年(天保年間)、関東持ち下がり商売で巨万の富を築いた近江日野商人の一人。

1861年(文久年間)には、奧州南部、盛岡、大坂に呉服店を開き、また手広く金貸業も営んだ。
辻惣兵衛家は幕末から昭和時代前期に、陶磁器商として活躍し、江戸、瀬戸、明治8年(1875)年頃に多治見にも出店した。
盛岡には「日野屋惣兵衛」の大店を構え、奥州盛岡の南部藩より山蔭焼の経営を委託されたこともあったそうだ。

豪商、辻惣兵衛にこんな謂われもある。惣兵衛は伊豆の三島で醸造業の店を出し、商売に励んで冨を蓄えた。
これを故郷に持ち帰りたいが、惣兵衛は儲けたお金を故郷に持ち帰るため度々三島と日野の間を往復したが道中、大金を持ち歩きすることは山賊や盗賊がいるためなみ大抵のことではなかった。
そこで松の盆栽の鉢の底へ小判を隠し、故郷へ無事に持ち帰ることが出来た。神のご加護のおかげと境内にその松を植え千両松と呼ばれた。今も馬見岡綿向神社にそびえ立つ。

幕末から昭和(戦前)にかけて、陶器商(陶磁器商の屋号がカネ大)として活躍した辻惣兵衛家が辻惣製の名で製作した陶磁製品が多数あるという。この頃には辻惣兵衛は大阪の陶磁器商となっていた。
辻惣兵衛と焼き物の関わりは南部藩で山陰焼き廃窯後も大阪で陶磁器販売業を手がけ、明治期以降は瀬戸、美濃を拠点に国内、海外向けの製造販売も行い、酒器セットや辻惣の銘や菊水マークのポット、ミルク入れ、カップ&ソーサーなどの洋食器も手がけている。

しかし、盛岡では同じ近江日野出身の庄野玄三と並ぶ豪商だった戦後の豪商辻惣兵衛店は衰退したのかその後の足取りが掴めない。
もう少し追跡調査研究の必要がありそうだ。


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