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【滋賀・近江の先人第19回】飛鳥時代の日本の皇族・歌人。天武天皇の妃・額田王(ぬかたのおおきみ)(野洲市)

2019年03月20日 07時00分00秒 | 滋賀・近江の先人
額田王(ぬかたのおおきみ、ぬかたのきみ、生没年不詳)は、飛鳥時代の日本の皇族・歌人。大海人皇子(天武天皇)の妃(一説に采女や巫女)。
滋賀県野洲郡鏡里出身(現野洲市)。出生地に関しては大和国平群郡額田郷や島根県東部(出雲国意宇郡)に求める説がある。

額田王は、東近江市にも非常に関係がある。
それは東近江市に「蒲生野万葉の森」があり、ここであの有名な額田王と大海人皇子(天武天皇)が狩りと歌を読んだところだ。
天武天皇(てんむてんのう)は、7世紀後半の日本の第40代天皇で天智天皇とは異父兄弟であった。従って、1400年も前の人達である。
興味のある方は是非、東近江市の「蒲生野万葉の森」を訪れ、思いを馳せて欲しい。特に春の桜は綺麗である。

2018年春の万葉の森
https://blog.goo.ne.jp/ntt00012/e/5721ca6f2953099d3a8279b6fd34921d

額田王(『万葉集』)の表記が一般的であるが、額田女王、額田姫王(『日本書紀』)、額田部姫王(『薬師寺縁起』)とも記される。
『日本書紀』には、鏡王の娘で大海人皇子(天武天皇)に嫁し、十市皇女を生むとある。
十市皇女の出生後、天武天皇の兄である中大兄皇子(天智天皇)に寵愛されたという話は根強いが確証はない。状況証拠は『万葉集』に収められた歌のみである。

鏡王は他史料に見えないが、「王」称から2世 - 5世の皇族(王族)と推定され、一説に宣化天皇の曾孫という。また、近江国野洲郡鏡里の豪族で壬申の乱の際に戦死したともいう。

特に
茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(額田王)

紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(大海人皇子=天智天皇)


の2首などをめぐって天智・天武両天皇との三角関係を想定する理解が一般にある。

額田王が絶世の美人であったというのは小説などでは通説となっている。しかし額田王に関する記述がごく限られており、その容貌について物語る史料があるわけではない。
(Wikipediaより引用)


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