↑現在の長福寺
船橋市夏見にある「長福寺」の前をウォーキングで何度も通り、その近くに「稲荷神社」があるのも知っていたがまさか城跡とは思っていなかった。「夏見城」(なつみじょう)は現在の千葉県船橋市夏見にあった中世の日本の城である。現在は、「長福寺」という寺となっていて、城趾だったとは一見では全く判らない。現に何回も通っていても気づかず、城だったとの表示もない。
Wikipediaによると、詳細は不明だが、夏見城は船橋にある城の中で唯一、城主が明らかになっており、時は戦国時代の最中の永禄の頃(1558~1569)には、夏見政芳が城主であったことが分かっていて、政芳は地元の住民を大層慈しみ、大変人々に慕われたという。また、長福寺は政芳によって再興されたと伝わっており、永禄11年(1568年)、夏見城は近隣の豪族に攻められ、奮戦虚しく落城、政芳は一族と共に討死または、抜け穴から逃れ他国に落ちたという言い伝えが残されている。このことが、廃城の原因となったという。
戦国時代の合戦は中部西国が中心で千葉は大局的には無風状態に近い。しかし、その前の時代の鎌倉時代や平家時代の中世、関東武士が台頭し、戦は多くあっただろう。中世の城は戦国以降の城とは異なり、館や砦の機能だったかも知れない。
9月15日(木)午後、雨が止んだので今回、元夏見城としての「長福寺」を改めて、ウォーキングを兼ねて訪れた。
長福寺は丘らしき少し小高い場所で上り坂の上にある。また、山門を潜り境内に入っても歴史や謂われの看板もなく、そこが城跡だった形跡はない。しかし、その目で更によく見て、お墓の裏の林の方に進むと曲輪、土塁らしき形跡があった。もし、長福寺が夏見城趾であれば、その旨の説明書きでも出し、PRすればもっと訪れるに違いない。
↑境内奥のお墓の後ろの林
↑曲輪方面の入口
↑林の中は曲輪の気配
↑崖は土塁らしき気配
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