↑高遠城趾
7月4日(火)、今回は関西からの帰路、中央高速道路を途中下車して、長野県伊那市の「高遠城(たかとうじょう)」に登城してきた。
「高城城」は兜山城の別名を持ち、戦国時代、対織田・徳川軍の武田軍の砦の役割を果たした。
高遠城の縄張りは中世の状態を踏襲し、本丸には御殿と天守代用として三層の辰己櫓が上がり、主要な城門は枡形虎口形式の櫓門が建てられており、長大な長塀に囲まれた近世城郭であったと言う。
現在は石垣、土塁、空堀、門のみ残る。明治4年(1871年)の廃藩置県で、城が取り壊され、明治8年(1876年)に公園となっており桜の名所として有名だと聞く。
7/4は台風3号の影響で雨だったのでゆっくり散策できなかった。早々に散策し、近くの歴史博物館でスタンプを得た。
↑案内板
↑高遠城本丸への橋
↑二の丸跡
↑立派な空堀
↑高遠城の戦い
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