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↑館山市波左間港近くにある魚雷「震洋」の滑り台
館山にある戦争遺跡の1つである「第1特攻戦隊「震洋」基地跡」を訪ねた。
戦史によると第18突撃隊は1945(昭和20)年、一人乗り人間魚雷「震洋」58隻を主力とする第59震洋隊に志願兵176名の若者が配備された。
館山市波左間海岸の特攻基地建設には300名の兵士が送り込まれ、震洋の格納壕、住居、燃料、食糧などが地下壕に突貫工事で掘られ、航空機から発見されないように小さな民家に紛れて配置されていた。
波左間港の近くの海岸にはコンクリート製の滑り台(発進用スロープ)や係留施設が波間に見えていた。今回訪れた時は水面が高かったが戦後60余年、朽ちて来ていると近所の方に聞いた。
「震洋」を海岸まで移動させるためのコンクリート道路が敷かれていて、海岸には波左間海岸から200m位のところに小山があるが震洋の格納壕、燃料や食糧の地下壕があったと言うが残念ながら震洋の格納壕跡は今回見つけられなかった。ただ山肌には何ヶ所かの壕があった。この辺りには多数存在したらしい。
近所の方に場所を尋ねたが大抵の方はその存在を知らなかった。時代は遠くなりにけりである。
その他に今回、洲崎第1砲台跡(館山市加賀名)と洲崎第2砲台(館山市坂田)を探したが見つけられなかった。詳しい場所が不明、住宅や地形が変わっているので素人では見つけるのは難しい。地元の人に聞いても知らない人が大半で昔のことを知る人でないと辿り着けない。
いつかもう一度探して見たい。
↓写真は原画より画素数を落としています。(小さな写真はクリックすれば大きくなります)
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↑波左間海岸の震洋の滑り台
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↑「震洋」を海岸まで移動させるための道路
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↑点在する地下壕