農文館2

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

「愛媛千年の森」と漱石(「森と環境を哲学する」)(上)

2016-06-10 10:46:25 | 日記
 先日、美術館のブログに「康花作品鑑賞会」と題し一文を入力しました。その中で夏目漱石に触れました。実は「鑑賞会」より丁度ひと月前の4月24日、僕は愛媛・松山での講演会で同じように漱石について少し話してきたところだったのです。「鑑賞会」で触れたのはその延長線上のことでした。松山での講演は「愛媛千年の森」の会からの依頼でした。当日、講演に先立ち、「千年の森」を散策した後、元愛媛大学の教授であったS会長夫妻が実践しておられる有機農法による棚田(山の斜面に作られた11枚)を見学させていただき、ただただ感動するばかりでした。厳密に言えば「圧倒された」と言った方が正確です。会長夫妻が関東から移り住んで有機農業を始めたのは、僕と同じ16年前とのことでしたが、僕が目にした光景は、あまりにも隔たりのあるわが麻績村との現実でした。この報告が、ひと月半以上も経ち、「鑑賞会」の後になってしまったのも、その後遺症で、当日の午後から行われた市内での講演での、実践に対する言葉の虚しさを、身をもって感じていたからでした。

 でもその「虚しさ」からひと月半、漸く言葉の大切さ、理知の大切さに再び向き合い始めるようになり、講演会での話が決して無駄ではなかったのではないか、と今では思うようになってきています。今回、愛媛、松山を訪れるのは二度目でした。一度目は、有機農業を始めて間もなくの頃で、十数年前、同士でもあった娘の康花と、日本有機農業研究会の全国大会(今治)に一緒に参加した時のことでした。講演の演題は「森と環境を哲学する」というものでしたが、講演の場所が『坊ちゃん』の舞台となった松山であったということもあって、夏目漱石については是非とも触れておきたいと考えていました。というのも、「千年の森」とあるように、S会長夫妻がやっている事業は、端的に言えば「森の復活」です。つまり、漱石が生きていた時代、以前の風景に戻すこと、近現代が破壊してしまった森の再生活動にほかなりません。漱石は、その近現代の転換点となった明治維新の「西欧化」について、当時の知識人としては最も早くにその問題点を指摘し、警告していた一人だったのです。

 「森と環境を哲学する」講演内容のあらましとキーワードを以下に記載し参考に供します。

コメントを投稿