経済学や政治学が短期的な合理性を追求する利得の最大化を求める学問に堕している今日、それは同時に国民一般がそう望んでいるからという根拠に基づいたことなのですが(流行りの言葉で言えばポピュリズム)、科学技術という耳障りの良い言葉に載せられて、科学者が(実は技術者)が暴走するのを黙認する勇気だけは持ち合わせたくないものです。
4世紀のローマ皇帝ユリアヌスは、およそ700年前の哲学者プラトンの思想を彼の生活信条として政治を行ったとされていますが、ヨーロッパには今なおこうした問いかけ(哲学)があることを私たちは知っておくことも肝要です。たまたま今朝FM放送で聴いていたイタリアの作曲家モンテベルディの歌劇『オルフェオ』は、2000年以上前のギリシャ神話を題材としたもので、恐らくヨーロッパのほとんどの人たちがその物語と宗教性を知っての上で400年余愛聴しているのでしょう。なぜならその宗教性はプラトンにも多大な影響を与えていたからです。もっともヨーロッパがプラトンばかりの影響下にあったと言うことではなく、むしろ同時代の現実主義者アリストテレス対する畏敬の念の方が優っていたことも付け加えておきます。ローマのバチカン宮殿の壁画、ラファエロの『アテネの学堂』にはプラトンとアリストテレスを中心に数多の哲学者や科学者たちが描かれていますが、ヨーロッパを知る上で象徴的な作品です。
と言ってギリシャ・キリスト文明をもたない我等、せめて彼らが生み出した近代工業化社会を自ら問い直したフロイトやチャップリンらの問題提起を通じて、日本の近現代の転換点となった明治維新前の旧暦時代、それが無理なら高度経済成長以前の「素朴な」日本社会・「忍耐強く謙虚であった」常民の有様について、知的世界に足を突っ込んだ学徒もひとまずケインズやマルクスを離れて、日本の歴史再発見の旅に出ては如何かと、明治維新後150年、村上吉子の歌はそんなことを告げているような気がします。
稲刈り、はざ掛けを終え、山から下りてきた神様は、田んぼの神様に仕事を預け、そして見届けて、又田んぼから山に帰って行きました、とさ。