農文館2

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「宙ぶらりんの男」続き

2018-07-31 15:29:59 | 日記
 今月S病院で検査を受け、この間診ていただいた医師は3人、そしてその判定は、2番目の先生が7月17日に下すことになっていましたが、結局、病名不明のまま、S大学病院で再診察することになりました。その日は昨日7月30日、担当は感染症・呼吸器内科でした。携えてきたS病院での検査資料は、時間がたっているとのことで、胸のレントゲンと血液検査を改めてするよう求められました。胸のレントゲンは、右肺に空洞(直径約3センチ)があるのといくつか損傷が見られるというのが理由です。
 ところが今回の検査結果では、幸いに、その空洞も傷も大分回復してきていると言うのです。もちろん血液検査の結果も良好と言うことで、実施するはずであった気管支鏡の検査は中止となりました。担当医のU先生「何か薬を処方されていましたか」。
 実は、当初痰切りの薬を出され3日ばかり飲みましたが、ますます悪化しそうなので止めてしまっていたのです。心当たりになるのは、朝鮮人参エキスと梅肉エキス、日頃体調の思わしくない時に常用していますが、痰切り薬を止めてからは、いつもより量を多くし日に3度飲んでいました。加えて安静と緑に囲まれたど田舎の空気が良かったのかもしれません。でもそんなことU先生には話しませんでした。

 確かに「良くなってきている」兆候は感じていましたが、3人の医師がそろって「重病」?だとほのめかしていたこともあって気分晴れ晴れとはいえない状態でもありました。ですから、今回の結果はそんな気分を多少は和らげてくれたというのが実感です。病名は未だ不確かながら、細菌による感染症(伝染はしません)と言うことのようで、引き続き検査をしながら状況を見てゆくということになりました。

 ところで美術館もそうですが、田んぼには1ヶ月以上入っておりません。見回れば、稲が芽を出し始めている最中、例の“イネモドキ”も稲に負けじとばかり跋扈しています。それが気になるのは、医者の言うとおり、良くなってきているのか、それとも早とちりか、もう少し様子を見ることにします。

 

「沈黙の夏」-ミツバチはいなくなった?

2018-07-21 15:13:50 | 日記
 この欄でも度々取り上げてきましたが、ここのところ我が家周辺では、全くといって良いほどミツバチを見かけることがありません。病院通いのほか自宅にいることが多いせいか、よけいにそんなふうに見えています。ミツバチの天敵であるスズメバチが、昨年二階の軒下に大きな巣を作り、どうしたものかと案じていましたが、女王蜂と全軍はいつの間にか飛び去っていってしまったのか、宿主のいない土色の立派なお城だけが残されています。ミツバチ、スズメバチに加えて田んぼの蛙がめっきり少なくなっているのも気にかかります。田んぼの草取りをする回数が減っていることもあるのかもしれませんが、これまで殿様蛙を見かけたのは一度きりでした。そういえば蛙の天敵である山かがしも見かけません。シオカラトンボ、ムギワラトンボの数も淋しい限りです。そういえば毎年家族連れでやってくるツバメたちにも未だ挨拶をできないでいます。

 農薬のせいなのでしょうか? それともこの異常気象のせいなのでしょうか? 今日も暑い日ざしを浴びた緑の大地は、声を出すこともなくじっと耐えているかのようです。皆さんの周辺ではいかがでしょう。

 自然界の異変を先取りした、いや後追いをしているということなのでしょうか、ツイ先だって話題となった、西日本豪雨中の「自民党赤坂亭」なる写真の全国流布、皆さんはどう見たのでしょう。小生には、この連中はとうとう頭に農薬が回ってきたとしか写りませんでした。西日本豪雨という大災害問題はとりあえずおくとしても、子供や家族身内仲間だけの公開写真であるならばともかく、国を代表する、しかも首相の取り巻き連中の饗宴模様を、マスコミがリークしたのならともかく、取り巻きの国会議員自らが流したと言うのですから、もう何を言わん、恥を知れ! 西部邁氏の絶望が(1月27日付けブログ参照)身に沁みます。学歴と「知識」はあっても、知性の欠片もない(知識と知性は別、また知識と「知識」は別なのです)こんな連中をヨイショする国民、なにやら英国の歴史家ギボンが描く『ローマ帝国衰亡史』に登場するネロ帝やカリグラ帝、コンモドゥス帝とその取り巻き連中を想い起こさせました。彼らがあのローマ帝国を滅亡に追いやったことになるのですが、それに従ったローマ人を、ギボンは「奴隷根性」と断じています。

 東海大学の学長室には、「少年よ大志を抱け」というクラークの言葉が額入りで掲示してありましたが、サッカーも結構、野球も結構、オリンピックも結構、でもその前に「少年よまずは目覚めよ」と付け加えるのは野暮なことなのかと自問します。歴史を振り返り,暖衣飽食,巧言令色に未来のないことは確かです。



「差別即平等、平等即差別」と故阪田貞宜さん

2018-07-18 09:56:01 | 日記
 ここのところ体調不良もあって、眠れない夜が続いていますが、昨夜から今朝方にかけて上記の阪田貞宜さんの夢を見続けていました。知る人ぞ知る、阪田さんは国際ビジネスコミニケーション協会、いわゆる「トイック」設立に関わった方で,理事長・副会長を兼任され数年前に退職されていました。
 小生が知遇を得たのは50年前の20代の頃で、当時氏はアジア経済研究所に所属しながら、新たな情報機関(ワイス)の設立に携わり、小生はその後そこで阪田専務の下10余年、研究員。主任研究員として、世界経済の調査研究に従事することになったのです。研究所は上下の別なく自由闊達で,時間を忘れてする議論が発展途上の頭でっかちには大変刺激的でした。そんな雰囲気つくりをされたのが阪田さんで、小生は身の程知らずに、彼にもよく噛み付くことがありました。そうした会話の中で、特に今なお胸に刻み込まれているのは、議論に窮して「浅学菲才」と脱帽した小生に対し、「研究者としての矜持」を持てと言う忠告でした。日頃、学歴あるなしを超えて所内での研究職と事務一般職との区別を明確にしていただけに、若き研究者の投げやりな言葉に、腹に据えかねたのでしょう。

 最近,しばしば読み返す本の一つに『鈴木大拙禅選集』があります。そのうちの一冊『金剛経の禅・禅への道』1981刊に、「差別即平等、平等即差別」と言う言葉があります。「差別のない平等は悪平等、平等のない差別は悪差別」と言う意です。阪田さんから研究者がどうあるべきかを忠告されて、この本に接したのは大分後になりますが,それでも当時は未だ一知半解、今日漸くそのつながりを改めて強く感じている最中,氏の夢を見たというわけです。氏と再会したのは30余年前,以来ご無沙汰のまま、電話に出られた事務局の方の話によれば、恐れ案じた夢のとおり、「亡くなられた」とのことで、来し方を思い起こしながらただただ無念感が膨らんで行くばかりでした。

 これまでこのブログで、小生にとっての「忘れえぬ人」を何人か紹介させていただいていますが,上述の通り、阪田貞宜さんもそのお一人です。小生が研究者の道を歩む上で欠かすことの出来ない機会と理を授けてくれた方でした。享年99歳。遅まきながら,感謝の念をお伝えするとともに、ご冥福をお祈りいたします。合掌

『宙ぶらりんの男』

2018-07-12 10:28:44 | 日記
 6月半ば頃から体調を崩したのがもとで、7月に入って通院検査も重なり、松本の美術館通いは止めにしています。美術館を設立して、この9月で丸6年になりますが、長期?にわたって休むのは初めてのことです。幸い土曜か日曜日は、M君が出勤してくれていますので、7月一杯までの企画展は何とか続けられそうです。

 それにしても病院での検査、対応してくれたのは3人の医師でしたが、診断はそれぞれで明確な答えと処置が出されないまま今日に至っています。最終的には主治医と思しき2番目の医師が再検査判断することになっているようですが、その医師の都合で来週19日木曜日まで自宅待機となっています。お蔭様で、微熱と痰つまりで不眠も続きで不快な毎日を過ごしています。それはあたかも20世紀アメリカの最大の文豪ソール・ベロー描く『宙ぶらりんの男』の如くです。でも振り返って見れば、何もこの一、二週間のことにかぎらず、つねに「宙ぶらりん」であったような気がしなくもありません。
 
 30年近く前、上司であったT大学学長とカナダのブリティッシュ・コロンビア大学学長と歓談する機会があり、理系出身のお二人に、文系出身の小生はソール・ベローについてお話ししたことがありました。ベローの作品には『犠牲者』、『オギーマーチの冒険』や『ハーツオーグ』などの代表作の他数多くの秀作があり、小生にとっては、カポーティーと共にアメリカの現代文学を代表する作家でした。その時以前以来、『宙ぶらりんの男』への思いはやはりあまり変わってはいないようだということを改めて認識しています。

 唯この間、「宙ぶらりん」であったが故に、一つだけはっきりしたのは、というより前々から口にはしていましたが、それこそお蔭様で、身近な課題としての「米作り」、今年は稲刈り、稲干し、脱穀は農協さんにお任せしようという決断を導き出したことです。ちなみに50余年前、途中で投げ出したモンテーニュの大著『随想録』3巻を再びひも解いているのもそのお陰なのでしょう。 







『原発はどのように壊れるか―金属の基本から』

2018-07-01 10:31:19 | 日記
  金属に学ぶ、『原発はどのように壊れるか―金属の基本から考える』(小岩昌宏・井野博満著)―所感       須藤正親


本書を読み始めて最初に頭に浮かび、最後まで頭を離れなかったのは、「金属に学ぶ」と題したように、法隆寺の宮大工・西岡常一さんの『木に学ぶ』でした。
 
 「金属は結晶である 金属は生きている 金属は老化する」とあるように、金属の種類によってその強さ、弱さも又違うのは木と異なることはないのだと再認識しましたが、問題は現代の技術者が「無色透明、客観的・中立的な科学や技術は存在しない」という前提はあるにしても、1300余年前の法隆寺の宮大工集団が、その木の強さ弱さ克服するために、同じ木の種類でも生育する土地柄まで考慮し分類し、「木組み・木の組み合わせ」に至る知見の積み重ねによって、今日もなお法隆寺の威容が目の前にあることを思うと、高々40数年の原発運転に固執し、残された核廃棄物の後始末すらできない、現代の技術者のお粗末ぶりは際立ちます。「美浜2号機において炭素鋼からステンレス鋼や低合金鋼に取り換えた個所の総数は約3200箇所」とあるに至っては素人の眼にも驚きです。原子力規制委員会に日本金属学会が入っていないからという単純な理由からなのでしょうか。
 
 古代も現代も、諸行無常、生老病死、と言う生死観は不変だと思いますが、この本を読んでいて、告発される側の現代の技術者たちが漸く明らかにされつつある金属学の成果を軽視までして偽装・正当化する背景には、相も変らぬ技術者の「水俣病」から離陸できない知性の薄っぺらさ、と言うより精神の空洞化を感ぜずにいられません。かつてバートランド・ラッセルは「日本は知性抜きで近代化に成功した唯一の国」と断じましたが、分野こそ異なれ近くには西岡常一、そして彼にそれを伝えた古代の宮大工集団には、技術の前に「生きるとは何か、死ぬとは何か」という根本的な哲学思想があったような気がすると、改めて強く感じています。
 
 もう一つこの本から学んだのは、金属の性質が人間にも重なってきたことでした。十人十色、フロイトの『精神分析』を通じて後継者のE.フロムの言葉を借りれば、今日の弱者の存在を糊塗して拡散する「グローバル病」と「原発病」が軌を一にしていることを気付かせてくれたことです。加えて『論理学』などにもつながる頭の体操・訓練になりました。
 
 ともあれ、筆者の所感を超えて、本書が「専門家と市民とのギャップを埋める」ためにも広く知られ読まれるべき一冊であることは間違いありません。1970年代、フランスの分子生物学者ジャック・モノーが著した『偶然と必然』がフランスではベストセラーになり、ドゴール空港の書店に山積みされていたという話を聞き、日本社会との隔絶の間を禁じ得なかったことが思い出されます。日本では野間宏の批判書『現代の王国と奈落』を介して多少広がりましたが、本書にも「専門家と市民とのギャップを埋める」橋渡しを痛感します。しかしそれもかなり難しい現実に振り返ると、この際もうひと踏ん張り、本書の要約版、ブックレットのようなものの出版を是非期待したいところです。(2018年6月28日記)