その後梅原さんが精力的に発表された『塔』、『歌の復権』、『黄泉の王』、『さまよえる歌集』、『聖徳太子・3部作』など、そしてこれらの作品が大胆な仮説の元に思索された成果であることを著した梅原学の核ともいうべき『考える愉しみ』の中に、仮説の元に独自の考えから出された自由な発想に、職業柄引用の多い学術論文に見慣れていた僕は、共感すると同時にその強烈な著者の個性に引き込まれてゆきました。さらに加えて、主に共著ではありましたが、仏像に関する著作も見逃せません。奈良、京都、鎌倉他(インド、パキスタン、スリランカ、タイ、ミャンマー)、古寺を訪れる度に拝観する仏像の中には、梅原さんから導かれたものも多くありました。と言うより10代から始まった古寺巡礼が今日も続いているのは、上述の亀井勝一郎や吉村貞司(『愛と苦悩の古仏』『古仏の微笑と悲しみ』他)とともに梅原猛・岡部伊都子の『仏像に思う』や望月信成・佐和隆研・梅原猛の『仏像』の言霊に触れて仏像を見る眼が、お陰様で多少は開眼した? からだと思っています。最近、時々読み返している『鈴木大拙禅選集』もその延長にあると言えるのかもしれません。
実は、大学の講義や、これまでのこのブログ、そして本年の初めに取り上げた「文明から文化の再構築へ」でも、論考の核となっている日本の「近代化」について、取り立てて梅原猛さんの言説は紹介してきませんでしたが、僕がこれまで明治維新以降の「脱亜入欧」「和魂洋才」について疑問視し論及している根拠の一つには、先達の岡倉天心や和辻哲郎、夏目漱石、永井荷風等とともに、西洋的進歩史観に対する疑義と「日本的霊性」に与する同時代人の梅原日本学の援護があったのです。遅ればせながら、この機会に僕の「近代化論」についての脚注の一端をお話し、僕の講義を受講した皆さんやこのブログの読者の皆さんが、梅原さんの著作に触れていただければと念じています。今もなお続く「明治維新万歳論」にうんざりとしている僕の言説に少しのご理解を期待して。
その意味からも、冒頭に引用した、「最後の知の巨人」という言葉は修正すべきだと思っています。野間世代の後、一部を除きその後の世代に懐疑的であった僕に、10数冊に及ぶ読書体験をさせてくれた言論人は梅原猛さんを措いてほかになく、そして何よりも、その痕跡を僕に色濃く残している以上、前言撤回は当然の事であり、その思いを改めて強くしています。
梅原猛さんに敬意と感謝をこめて 合掌 平成31年1月19日
実は、大学の講義や、これまでのこのブログ、そして本年の初めに取り上げた「文明から文化の再構築へ」でも、論考の核となっている日本の「近代化」について、取り立てて梅原猛さんの言説は紹介してきませんでしたが、僕がこれまで明治維新以降の「脱亜入欧」「和魂洋才」について疑問視し論及している根拠の一つには、先達の岡倉天心や和辻哲郎、夏目漱石、永井荷風等とともに、西洋的進歩史観に対する疑義と「日本的霊性」に与する同時代人の梅原日本学の援護があったのです。遅ればせながら、この機会に僕の「近代化論」についての脚注の一端をお話し、僕の講義を受講した皆さんやこのブログの読者の皆さんが、梅原さんの著作に触れていただければと念じています。今もなお続く「明治維新万歳論」にうんざりとしている僕の言説に少しのご理解を期待して。
その意味からも、冒頭に引用した、「最後の知の巨人」という言葉は修正すべきだと思っています。野間世代の後、一部を除きその後の世代に懐疑的であった僕に、10数冊に及ぶ読書体験をさせてくれた言論人は梅原猛さんを措いてほかになく、そして何よりも、その痕跡を僕に色濃く残している以上、前言撤回は当然の事であり、その思いを改めて強くしています。
梅原猛さんに敬意と感謝をこめて 合掌 平成31年1月19日