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大嘘と「嘘も方便」とお釈迦様

2018-04-14 10:53:02 | 日記
 昨夜、8チャンネルの「プライムニュース」2時間番組の後半を聞きました。出演者は、総務省、財務省、文科省、経産省出身の元官僚の4氏。言わずと知れた〝モリカケ・日報”問題をめぐる官僚の立ち位置、あるべき姿についての思いや意見を聞くという番組でした。内容を一言で言えば、官僚の虚偽行為、虚偽答弁が許されるのかどうかということで、一人経産省出身の某氏が、許す許さないという判断は避けながら「経済成長」に資する政治を支援するのが官僚の使命だとしたのに対して、残りの三方は長い視座からも「正直」という王道を歩むべし、としていました。「嘘も方便」に対して「大嘘はいかん」と言ったところでしょうか。
 「嘘も方便」の背後には、内閣支持率が下げ止まりになっているという現実もあります。子供の頃、「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」とか、「嘘は泥棒の始まり」だとか、大人たちに脅かされた記憶がありますが、今の子供たちに通用するのかどうか。先日、早朝登校する見知らぬ小学生の子供三人に「おはよう」と声を掛けました。少し怪訝な顔をしながらも挨拶はしてくれました。でも小さな声でした。見知らぬ大人たちから声をかけられた時の対応に、(学校や警察の)指導も絡んでいるのではと思わされもしました。警戒しなければならない大人社会、正直者は馬鹿を見る、見ないようにするために嘘をつく。「嘘も方便」がいつの間にか王道とならなければ幸いです。

 ところで来週初めには、先月末の堆肥散布に続いて、田んぼに米ぬかを少し撒くつもりでいます。拙い経験ながら、米作りに「嘘も方便」は通用しません。もとより米作りに限りません。子育ても同じことでしょう。手抜きという原因をつくれば、それだけの結果が出てきます。「因果」の関係は西洋哲学でも基本的な考え方判断基準の一つとなっていますが、日本人にとっては、「因果応報」という警句で知られているように、古く仏教の教えからも日常生活でなじんできた言葉ですが、実は「嘘も方便」も、火事場で遊ぶ子供たちを救うために窮余の策として使われた「嘘」が仏教書(お経)の中で取り上げられていたもので、けっして「嘘」を公認しているわけではありません。仏様の教えが「葬式仏教」一辺倒になってしまったと言われてから久しいとはいえ、時にはお釈迦様の言葉(阿含経、法句経、華厳経、法華経、維摩経、無量寿経等々)を紐解いてはいかがでしょう。それこそ、経済優先とナショナリズムを声高に信奉するしないに拘わらず、聖徳太子以来日本人の良き原点となり生活信条ともなってきた言葉をそこで再発見することになると思いますが、如何。