農文館2

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後期高齢者医療の先

2018-05-16 13:20:49 | 日記
 先日、村役場から定期健診の通知が届きました。封筒を開けると、これまでとは異なり、検診希望の方は役場担当者に連絡くださいとのことでした。これまでは、通知は、希望か否かを問うものではなく、未病対策もあってか、積極的に受診を勧める内容で、封書には必ず尿検査用の入れ物が入っていました。現に、前期高齢者である連れ合いの通知には、検診希望か否かの通知ではなく、尿検査用の入れ物もついていたそうです。高齢者の医療費増大の折から、定期健診を奨励しているものとばかり思っていましたが、どうも後期高齢者はその対象から外されたようです。

 伝え聞くところによると、わが集落でもたびたび救急車が来ることがあるのですが、ある高齢者の方は、「これからは、救急車は呼ばなくて結構ですから、、、」と、婉曲に? 「呼ばないよう」忠告を受けたそうで、「私たちぐらいの歳になれば、病気にかかっても長引くことはないので、ご自分で面倒を見てください」、と言っているような気がするという、その方の推測も、今回の定期健診の通知を受けて合点のいくところ大となりました。

 後期高齢者の医療費負担2割も間近、「ゼロ成長」の時代が確かな足取りで近づいてきているということなのでしょう。

「誠実」な答えとは

2018-05-05 11:55:04 | 日記
 安倍首相に同行していた秘書官の柳瀬経済産業審議官が、帰国後、「国会に呼ばれれば”誠実”にお答えします。」と言っているそうです。少し前にこのブログ「大嘘と「嘘も方便」」で元官僚出身者の立ち位置について取り上げた際、一人経済産業省のOBだけが、官僚は”正論”と思われる政治に従属することを使命とする、というような見解を述べた、とお話ししました。

 ところでどうでしょうか? 柳瀬さんも同じ経産省の官僚。彼の言う「誠実」とは、「嘘も方便」とは言わないまでも、実はOBに倣って〝正論”に忠実であることこそが誠実の証だと肝に銘じての言葉選びではなかったのか、とも思われます。「記憶にない」という彼の常套句が政治に忠実でしかも嘘を言っているのではないという彼の論理に立てば、仮に陳情者に「お会いした」記憶が甦えりその事実を認めたにしても、彼の言う「誠実」に反すること、つまり安倍政治への裏切り、不忠義に至ることはない、と言ったら穿ち過ぎになるのでしょうか。そうした行為は彼の言う「誠実」の範疇に入るものではなく不誠実に当たるものであり、「誠実にお答えする」ことにはならないからです。

 「誠実」にも寄って立つところによって違いがあるどころか、「正論」も一筋縄ではゆきません。昨年来、これほど安倍さんへの不信感が深まりながらも、依然として支持率は3割近くを保っているうえ、与党自民党の支持率は下がってはいないのが現状です。柳瀬さんの「誠実」な答えはやはり言わずもがなのような気がします。

 閑話休題、現在松本の康花美術館では「生と死の衝動の狭間で」と題して「康花版画展」を開催しています。それこそ作者の作品は、一筋縄ではいかないほど難解です。でも彼女の作品に出会って、こんな感想を遺してくれた大学生がいました。
 「絵は見る人の心を映す鏡とは言いますが、ここに来て、自分がどれだけ、普段、雑多なものに取り囲まれ、流され、翻弄されているかがよく分かりました。」
 会期は7月29日までの予定です。こちらにお越しの節は是非お立ち寄り下さるよう。ちなみに松本市の美術館では「草間彌生特別展」が開かれています。

心洗われる待井さんの歌、美術館に届く

2018-05-03 10:50:14 | 日記
 箕輪の歌人待井貴子さんからこの度もまた短歌のお便りを頂きました。どれもこれも珠玉の作品ばかり、読者の皆様にも味わっていただきたく、お届けいたします。

 * 熟柿が 灯る枝先 その上を カラスの群れが 森へと帰る

 * 稲わらの 上に丸まり 眠る猫 波打つ腹に 日差し動きぬ

 * 自販機の 放つ光に 誘われて 甘酒を買う 冬の黄昏

 * 偏食は 野鳥にもあり 塾柿が 師走の枝に あまた残りて

 * 言の葉は 雪片のごと 舞い降りて 瞬きする間に 儚く消える

 * 雪解けて せせらぎ高き 川の辺に たんぽぽの花 小さく咲いて

 * 裸木は 春の準備を しておりぬ 幹に耳あて 感じる息吹

 * ストーブで 部屋を温め 待っている 湯上りの母 風邪ひかぬように

 * 人里の さくら芽吹けど 仰ぎみる 千丈白く 青空に立つ 

 * 武士の 滾るこころの 色なるか 城跡に咲く コヒガンザクラ

 * 警笛に 木々の小鳥は 飛びさって 一日の五本の 列車が通る
 
 * 約束の 小指のちから 弱かりき 桜散りゆく 湖畔のベンチ
                                                     作:待井貴子

 末筆ながら、改めて待井貴子さんに心より御礼申し上げます。(「康花美術館」ブログより転載)