農文館2

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「戦争を忘れない」展を改めて!(中)

2015-10-31 11:22:03 | 日記
 今の日本の現状は、最早非武装とは言えませんが、大きく二つに分けるとするならば、観念的には非武装に近い平和論と武装による平和論の意見があるように思います。分かりやすく言うならば、前者が「性善説」、後者が「性悪説」を背景にしているということなのでしょう。歴史を俯瞰的に撮影すると、「性善説」は仏教や儒教に裏打ちされた東洋的価値観に、「性悪説」はキリスト教を原理とする西洋的価値観に親和性を見ることができます。ご承知の通り、仏教では成仏すれば文字通り仏になることができるばかりでなく、生きていても解脱をすれば悟ることができます。仏像の種類が多い所以です。これに対して、エデンの園を荒らしたアダムとイブ=人間は罪深い存在(原罪)だと言うのがキリスト教で、神はキリストご一人です。
 
 最近、ローマ法王が脳腫瘍ではないかと言うニュースが伝えられています。その背景はバチカンの保守派の人達が、再婚をめぐる問題で、改革に意を見せている法王に反対するために作り話を流したのだとされているようですが、キリスト教を問わず、様々な宗教も時代とともに変遷しています。この話題のニュースはあくまでもバチカン内のことに過ぎませんが、キリスト教の歴史上、最大の保守派と改革派の対立事件は16世紀の宗教改革です。保守派のローマ・カトリックに対して、改革派であるルッターやカルヴァンが立ち上げた新教プロテスタントの分派が登場したことでした。
 
 ローマ教会と言う組織の中に安住した人々に対して、救われることのない原罪をより強く意識し善行と勤勉節約に努めよと言うのがプロテスタントの言い分でした。その結果は、勤勉節約で蓄財された資本によって国家は農業・商業社会から産業(工業)社会への移行を援護し資本主義システムを生み出してゆくことになります。そして端的には「善」と「悪」、「勝つ」か「負ける」かの二分法の理念は、良くも悪くもプロテスタンティズムの下で武装化され、資本主義システムとして世界化し今日のグローバリズム・TPPにもつながって行くことになります。その典型が産業革命を起こしたイギリスであり、今日のアメリカです。因みに、プロテスタントが主流を占める国はこの両国の他、ドイツ、オランダ、デンマーク、北欧諸国、カナダ、オーストラリアなどで、人権思想発祥国カトリックのフランスを別とすれば、世界の政治経済の主導的役割を果たしている国々です。先のイラク戦争でバグダッド侵攻の折、敵か味方か旗幟鮮明にせよと同盟国に働きかけたブッシュ・アメリカ大統領の言葉を覚えておられる方も多いと思います。「血を流さない」と自虐した日本はいわばその主流派に与していることになります。



 

 

「戦争を忘れない」展を改めて!(上)

2015-10-30 18:01:42 | 日記
 今年の稲刈りは難儀を極めましたが、先週、はざかけしたお米を脱穀し、早速精米にして試食しました。収穫も昨年を上回り味もまあまあ上質でした。お陰様で日頃お世話になっている方々へのご無沙汰代わりの一口分も少し増やしてお送りすることができました。

 その一方、美術館「戦争を忘れない」展の方は、残念ながら、夏休み中の中学生たちが大勢来館した後、ぷっつりの状況が続いていましたが、昨29日、予約されていた団体11名のお客様が来られ一息ついた思いでした。前日NHKTV「クローズアップ現代」で岡本喜八監督の遺作「独立愚連隊」「日本の一番長い日」「肉弾」など戦争映画が取り上げられていました。若い人達の間で、時代を反映してか関心と評価が高まっているというのがその理由でした。今回の展示には、康花の作品の背景の一つに戦争映画があったということで、若き彼女が30年の生涯に観た映画の中がら100本近くの戦争映画を選び、それらのチラシを壁面に添付して紹介していることもあって、改めて、今回の団体のお客様に、映画の事も含めて、「戦争」について少し話をさせていただくととしました。以下がそのあらましです。

 展示構成は、老中青(人)の三部構成となっています。一部は満蒙開拓・戦争世代、二部はベトナム戦争・戦争を多少経験している世代、三部は戦争を全く知らない世代・康花の作品からなり、最後に二部に属する館長である小生が、青春時代、戦争について最も影響を受けた思想家の一人・バートランド・ラッセルの言葉を結びとしています。

『ABC問題*は解決できるのか』を拝読して(上)

2015-10-15 08:52:29 | 日記
松村高夫様

 玉著、一気呵成に拝読させていただきました。
 久方振りにモーパッサンの短編小説の一遍を読んでいるような心持になりました。
それを編んでいるのはもちろん松村高夫さんで、主人公は大長編のジャン・クリフトフ
であったり、野間宏の『青年の環』の矢花正行であったり、反戦という視点に立てば、
特に小林英夫批判のくだりでは、大西巨人の『神聖喜劇』の東堂太郎を彷彿とさせるも
のでした。

 つい最近、45年前に読んだE.フロムの『フロイトの使命』を再読しました。今回新た
に付箋をつけていると、45年前と同じ個所に目がいっていることに気付きました。そん
な思いを再確認している最中、奇縁ともいえる学兄から本書が贈られてきました。開い
てみれば、フロムの指摘に改めて納得している自分がいたというわけです。小説の一遍
といいましたが、本来生硬になりがちな学術論文の枠を超えて、本書は、編集者の田中
さんが解説しているように「歴史家のなすべき使命」が横溢しており、教条的な科学者
が並べた字面ではありませんでした。
 小生が二度付箋した個所でフロムは次のように言っていました。「フロイト派の人
達は、個人的な無意識をみて、社会的な無意識をみなかった。正統派のマルクス派の人
達は、それとは反対に、社会行動における無意識要因を鋭く指摘したが、個人的動機を
評価する点で甚だ盲目だった」と。



『ABC問題*は解決できるのか』を拝読して(下)

2015-10-12 10:40:29 | 日記
 個人的には、ハチャトリアンの「剣の舞」(ワーグナーの『ニーベルングの指輪』と
黄禍論が思い出されました)、ニーダムとの出会いと『中国における科学と文明』(全
巻読破していませんが、全集は持っており、ニーダムの最晩年の姿が目に浮かぶようで
した)、「植民地近代性論」(早稲田の大学院の授業で、日中台湾韓国の学生が、日本の植民
地近代化論をめぐって意見が衝突し収拾がつかなくなり、打ち切りにしたことがありました)
、隅谷三喜男(と『人間の条件』、彼の門下生の故儀我壮一郎氏(大阪市立大学名誉教授、
父上が張作霖の軍事顧問の儀我誠也)は研究会では薬害の社会的費用問題で軌を一にするところ
多く親しくさせていただいておりました)などなど、他にもいろいろと想い起こさせるような箇所
が多々ありました。

 写真家の大村さん曰く、「松村さん、とうとう地獄の釜の蓋をあけましたね」。読み
進むにつれて、フロイトが常に意識していたというドイツの社会主義者ラサールの言葉
「たとえ神々を動かすことはできなくとも、地獄を動かしてやる」が思い浮かんだことも付記
しておきます。

 久方振りに充実した時間を過ごさせていただき深く感謝します。
 本書は友人知人たちにも紹介させていただくつもりです。
 東奔西走、お忙しいようですが、時節柄ご自愛下さるよう。
                                    不一
                  2015年10月4日  須藤正親

*・註:ABC問題=ABC兵器
    A兵器:核兵器(Atomic Weapon)、B兵器:生物兵器(Biological Weapon)・細菌兵器(Bacteriological
    Weapon)、C兵器:化学兵器(Chemical Weapon)
    本書は、「20世紀から今世紀にかけて進行している大量虐殺の社会史をABC兵器の歴史から概観し、そこに  
    帝国主義の植民地支配がどのように介入したのか、また、その経緯と結果において戦争責任の実態を歴史学
    方法論から批判的に述べています。」(本書「まえがき」より)
    発行元:ABC企画委員会 TEL/FAX:042-348-1127 頒布価格500円(税込)

『東北ショック・ドクトリン』を読んで(下)

2015-10-11 10:29:11 | 日記
 寄贈して頂いた『東北ショック・ドクトリン』と関係あるようなないような、少し「まえがき」が長くなりましたが、実はこの本を開いて思い出されたのが、あのNHKでも良心的な番組と目されている「クローズアップ現代」で、国谷キャスターが(「雁行型経済発展」の)最後のフロンティアだと嬉々として紹介していた東南アジアの過疎地ミャンマーでした。ミャンマーと過疎地東北が重なったのです。ミャンマーが未だビルマと呼ばれていた1971年に調査で一週間ほど滞在したことがあります。映画『ビルマの竪琴』で安井昌二演ずる僧侶たちが、道中の生き物を踏みつぶさないように気を配りながらゆったりと歩いている光景がいたるところで残っている時代でした。後に東京外語大学に転出した小生と同世代の外交官とラングーンで夜を徹して話した話題の一つは、果たして諸外国の批判通りに門戸を開き、「雁行型」の後塵を拝してよいのか、という内容についてでした。小生は、今なお世間が言うほどには、アンサン・スーチー女史率いる野党民主勢力を支えている欧米諸国を意識した現政権の門戸開放にもろ手を上げかねてもいます。北海道、東北、九州、沖縄そして長野の過疎地で生活したり目にしてきた「懐疑論」から導き出された小生なりの答えです。
 
 本書で取り上げている「社会実験にかけられる被災地」「仙台空港民営化」「被災地カジノ狂騒曲」「イオンが被災地にやってきた」等々は、どれもが「新産業文明」という名を借りた「雁行型」発展の焼き直しに過ぎないように小生には思えます。はっきり言えば、「金太郎飴」はもううんざりといった感じです。著者が「おわり」で引用している『吉里吉里人』の古老トラキチの言葉ではありませんが、東北人のみならず、次代を背負う日本各地の過疎地域出身の若者が、経済発展を口にする前にせめてもこの大作を読んで井上ひさしの知性に触れてもらいたいと、改めて思った次第です。
 

 日有研から依頼されて『土と健康』8・9月合併号に一文を寄せました。ついでにお読み頂ければ幸いです。気温の上がり下がりが激しい昨今、お互いに高地の住人として風邪をひかぬよう注意しましょう。ではまた。
                                                 敬具
                                         2015年10月2日