大西巨人さんとの最初の出会いは、54年前、18歳の時だった。野間宏の『青年の環』を初め彼の作品を夢中になって読んでいる頃だった。その後小生の終生の師となった野間に対し鋭い批判の矢を向けたのが大西巨人だった。戦後文学の分水嶺ともなった野間の『真空地帯』を批判しその克服の小説として世に問うたのが『神聖喜劇』だった。それはフランスの文豪バルザックの『人間喜劇』をも飲み込むほどの大長編大河小説であった。二つの小説は、ともに「新日本文学」誌に連載されていたが、余りの長編で年月を要したがゆえに、文学雑誌の連載の枠を超え、『青年の環』も『神聖喜劇』も完結はともに単行本での出版を待たねばならなかった。
野間の『青年の環』は、もともとサルトルの実存主義文学に対する批判の集大成として書かれた小説であったが、その一方で同時代に書かれた大西の野間批判の書『神聖喜劇』を意識して書かれたことも又事実であったように思う。当然、大西にとっても、『真空地帯』を見据えながらも『青年の環』は気にかかる書であったことは間違いない。つまりこの二つの日本文学史上の大著は、そのどちらが欠けても存在しなかったと言ってよいのである。
私事ながら、幼時に父を亡くした小生にとって、青春時代に接した野間の知と実践、そして大きく包み込むような人間性は強烈な光をもってわが魂を射抜き、理想の父親像を重ね描きながらその後の小生の人生指針となっていった。その野間を批判する大西巨人とは、最初に出版された新書版(光文社)を貪るように読んだ後のショックは大きかった。主人公東堂太郎の「知」をもって“真空地帯”に抗する姿は、『真空地帯』の主人公木谷とは違った、「知」に憧れる青年たちの誰もが抱く理想の青年像だった。仮に小生に多少の古典文学についての素養が身についたとするならば、その大分は東堂の「知」を通して、学んだような気がしている。
その大西巨人さんが昨日97歳で亡くなられた。野間宏、そして加藤周一に続いて、恐らく最後であろう小生にとっての知の巨人が去って行かれた。『神聖喜劇』は漫画本でも出版されたようだが、若い読者の皆さんは原書で読んで欲しいと思う。合わせて『青年の環』にも挑戦して頂きたい。何年前だったか、東京の山手線内で岩波文庫版の『青年の環』を読んでいる青年に遭遇したことがあった。嬉しく思い、娘にも話した記憶がある。それに意を強くして、これからの進路選択に悩んでいた教え子の一人に『神聖喜劇』を推薦したことがあった。彼はその後読んだのだろうか。
「私の大学」、大学には通っても通わなくとも、人生には「出会いという大学」がある。その大きな切っ掛けの一つが書物。30歳で夭折した画家詩人であった須藤康花は、十代の頃、本には「宝物が隠されている」と表現している。「出会い」は歳をとってからでは遅すぎる。出会っても「宝物」に気が付かないことが多い。歳をとればとるほど、俗情が支配する。
合掌
野間の『青年の環』は、もともとサルトルの実存主義文学に対する批判の集大成として書かれた小説であったが、その一方で同時代に書かれた大西の野間批判の書『神聖喜劇』を意識して書かれたことも又事実であったように思う。当然、大西にとっても、『真空地帯』を見据えながらも『青年の環』は気にかかる書であったことは間違いない。つまりこの二つの日本文学史上の大著は、そのどちらが欠けても存在しなかったと言ってよいのである。
私事ながら、幼時に父を亡くした小生にとって、青春時代に接した野間の知と実践、そして大きく包み込むような人間性は強烈な光をもってわが魂を射抜き、理想の父親像を重ね描きながらその後の小生の人生指針となっていった。その野間を批判する大西巨人とは、最初に出版された新書版(光文社)を貪るように読んだ後のショックは大きかった。主人公東堂太郎の「知」をもって“真空地帯”に抗する姿は、『真空地帯』の主人公木谷とは違った、「知」に憧れる青年たちの誰もが抱く理想の青年像だった。仮に小生に多少の古典文学についての素養が身についたとするならば、その大分は東堂の「知」を通して、学んだような気がしている。
その大西巨人さんが昨日97歳で亡くなられた。野間宏、そして加藤周一に続いて、恐らく最後であろう小生にとっての知の巨人が去って行かれた。『神聖喜劇』は漫画本でも出版されたようだが、若い読者の皆さんは原書で読んで欲しいと思う。合わせて『青年の環』にも挑戦して頂きたい。何年前だったか、東京の山手線内で岩波文庫版の『青年の環』を読んでいる青年に遭遇したことがあった。嬉しく思い、娘にも話した記憶がある。それに意を強くして、これからの進路選択に悩んでいた教え子の一人に『神聖喜劇』を推薦したことがあった。彼はその後読んだのだろうか。
「私の大学」、大学には通っても通わなくとも、人生には「出会いという大学」がある。その大きな切っ掛けの一つが書物。30歳で夭折した画家詩人であった須藤康花は、十代の頃、本には「宝物が隠されている」と表現している。「出会い」は歳をとってからでは遅すぎる。出会っても「宝物」に気が付かないことが多い。歳をとればとるほど、俗情が支配する。
合掌
お薦めいただいた神聖喜劇もマンガは読んだものの
未だ原書は手を出せずにおりました。
情けなく、また恥ずかしく思っております。
そんな私ですが、大西巨人さんの名は忘れることはなく
訃報に驚いておりました。
あの頃、少しだけ拝見させてもらった絵も覚えております。
美術館にお邪魔した折りには、またあの頃のように先生とお話できたらと願っております。