農文館2

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田んぼに堆肥を散布

2016-03-29 13:28:12 | 日記
 3月26,27日講演のため大阪に出張、帰路、休日でバスは無く、最寄の駅から自宅まで久方振りにぶらりぶらりと1時間50分歩いて帰りました。今年に入って、左足の腿とふくらはぎが痛み出し屈伸が思うに任せなくなっていたので少し不安でしたが、完歩できたのは何よりでした。
 翌日は大事をとって休止、今日29日は風も無く日差しも柔らかだったので、屋敷周辺の竹切りと詰まった農業用水路の清掃をした後、田んぼに堆肥を散布しました。丁度1週間前の22日、米ぬかと鶏糞1.5キロx4袋散布したばかりですが、今回の追加となる堆肥(約1.5キロx5袋)は初めての試みです。米ぬかが昨年の3分の1程度であったのと、ここのところ鶏糞(窒素)依存気味であったことによるものです。堆肥は残飯などを堆肥化したもので、役場から提供してもらったものです。

 そして4月に春お越し,5月に入れば水入れ,代かき,田植えが待っています。松本の美術館も通常業務となり、又忙しくなります。

 なお、昨日手元に届いた日本有機農業研究会の機関紙『土と健康』の案内によると、来る4月23日(土)、「全国健康むら21ネット」第11回全国大会 in 大阪 が開かれるそうです。問い合わせは:小林美喜子 072-841-0207、山田修 072-997-6177

17年振りのイタリア訪問(2)

2016-03-19 09:46:39 | 日記
 ウン・プント・マクロビオティコの人たちと接していて、今回特に印象に残ったのは、これまで以上に若き青年男子たちが組織の一員としてきびきびと動いている姿でした。前回の時も決して見劣るものではありませんでしたが、記念講演会での彼らの立ち振る舞いは、完全に上司から指示されたスタッフとしての姿であり、前回の時に感じた素人ポさ、ボランティアのような感じとは異なっていました。恐らくそれだけ組織が大きくなり、しっかりしてきたということなのでしょう。
 聞けば、他の一般的な会社の従業員とは異なるものの、一定の給与の元で働いているとのことでした。一般的な会社の従業員とは異なるのは、病気の程度は異なれ、現代医療では治り難い何らかの病を背負った青少年たちが(あるいは親たちが)、マクロビオティックに接し治癒した結果、自然な形でウン・プント・マクロビオティコで働くようになっている青年たちがほとんどだということです。
 ちなみに今回、イタリア語のは話せない小生についてくれた通訳は二人はともに30台でした。そのうちの一人イタリア語・日本語通訳はなんと日本人の女性で、十代後半から病んでいた精神的肉体的な苦痛から抜け出すために、彼女に言わせると“元気の出そうな国”イタリアを旅する中でマクロビオティックに触れ、期待通りに完治し、イタリア在住9年目に入ったとのことでした。もう一人のイタリア語・英語の通訳は、世界で最も古い大学、ボローニャ大学の工学部を出た37歳の青年で、体調がいつも優れなかった学生時代、同学のガールフレンドからの誘いを受け、マクロビオティコのレストランに通ったり講演を聴くうちに体調もよくなるとともに人生観が変わり、結果的にローマのマクロビオティコで働くようになったのだといいます。ガールフレンドも地方のマクロビオティコで働いているとのことでした。
 前回、ウン・プント・マクロビオティコ発祥の地マチェラータを訪れた際、最初にイタリア語・英語の通訳をしてくれた大学出の法律家Jさんは、今や50台となり、この組織の創始者であるマリオ・ピアネーゼに次ぐ幹部となっていますが、Jさんも含めて通訳に当たってくれた人たちは(女性2人、男性2人)、同じようにマクロビオティックに接して病を治した方々ばかりで、一様にボランティア風で、それこそイタリア風のホットな対応を終始感じておりました。滞在期間と訪問場所も限定的であったこともあって、再会することが出来なかったのは残念でした。

 なお今回、ローマの他に訪れたのは、本部のあるマチェラータ県のトレンティーノとコッリドニアの二つの地方都市でした。前者は多少ながら人口が増加しており約2万1千人で、ナポレオン軍が侵攻し、カトリックの教皇がナポレオンと敗戦協定を締結した記念館が残されています。コッリドニアはトレンティーノから車で1時間弱にある人口1万人ほどの町ですが、ともにマクロビオテコのレストランが開設されていました。もとよりマックやコンビニの類は見られませんが、小さな町にそれぞれマクロのレストランが開設されているのはさすがだと思いました。

田んぼの準備始まる

2016-03-18 13:04:31 | 日記
 ぽかぽか陽気といっても海抜900メートル弱のわが家の朝晩は未だ寒いのですが、ひとまず田んぼの雪は解けたので例年通り、昨日今日(午前中)、溜池(水温が低いので山水は一度溜池に貯水し用水路を通して田んぼに入れている。)と用水路の整備をしました。ここ数年、溜池は葦が繁茂し整備するのに苦労しています。水草に加えて葦の枯葉が堆積し、貯水の容量が減ってしまうため、本来であれば綺麗に除去したいところですが、最近では鎌や鍬で届く周辺だけに留めています。それでも枯葉や水草に覆われた溜池や用水路の多少は表面が綺麗になり、透き通った山水が、水止めした田んぼの周りを流れてゆくのを見るは気持ちの良いものです。
 鶯の声こそ未だ耳していませんが、山水だけでも春を運んできているようで心が和みます。先週は解けかかった雪の間から顔をのぞかせていた蕗のとうをいくつか採って、今年初の蕗の天ぷらを食べましたが、これもそろそろ一斉に出てくる頃で、好物としている小生にとっては楽しみの一つです。

17年振りのイタリア訪問(1)

2016-03-16 11:19:43 | 日記
 先月、2月半ば一週間ばかりイタリアに行ってきました。17年振りのことでした。その前後、準備や美術館の仕事なども重なり、ブログとはすっかりご無沙汰してしまいました。お詫びいたします。

 今回のイタリアへの出張は、イタリアのウン・プント・マクロビオティコという団体からの招聘で、マクロビオティックの創始者である桜沢如一没後50年を記念する講演会でのスピーカーを依頼されたことによるものでした。昨年暮れから体調が思わしくなかったことと、イタリア側の桜沢に対する思い入れと多少食い違いもあったと感じていたので、間際まで受託することを躊躇していましたが、講演会場がローマの日本文化会館であったことと、制約も無く短いスピーチでもよいと言うことでしたので、結局受託し講演してくることになりました。

 2月19日の当日,日本文化会館ホールは満席となり、入りきれずに場外に立ち尽くしている人たちのためにマイクを設置するほど盛況でした。そして、さら注目されたのは、日本の在イタリア大使,在バチカン大使,日本文化会館館長など,日本政府の用人たちが参加したことでした。
 桜沢如一と言えば、ヨーロッパでは仏教哲学者の鈴木大拙と並んで、禅式食養法の創始者思想家としてジョージ・オオサワという名で広く知られ、大英百科事典にも取り上げられています。残念ながら日本の辞典ではその名を見ることはできません。在野の思想家であったということからなのでしょう? ちなみに小生は,30年ほど前から、「環境と経済」という視点から,大学での講義や講演、専門誌などで,桜沢の業績について触れてきましたが,桜沢への評価は,依然として業界を越えるものとはなっていないのが実情です。
 没後50年、ヨーロッパで日本大使館が共催で、桜沢如一を記念する講演会を開くことになったのは、寡聞ながら小生にとっては今回のイタリアが初めてのことであり、記念すべき出来事でした。端的にいえば、イタリアでのマクロビオティックの運動が,日本大使館を動かすほどに認知されてきたと言うことなのかもしれません。もとより、先に日本の和食がユネスコの世界無形文化遺産になったのに続き、翌年ミラノで開かれた2015年万博で紹介された日本の和食文化がイタリアで好評を博したことが援護となっていたことも否定できません。イタリアでマクロビオティックの普及活動が始まったのがおよそ40年前、決してフランスやオランダ、ベルギーなどに比べて早いとはいえません。すでに桜沢が亡くなって10年経っていたわけですから,むしろ遅きに失した感すらあったのです。
 
 にも拘わらず、1998年から99年にかけて行った現地調査では,すでにイタリアの活動がどこの国よりも活発になっておりました。その間の状況については、拙著『欧州古都巡礼』(2006年、正食協会刊)に記録しましたが、今回2016年2月現在の時点では、マクロビオティック・レストランと関連商品の販売店を含めると,ウン・プント・マクロビオティコが経営している店舗は、イタリア全土で約100店になるとのことでした。ちなみに17年前、ローマにあった1店のレストランは、今回3店舗になっておりました。そのうちの2店舗を訪れましたが、客席はそれぞれ約40ほどで,前回訪れたバチカン近くの店よりスペースは広く取ってありました。

 マクロビオティック活動の世界化は,創始者である桜沢初め、日本国内で桜沢の指導を受けたその弟子たちが、その後アメリカ、ヨーロッパなどに渡り普及活動を続けたことによって今日に至っていますが、後継者はすでにその弟子の子供からその子供の代に移行している中で,それぞれの「流儀」で活動しているのが現状です。それに対してイタリアの場合は,ウン・プント・マクロビオティコという組織が中心となって展開しているのが特徴であり、一組織が単独で100店舗を展開しているのは、イタリア以外にはどこの国にも見られないことです。ウン・プント・マクロビオティコが経営する以外のマクロ・レストランを加えれば更にその数は増すわけで、正にイタリアの日本大使館も無視し得ない状況になっていたということなのでしょう。