農文館2

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「名門進学校」?出身者は神童・天才?

2017-09-14 10:10:58 | 日記
 久方ぶりに評論家・元東大教授の西部邁さんの皮肉と辛口たっぷりの時事放談をBS8チャンネルのプライム・ニュースで聞きました。詳しくは別の機会にして、何時もの通りの口調で「日本国民のあほぶり」とその「あほ」たちに選ばれた「政治家のあほぶり」を一刀両断していました。
 彼の言う「あほ」が、具体的にどのような人なのかは必ずしも明らかではありませんが、政治学者としての西部的視角によれば、国際社会の中で平和ボケした自立心を失った日本、という国に在住している日本人諸々、と言ったらよいのかもしれません。そんな話を聞きながら、ネットや新聞テレビで取り上げられている、いわば社会学的に見た「あほ」らしき話題がいくつか小生の脳裏にも思い浮かんだ次第です。

 その一つが、サッカー監督の「ハリル解任」報道。解任記事を書いている人のほとんどが、選手の国際的水準を問わずに責任を監督だけに転嫁していること。これは他のスポーツにも言えることで、ちょっと記録を出したり勝利したりすると、すぐに「世界の」誰々、身内の過大評価も程度問題で、度が過ぎれば判断に狂いが生じます。(自己省察抜きの嫌韓・中国はその延長?)。その典型が王選手の「世界のホームラン王」。日本一であることと、世界は別だと思うのですが、今は知らず当時の両野球界においてどれほどの差あったか? にも拘らずそんな思い込みがグローバル時代の今なお続いている不思議さ。
 
 その二、入学難関校とされるN中・高校の出身者? 恥じらいもなく同期生の名前まで列記して神童・天才だと。世情に疎いといわれればそれまでですが、神童・天才とは北斎やモーツアルト、近くは西岡常一や手塚治虫のような人につける冠とばかり思っていただけに唖然とするばかり。小さな島国で学歴社会の恩恵を受けている「神童・天才」出身者だけに認められた発言なのかもしれませんが、何かおらが村の秀才さん話を聞いているようで、疲れがどっと出てくる感じでした。いや先行きが心配です。
 
 その三、くるくる変わる政治キャッチフレーズ。「モリ・カケ」問題何処へやら、北朝鮮脅威で息を吹き返した安倍さん、今度は「人づくり革命」だそうです。「三本の矢」、「地方創生」、「一億総活躍」、「働き方改革」、どれもこれもその成果が検証されないまま、まるで日替わりランチのよう。さらに問題なのはそれをスクープもどきに垂れ流す広報機関。民進党議員の離脱劇を対にすると「人の噂も七十五日」の視聴者・読者向けの”美味しい”肴と見たのでしょうか。政治不信を作り出しているのは政治家? マスコミ? 国民?

 取り上げたらきりがないのでこれぐらいにして。小生は必ずしも西部さんに全面的に同調しているわけではありませんが、戦前戦後、依然として客観性のない同窓会的なれ合いと自己愛と情報の消費に振り回され勝ちな国民性についての指摘には納得させられてもいます。テレビが普及し始めた頃、「一億総白痴」と喝破した評論家大宅壮一が生きていたら、パソコンからスマホの時代の国民を何と呼ぶのか? 

稲もどきの続き

2017-09-13 11:19:54 | 日記
 田んぼの中央部の雑草は目をつぶることにした、と以前つぶやきましたが、雑草の一種「稲もどき」の繁殖力は目を見張るばかりで、我慢も限界、いつの間にか、というより、断念すると口にした次の週から、毎週休日には「稲もどき」の駆除に追われています。例年通りだと9月末から10月初めにかけて稲刈りとなるので、なんとかそれまでには目安をつけたいと思っています。
 ほかの雑草と違って、稲の近くに根を張っているので、稲刈り機では避けようがありません。したがって放っておけば、結束した稲を天日干しにする際、稲に混じった「稲もどき」を一つ一つ取り除いていかなくてはならない手間がかかることになります。加えて成長著しい「稲もどき」がコメの成長を阻んでいる現実もあります。結局今年も、雑草取りに目をつぶることはできなくなってしまった、というわけです。

 人生にもこれと似たようなことが多々あります。それに反して、残り多くない時間、考えさせられています。

北朝鮮と「主戦論」を唱える勇ましい作家はお一人?

2017-09-04 15:22:51 | 日記
北朝鮮を攻撃しないアメリカと同盟を結んでいる意味はあるのか? ふざけるな、トランプ大統領!

という「勇ましい」タイトルに引かれれて(惹かれてではない)、山田順さんという作家の投稿記事に目を通しました。予想した通り、北朝鮮の脅しに堪忍袋の緒が切れた、という内容で、北朝鮮による日韓の核支配という最悪の事態を避けるためにはアメリカの北朝鮮攻撃しかない、という言い分です。山田さんの結論の部分は、以下に取り上げたように、その犠牲は日本も覚悟しなければならない、と結んでいます。

「一刻も早く、アメリカに北朝鮮攻撃に踏み切ってほしい。こんなことは、お利口なメディア、評論家は誰も言わないが、これが、日本の国益にもっともかなうことである。現状を見る限り、もう対話は意味がない。主戦論こそが正しい。

 サウスカロライナ選出のリンゼー・グラム上院議員は言っている。 「北朝鮮の核ミサイル開発を阻止するために戦争が起きるとすれば、現地で起きる。何千人死んだとしても向こうで死ぬわけで、こちらで死者は出ない」 彼が言う「向こう」には、日本も含まれるかもしれないが、その犠牲を覚悟しなければ、私たちの未来はもっとひどいことになる。」

 全てとは申しませんが、戦争の何たるかを知ることもなく、日本の経済的繁栄の中で思春期と青年期を過ごした大人たちが、韓国や中国の台頭とは対照的に、日本の行く手がアメリカ同様危ういと感じ始めている中で、不安の入り混じった大国主義と排外主義的傾向を正当化し強めてきていることは、今日の政治や世論の動きを見ても否定できないように思います。今や日常化している“サムライ・ジャパン”と言う象徴言語にもその一端が現れている、と言ったら過敏過ぎるのでしょうか。 山田さんは、「お利口なメディア、評論家は誰も言わないが」と、あたかも一人「勇気ある」発言であるかのように振舞っていますが、どうしてどうして、主戦論はともかく、不安の入り混じった大国主義と排外主義的傾向を持つ大人たちの多くの受けを意識した発言であったことは疑問の余地はありません。そうであるだけに憂慮するのです。

 繰り返しになりますが、「空襲警報」でも指摘しましたように、こんな時にこそ、感情に流されることなく冷静に対処してゆくことが、自らの歴史から学んだ教訓であるはずです。その歴史が戦争を知ることであるのは言うまでもありません。 必ずしも戦争を知らない世代であっても、戦争を知り戦争を想像することは出来ます。微力ながら小生は、康花美術館という場を通じてその動きを感じ取っています。戦争を知らない作家須藤康花の作品たちが、さらに若い世代の人たちに、戦争が何であるのか、平和が何であるのかを考え、想像することが不可能ではないことを理解させています。私たちは,こうした若者たちのためにも,戦争を知らない大人の暴言を認めてはなりません。なぜなら暴言は時により集団ヒステリーを生み出し戦争にも繋がるからです。

「戦争と平和」展-中学生の声

2017-09-03 09:25:12 | 日記
 前回の「空襲警報」の欄で、今松本の康花美術館で「戦争と平和」展を行っていることに触れました。以下は、市内の中学生が作品を見た後書き残してくれた一言感想の一部です。この時期になると毎年何らかの形で「戦争」に関する企画展をしていますが、今年ほど生徒たちが御父母と一緒に来られたことはありませんでした。と言ってもそれほどの数ではありませんが、北朝鮮とアメリカの衝突を懸念してのことなのでしょうか。
 
 「戦争と平和」展に寄せられた声は、中学生の声を含めて、康花美術館のブログに掲載しています。関心のある方はご一読ください。

<中学生の声>

*平和も戦争も両方感じることができた。戦争は忘れてはいけないと思った。一つ一つの作品にいろいろな想いが込められていて、いろいろなことが想像できた。(女子生徒)

*戦争中は、大変な事ばかりなので、これからはあるべきものに感謝して生きていきたい。平和を続けるために、自分でできることは進んでやろうと思った。(男子生徒)

*戦争の無意味さがよく伝わる良い作品ばかりだと思いました。(男子生徒)

*今がどれだけ恵まれているかわかりました。ありがとうございました。(女子生徒)

*康花さんの平和への思いがよく表れていると思った。(男子生徒)

*戦争のことを絵にしっかりと表せていてすごいと思いました。(男子生徒)

*戦争と平和について、絵を見て深く考えることができ、とても良い勉強になりました。(男子生徒)

*戦争のことは誰でも知っていることだと思いますが、苦しみや悲しみ、恐ろしさを忘れてはいけないということを感じさせてくれる作品でした。(男子生徒)