先週に引き続き、思い出の地、隣村の大岡の棚田まで自転車(電動)で行って来ました。桜は今が盛りと咲き誇り、木々の新芽も先週よりは色づき始め眼を楽しませてくれました。棚田は荒起こし(春起こし)の済んでいるところと、すでに代かきを終えたところもあリ、漸く田んぼの季節が到来してきたのを、十余年前娘・康花と歩いて来てこの地に立ったときの事を想い起こしながら、同じように感じていました。
ただ当時の景色と幾分違うのは、当時は目にすることのなかった鹿や猪等獣避けの電線網が棚田の周囲にはりめぐされていることでした。よく見れば、荒起こしの済んでいないところの中には明らかに耕作放棄と思われるところが点在していたことでした。先週、長野県の専門研究者であるKさんに電車の中でお会いした際、耕作放棄と過疎化が、獣が里に下りてきて田畑を荒らす原因となっている、と会話を交わしたばかりでしたが、正に電線網の囲い込みはそのことを象徴するものだったのです。わが集落の田んぼが同じような状況にあることは、すでに度々触れてきたとおりです。昨日の27日日曜日の早朝は、代かき田植えに備え、集落の用水路の清掃日でしたが、そこでも話題になったのは獣による被害のことでした。聞けば、わが畑の近くで、数日前の夜中、5、6頭の鹿を目撃したとのことでした。狩猟許可証を持っているSさんによれば、「駆除」仕切れないほど増えているとのこと。
眼下に広がる大岡の棚田を眺めながら、十余年前と変わらないのは、眼前に迫る白いアルプスの峰峰だけなのかもしれないと、新たな思いを重ねていました。ちなみにわが家の田んぼの方は、代かきは来月15日前後、田植えは20日過ぎになる予定にしています。
それにしても先日読んだ作家の辺見庸さんの言葉(佐高信さんとの対談)が引っかかっています。安倍政治を危惧する余り(それには全く同意)、「田舎に帰ります、というわけにはいかない」(『週間金曜日』2014年4月25日号)と語っていますが、現実は田舎も危機、いや田舎こそが危機となっていることは、原発そして事故でも明らかです。この国は、今も昔も都会の「知性」だけでは変えようがないにも拘らず、残念なことです。
ただ当時の景色と幾分違うのは、当時は目にすることのなかった鹿や猪等獣避けの電線網が棚田の周囲にはりめぐされていることでした。よく見れば、荒起こしの済んでいないところの中には明らかに耕作放棄と思われるところが点在していたことでした。先週、長野県の専門研究者であるKさんに電車の中でお会いした際、耕作放棄と過疎化が、獣が里に下りてきて田畑を荒らす原因となっている、と会話を交わしたばかりでしたが、正に電線網の囲い込みはそのことを象徴するものだったのです。わが集落の田んぼが同じような状況にあることは、すでに度々触れてきたとおりです。昨日の27日日曜日の早朝は、代かき田植えに備え、集落の用水路の清掃日でしたが、そこでも話題になったのは獣による被害のことでした。聞けば、わが畑の近くで、数日前の夜中、5、6頭の鹿を目撃したとのことでした。狩猟許可証を持っているSさんによれば、「駆除」仕切れないほど増えているとのこと。
眼下に広がる大岡の棚田を眺めながら、十余年前と変わらないのは、眼前に迫る白いアルプスの峰峰だけなのかもしれないと、新たな思いを重ねていました。ちなみにわが家の田んぼの方は、代かきは来月15日前後、田植えは20日過ぎになる予定にしています。
それにしても先日読んだ作家の辺見庸さんの言葉(佐高信さんとの対談)が引っかかっています。安倍政治を危惧する余り(それには全く同意)、「田舎に帰ります、というわけにはいかない」(『週間金曜日』2014年4月25日号)と語っていますが、現実は田舎も危機、いや田舎こそが危機となっていることは、原発そして事故でも明らかです。この国は、今も昔も都会の「知性」だけでは変えようがないにも拘らず、残念なことです。