農文館2

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松本サリン事件雑感

2014-06-28 08:26:24 | 日記
 「厳然とある身体の感覚、苦しさ、恐怖のはるかとおくにあるほのかな光を眺めているようで、涙が出ました。」(1月13日 K.H.)

 康花美術館のホームページの「寄せられた感想」にも掲載させていただきましたが、上記の感想は、昨年の1月13日に来館され、康花の作品を観て戴いた後、お寄せいただいた感想です。K.H.とは河野仁志さんのことで、松本サリン事件で一時容疑者扱いをされた河野義行さんのご子息です。河野さんのお宅と美術館が近くにあったというご縁もあって、河野仁志さんには開館準備、開館時には大変お世話になりました。

 仁志さんからは松本サリン事件について、何一つお話を伺ったことはありませんでしたが、この度事件から20年と言うことで、新聞やテレビの特集でお二人のいくつかの言葉に接し、改めてお二人の理性の奥行きを垣間見させていただくとともに、初めて河野さんのお宅で仁志さんにお会いした時のことが鮮明によみがえりました。康花と同世代と言うことでしたが、静かで落ち着いたお話しぶりは年齢をはるかに超えるもので、倍以上の歳を重ねている小生は、正直戸惑いを覚えるほどでもありました。もともとの資質に加えて、サリン事件との戦い、母親の闘病と死だけでなく父親への誹謗中傷との戦いが、平凡な日常性を超えて誰よりも深い年輪を仁志さんに刻み込んでいったのでしょう。

 その意味で、上記の感想は、単に一美術鑑賞者と言うより、もちろん作品を通じての事なのでしょうが、同じような状況に置かれていた康花への同志的な共感を抱かれながら出た言葉でもあった、と言うことを今更ながら強く感じています。

 小生が、お二人に「理性の奥行き」を見たのは、憎しみを抱いても不思議ではない、オーム真理教に対する怨念を持つことなく、二度とこのような事件を起こさせないために、事件の真相究明を求めている姿にもありましたが、それ以上に、反面教師としての、警察やマスコミの情報に扇動される大衆の有り様そのものを、お二人のそれが対照的に浮かび上がらせていたことです。
 ヴォルテールは、「十人中九人が一人を論難するようなことがあれば、自分はその彼を援護する」というようなことを言っています。オーム真理教の教祖である麻原死刑囚に対して、「麻原彰晃さん」と呼んでいる河野義行さんが重なります。ヴォルテールにはなれないにしても、風評や風聞に惑わされない、何事にも疑問を持つ程度の理性は持ちたいものです。
 
 「決められない政治」とマスコミがをこぞって揶揄した結果、明明白白な憲法違反もなんのその、独断専行の政治が王道であるが如きのおぞましい現状を見るにつけ、ごく身近で起きた松本サリン事件、河野さん事件、その教訓とはなんであったのかと、思わずにはいられません。
 
 これを読んでいる小生の講義を受講した学生諸君!  講義でたびたび「眼光紙背」と「行間を読む」ことの大切さ話してきましたが、 思い出していただけたでしょうか。 

青木一香さん三度来館

2014-06-26 15:19:48 | 日記
 沼津在住の画家青木一香さんが昨日来館されました。これで三度目の来館です。康花の師であるとはいえ、生徒の指導とご自分の制作の合間をぬって、しかも遠路からいつも恐縮するばかりです。
 今回特に関心を頂いた作品は、水彩画の『女の顔とデスマスク』で康花の鋭い視察力評価されておりました。生前の彼女に聞かせたかった言葉でした。絵とともにいくつかの詩を読み終えて、「天才は早死に、ゴッホもユトリロもそうだった。私の先生は、後は馬齢を重ねるだけ」と言っていたと口にしながら、「康花さんが残された作品は、その三十年の中に年齢を超えた人生が凝縮されている」ようだと感想されておりました。

 僭越とは思いましたが、その言葉を受けて、富岡鉄斎、平櫛田中然り、歳を重ねてから力を発揮し評価された作家も多くいます、先生はすでに実績を残されています。少なくとも後十年は、先生が切り開いた、墨による“無音”の世界を描き続けて欲しい、と僕はお応えしましたが、僕に言われるまでもなく、先生は「八十まではそのつもりだ」との力強い返事が返ってきました。そしてお別れの際、そのためにも健康には留意しましょう、と言うのが、同世代の共通の言葉でもありました。

 ちなみに、今回初めて知ったことですが、先生は二十代の頃にマクロビオティックに接し、今もそれを取り入れた健康管理をしているとのことでした。これもまた、康花がそのことを知っていたらどんなに喜んだことかと、先生にお話ししたことでした。当時、康花の作る料理は、すべてマクロビオティックを基本にしたものだったからです。今でこそかなりポピュラーになってきてはいますが、当時はまだごく少数派、このことを康花が知っていたら、絵の他に、先生との会話もどんなに弾んだことだろう、と、沼津時代の彼女を思い起こしていました。遠路はるばる、ご来館有難うございました。

二条式と一条式の除草機

2014-06-24 10:14:06 | 日記
 先週、二条式の手押し除草機で田んぼの除草を終えた後、この農機具の原型とも言うべきものをテレビの番組で見ました。空から見た日本の風景? とか言う番組で、案内役は“雲爺”と“雲嬢ちゃん”。場所は新潟県の燕・三条・長岡の米どころ。
 
 内容は必ずしも、と言うよりお米ではなく主に伝統の職人たちに焦点を当てたもので、興味そそられましたが、その案内の過程で、わらぶき屋根の農家の天井に収められていたこの農機具が写し出されたのです。雲爺が「これは何じゃ?」と言うように、雲爺さんですらも見るのは初めてだったのです。その家の主曰く、先代の頃のもので今は使っていないとのことでしたが、実はわが家の二条式手押し除草機は新潟製で、三条であったか長岡であったか記憶も定かでではないのですが、製造元の新潟に直接電話して取り寄せたものでした。恐らく米どころであるがゆえに、農機具の開発もどこよりも進んでいたのでしょう。又それゆえ除草剤の普及とともに、他の地域以上に早くこの道具が使われなくなっていったのかもしれません。10年近く前、この道具で田んぼの除草をしていたところ、70歳前後の村人が、小生がペンより重たいものを持ったことがないと思っているのか、疲れて「倒れないように」と忠告されたことがありました。わが村でも遠の昔に使われなくなっていたと言うことだったのでしょう。

 その二条式でわが田んぼを除草してから1週間、昨23日、予定通り今度は一条式で除草をしました。一条式は二条式ではできない稲と稲との間の雑草を取り除くのですが、当然作業時間は倍かかることになります。午前8時から午後6時まで、昼の休憩時間を除くとおよそ8時間の作業でした。寄る年波、正に「倒れないように」と言う忠告が実感できるようにもなりました。高齢化、米離れ、米価下落、米作りを昔ながらに手間隙、体を酷使してやる農家がなくなっているのは当然なこととして(経済原理に沿う限り)、除草していて気が付いたことがありました。それは米の反当りの収量が全国的に急速に向上したことです。わが田んぼ、どう見ても世間並みには行きません。もとより技術の習熟度にもよりますが、それでもわが田んぼと同じように、昔の平均的収量が今日に及ばなかったことは確かです。つまり“楽の出来る安易な技術による”大量生産ー所得の向上という当然の成り行きが、今日の上述した逆転状況の中で出口を見失ってしまったと言うことです。低成長下、社会福祉、年金などが行き詰まっているのと同じです。問題は、米作りの放棄が国土保全・環境問題にも関わっていると同時に、日本の文化総体にも関わっていることです。糖衣飽食、一粒の米を大事にした昔を取り戻すことは至難の業と言うべきか。

 アベノミクスへの幻想、集団的自衛権による平和幻想、せめてもワールドカップ優勝幻想、そして東京オリンピック幻想、などなど現実からの逃避行を促す幻想は当分事欠きません。ちなみに康花美術館、来月から「幻想と現実」(仮)と題した企画展をやる予定です。但し彼女の作品群がいずれも心地良くさせる「幻想」から程遠いことだけはお断りしておきます。それこそ昔ながらの米作りに準じたような作品ばかりです。松本にお越しの折にはお立ち寄り下さいますよう。
 

田んぼの除草

2014-06-17 14:34:31 | 日記
 田植えをしてから3週間余り、昨日今日にかけて1回目の除草を行いました。いつもの通り2条式の手押し機で行ったので、稲と稲との間の雑草は残っています。僕自身の体力もあるけれど、さらに1条式のでやっては稲の根を傷めてしまうと思ったからです。それほどに今年の稲は生育が悪いように見えたのです。田んぼに入ってみれば、その主な原因はいつもの稲ゾウムシの寄生だということがわかりました。
 
 同じ頃田植えを行ったご近所の田んぼの稲は青々と元気よく生育しているのに、わが家のは穂先が白み青みも薄く弱弱しいのは歴然としていました。苗自体に問題があったのかなと思ったりしましたが、やはり稲ゾウムシだったのです。今年は例年に増して、毛虫が多いのが気にかかっていましたが、5月末から6月初めにかけての高温気象で、毛虫だけでなく稲ゾウムシも一気に大量発生したということなのでしょう。除草しながら次から次へと稲ゾウムシを殺生しましたが、稲は多少回復するにはしても、恐らく出来は昨年を大幅に下回ることになるのでしょう。毛虫にやられた杏やりんご、プルーン、ブルーベリーはほぼ全滅の様相です。果物はともかく田んぼでも依然として殺虫剤、除草剤を使う農家が減らないことに肯くしかありません。

 来週か再来週、1条式の除草機がかけられればと期待はしているのですが。

東日本大震災と或る女流作家と康花

2014-06-11 10:05:46 | 日記
 6月8日日曜日、神奈川から新進の女流作家が来館しました。今回で2度目です。以下は記帳ノートに寄せられていた感想です。

 「以前に来た時、私は自分の半身のようだった故郷と、町とを失ったショックと、自分自身の精神の脅迫から來る病で毎日が必死でした。日々吐気と闘い周囲の不気味な空気を切り裂こうと必死の毎日でした。そんな中わらをもつかむような心地で訪れたのがここでした。(注)
 
 康花さんの生は、私にとってショッキングなものでしたが、同時に深く共感するところがありました。初めてここを訪れた日の夜は、その凄まじい生と死にショックを受けてしばらく眠れませんでした。あれから1年経ち、私は、あの時から比べたら、見違えるほど回復しました。そのきっかけを与えてくれた場所は、やはりここだったんだと思います。
 互いに、自分に与えられたものを限りなく忠実に描くこと。それがきっと自分に与えられた使命なんだと、今、私は思います。生きているうちに、康花さんにお話しできればよかった。――――――。でも私は、今絵を描く中で、少しだけお話しさせていただいている気がします。次にここへ来る時には、もっともっと成長した姿で、又再び参りたいと思います。康花さんに負けないように。」Y.H.

 (注)彼女は東日本大震災で親類縁者が被災し、その後作品の多くは、この現実と向き合いそれをテーマに創作していると聞いています。康花美術館を最初に訪れたのは、世田谷の美術館で康花の銅版画作品を目にしたのがきっかけだったとしています。