「厳然とある身体の感覚、苦しさ、恐怖のはるかとおくにあるほのかな光を眺めているようで、涙が出ました。」(1月13日 K.H.)
康花美術館のホームページの「寄せられた感想」にも掲載させていただきましたが、上記の感想は、昨年の1月13日に来館され、康花の作品を観て戴いた後、お寄せいただいた感想です。K.H.とは河野仁志さんのことで、松本サリン事件で一時容疑者扱いをされた河野義行さんのご子息です。河野さんのお宅と美術館が近くにあったというご縁もあって、河野仁志さんには開館準備、開館時には大変お世話になりました。
仁志さんからは松本サリン事件について、何一つお話を伺ったことはありませんでしたが、この度事件から20年と言うことで、新聞やテレビの特集でお二人のいくつかの言葉に接し、改めてお二人の理性の奥行きを垣間見させていただくとともに、初めて河野さんのお宅で仁志さんにお会いした時のことが鮮明によみがえりました。康花と同世代と言うことでしたが、静かで落ち着いたお話しぶりは年齢をはるかに超えるもので、倍以上の歳を重ねている小生は、正直戸惑いを覚えるほどでもありました。もともとの資質に加えて、サリン事件との戦い、母親の闘病と死だけでなく父親への誹謗中傷との戦いが、平凡な日常性を超えて誰よりも深い年輪を仁志さんに刻み込んでいったのでしょう。
その意味で、上記の感想は、単に一美術鑑賞者と言うより、もちろん作品を通じての事なのでしょうが、同じような状況に置かれていた康花への同志的な共感を抱かれながら出た言葉でもあった、と言うことを今更ながら強く感じています。
小生が、お二人に「理性の奥行き」を見たのは、憎しみを抱いても不思議ではない、オーム真理教に対する怨念を持つことなく、二度とこのような事件を起こさせないために、事件の真相究明を求めている姿にもありましたが、それ以上に、反面教師としての、警察やマスコミの情報に扇動される大衆の有り様そのものを、お二人のそれが対照的に浮かび上がらせていたことです。
ヴォルテールは、「十人中九人が一人を論難するようなことがあれば、自分はその彼を援護する」というようなことを言っています。オーム真理教の教祖である麻原死刑囚に対して、「麻原彰晃さん」と呼んでいる河野義行さんが重なります。ヴォルテールにはなれないにしても、風評や風聞に惑わされない、何事にも疑問を持つ程度の理性は持ちたいものです。
「決められない政治」とマスコミがをこぞって揶揄した結果、明明白白な憲法違反もなんのその、独断専行の政治が王道であるが如きのおぞましい現状を見るにつけ、ごく身近で起きた松本サリン事件、河野さん事件、その教訓とはなんであったのかと、思わずにはいられません。
これを読んでいる小生の講義を受講した学生諸君! 講義でたびたび「眼光紙背」と「行間を読む」ことの大切さ話してきましたが、 思い出していただけたでしょうか。
康花美術館のホームページの「寄せられた感想」にも掲載させていただきましたが、上記の感想は、昨年の1月13日に来館され、康花の作品を観て戴いた後、お寄せいただいた感想です。K.H.とは河野仁志さんのことで、松本サリン事件で一時容疑者扱いをされた河野義行さんのご子息です。河野さんのお宅と美術館が近くにあったというご縁もあって、河野仁志さんには開館準備、開館時には大変お世話になりました。
仁志さんからは松本サリン事件について、何一つお話を伺ったことはありませんでしたが、この度事件から20年と言うことで、新聞やテレビの特集でお二人のいくつかの言葉に接し、改めてお二人の理性の奥行きを垣間見させていただくとともに、初めて河野さんのお宅で仁志さんにお会いした時のことが鮮明によみがえりました。康花と同世代と言うことでしたが、静かで落ち着いたお話しぶりは年齢をはるかに超えるもので、倍以上の歳を重ねている小生は、正直戸惑いを覚えるほどでもありました。もともとの資質に加えて、サリン事件との戦い、母親の闘病と死だけでなく父親への誹謗中傷との戦いが、平凡な日常性を超えて誰よりも深い年輪を仁志さんに刻み込んでいったのでしょう。
その意味で、上記の感想は、単に一美術鑑賞者と言うより、もちろん作品を通じての事なのでしょうが、同じような状況に置かれていた康花への同志的な共感を抱かれながら出た言葉でもあった、と言うことを今更ながら強く感じています。
小生が、お二人に「理性の奥行き」を見たのは、憎しみを抱いても不思議ではない、オーム真理教に対する怨念を持つことなく、二度とこのような事件を起こさせないために、事件の真相究明を求めている姿にもありましたが、それ以上に、反面教師としての、警察やマスコミの情報に扇動される大衆の有り様そのものを、お二人のそれが対照的に浮かび上がらせていたことです。
ヴォルテールは、「十人中九人が一人を論難するようなことがあれば、自分はその彼を援護する」というようなことを言っています。オーム真理教の教祖である麻原死刑囚に対して、「麻原彰晃さん」と呼んでいる河野義行さんが重なります。ヴォルテールにはなれないにしても、風評や風聞に惑わされない、何事にも疑問を持つ程度の理性は持ちたいものです。
「決められない政治」とマスコミがをこぞって揶揄した結果、明明白白な憲法違反もなんのその、独断専行の政治が王道であるが如きのおぞましい現状を見るにつけ、ごく身近で起きた松本サリン事件、河野さん事件、その教訓とはなんであったのかと、思わずにはいられません。
これを読んでいる小生の講義を受講した学生諸君! 講義でたびたび「眼光紙背」と「行間を読む」ことの大切さ話してきましたが、 思い出していただけたでしょうか。