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トランプさんの出現は想定外ではなかった!

2016-05-09 11:43:07 | 日記
 

「トランプさんの出現は想定外ではなかった。」 少なくとも世間で騒ぐほどには、小生にとって「想定外」のことではありませんでした。その予備知識となった最も身近な例を引き合いに出すならば、アメリカを代表する歴史学者でありリベラリストでもあったアーサー・シュレジンジャーが、そのものずばり、『アメリカの分裂ー多元文化社会についての所見』<1992年)という著書で、今日あることを予見していたことです。厳密に言えば、シュレジンジャーの矛先はブッシュ大統領にあったのですが、アメリカ社会が分裂を深めてゆく中で、ブッシュの登場は驚くべきことではなく、本書を通じて次なる大衆の❝モンスター❝?トランプの出現を予測していたことです。

 さらに言えば、筆者がこの本に共鳴したのは、かたや、ブッシュと並んで、日本国内でも小泉さんという政治家に大衆が熱狂していたことにもよりましたが、何よりも筆者と同世代のフランスの哲学者レジス・ドブレが著わした『国境』(1968年)から、アメリカ民主主義の矛盾と恥部ー反知性主義を垣間見ていたからでした(この作品の映画版が1970年日本でも公開された『イージーライダー』です。お薦めの一本です)。かつて度々指摘してきたように、アメリカの没落は1971年のドルと金との交換停止に象徴されます。爾来、景気の上がり下がりはあれ、アメリカ経済が衰退の一途を辿ってきていることは否定のしようがありません。成長亡き経済下、限られたパイを国民全体に均等に配分することは出来得なくなっているのです。民主主義国家である以上、配分に与れなくなった大衆は不満を募らせます。時の主流、反主流を問わず、政治家にとって最も安易で簡単な政策は、外敵を作り出し不平不満を外に向けさせることです。ベトナム、湾岸、イラク戦争などなど、アメリカのアメリカ国外での数多の戦争の歴史がそれを物語っています。しかし戦争によって一時的には景気も上向き不満も解消されますが(もちろん勝利してのことですが)、長くは続きません。浪費のつけは必ず返ってくるからです。極論すれば、今日のアメリカ経済の現状は、そのつけのなせる業といっていいように思います。

 翻って、日本はどうか? 一部のヘイスト・スピーチはともかく、北朝鮮の核実験、中国の海洋進出、さらにはテロ問題などにどれほどに知性的に対応できているのか。アメリカほどではないにしても、所得の二極、三極分化=貧富の格差拡大が進行している現状を省みるならば、他人ごとではないような気がします。事実小泉さんこの方、政治の選択が耳障りの良い大衆迎合的な「劇場型」を良しとする風潮が定着しているかにすら見えるのが、何よりの証です。

 ところでトランプさんについてですが、日本国内でも、あたかも反知性主義の代表の如く、大統領選出への懸念の声が広がっているようですが、どこまで本音であるかはともかく、アメリカ経済を立て直すという信念を、これも実現可能かはともかく、持っているとすれば注目に値します。その対処策の一つとして、アメリカの対外軍事支出を削減するというなかで、日本や韓国に肩代わりせよということですが、アメリカ経済が戦争から解放される手段としては、かつてないほどに真面な発言だと言えるでしょう。問題は、仮定でのこととして、その際日本がその要求にどのように応えるかです。自主防衛=軍事支出の増額を答えとするのか、それともアメリカ並みに自国優先の「平和主義」を答えとするのか、それこそ日本人の民意、知性が問われることになるのでしょう。それこそ「トランプさんは想定外」だったとは言えなくなるのです。民主主義は、ヒットラーも選べるし、戦争も選べることを忘れたくないものです。

 

17年振りのイタリア訪問(4)桜沢如一の教訓と遺産(下)

2016-05-07 10:15:23 | 日記
実践としてのマクロビオティック
ローマ帝国がそうであったように、古来、中国では「食を制する者が国を制する」と言う諺がありますが、桜沢はそれを人間一人ひとり置き換えます。彼は、正しい食こそが体と心の健康を涵養し、それが自ずと健全な精神を培い人類の平和に繋がるとしたのです。
桜沢没後50年、その成果については今さら繰り返すまでもないことですが、日本を初め世界の現実を俯瞰するならば、改めてその実践のいくつかの意義について確認することも又大切なことです。
 
その1は、マクロによる「未病」と「自然治癒力」の効果です。「先進」諸国では有病率が拡大している一方で、先進的医療現場ではマクロ的な食事療法を併用する国が増えてきています。一方、経済的には、ほとんどの「先進」諸国が財政赤字に陥っている中で有病率、とりわけガンを初めとした慢性病の増大によって社会保障項目の一つである国民医療費が増大し、国家の財政を一層圧迫しています。その典型国の日本では、政府が「未病」を奨励する運動に取り組んでいますが、今後、「自然治癒力」を後押しするマクロ的な食事療法の重要性が更に増していくことでしょう。

その2は、食糧問題の解決です。「食を制する者が国を制する」と言った中国だけでなく、ローマ帝国の崩壊原因の一つが、ローマが食糧を植民地に依存した結果、自給ができなくなったことが原因となったことは、日本では余り知られていません。近代に至っては、①ナポレオンがドーバー海峡を封鎖したことによって、食糧を海外に依存していたイギリスが食糧自給に目覚め今日に至っていることや、②大陸から導入したジャガイモが病気になって全滅し、100万人以上の餓死者を出したアイルランド国民が、アメリカ移民を余儀なくされたのも、共に周知の事実です。
今後、途上国の人口増大と所得が向上することによって、食生活の肉食を中心とした洋風化の進行は、中国に見られるように、避けられません。穀物、野菜、果物、木の実などの一次食材を大量に消費する肉などの二次食材の消費が増大すれば、世界的に一次食材が逼迫することは必定です。一次食材を中心としたマクロの食養法は、環境に優しく省資源型でもあり、これから更に重要性を増すことは、これまた必定です。

その3は、環境に優しいという点で、マクロ的食養法は環境保全型の農林漁業の再生につながると言うことです。都市化が進む一方、地方地域社会経済の衰退、崩壊は、日本のみならず欧米諸国でも深刻化しています。とどのつまり、食生活の改善が農林漁業の再生、地方地域社会の再生、更には地球環境保全にも繋がることだったのです。

こうした桜沢の実践による意義を検証するならば、マクロが現代社会においてどうのように位置づけられるか明らかです。桜沢の遺産を引き継ぎ発展させるためには、なおのこと私たちは、「歴史に学ぶ」ことが求められているように思います。

その意味からも私は一言付け加えなければなりません。私たちは、その教訓と遺産を引き継ぎ発展させているマリオ・ピアネーゼの実践活動を高く評価しなければならないと。そのマリオに再びお会いできたことに私は心より感謝したい。

17年振りのイタリア訪問(3)桜沢如一の教訓と遺産(上)

2016-05-05 11:35:11 | 日記
 トレンティーノに滞在中、ホテルのテレビで元ボローニャ大学の教授で作家のウンベルト・エーコが亡くなったことを知りました。享年84歳、世界的なベストセラーとなった『薔薇の名前』の作者で、ショーン・コネリーが主役で映画化されたことでも知られています。小生のかつて雑誌の映画紹介欄で取り上げたことのある内容の深い作品です。そのウンベルト・エーコがマクロビオティックを評価しており、マリオ・ピアネーゼとも知り合いだったというのです。
 実は、マリオさんを初め、その仲間たちには必ずしも好感されなかったであろう小生のスピーチの内容は、具体的には触れなかったものの、エーコの『薔薇の名前』も背景にあったのです。好感されなかったであろうとするのは、前回の時もそうであったのですが、桜沢=マリオを称揚する余り、他の分野(音楽・文学・哲学等)への関心が薄く、時にはプロフェサー・スドウは博識だからと言って、議論が進展しないこともあったからです。

 以下、2016年2月19日、ローマの日本文化会館で開かれた「桜沢如一記念講演会」でお話した内容のあらましをご紹介しましょう。

哲学としてのマクロビオティック
 桜沢と同世代人であったフランスの哲学者Bergson(1859-1941)は次のように言っています。「我々の過去は我々に従い、その途上で現在を拾っては絶えず大きくなっていく」と。その一方で「過去が現在の中で生き残ることがなければ、持続というものはなく、ただ瞬間があるばかりである」とも指摘しています。
 桜沢がBergsonの『哲学入門』を開いたかどうかは定かではありませんが、経済と科学技術とが融合した現代文明の転換期にあって、桜沢が、とりわけBergsonの一方の指摘について強い共有意識を持っていたことは、彼が名づけたマクロビオティックという標語の語源が、現代文明の礎となったギリシャ語(哲学)に由来していることからも理解できます。
 端的に言えば、現代社会が直面している様々な問題解決の手段として、啓蒙思想家のRousseau(1712-1778)が掲げた?「自然に帰れ!」を、桜沢は、「人間は土の化け物」という視点から、人間を形成している元となっている食べ物に注目し、日本の前近代の自然食と食養法の再評価と実践によって、人間社会の平和と幸福を追求することにありました。
 幸い桜沢の少し前の時代には、日本近代の転換期となった明治時代の軍医であった石塚左玄(1851-1909)がいました。彼は玄米・食養の先達であり「医食同源」「一物全体」を説いていました。更に遡れば、今日の日本食(和食)の食養法の基本ともいうべき「主食中心、腹七、八分目」を説いた『養生訓』の著者であった、江戸期の儒学者で医者でもあった貝原益軒(1630-1714)との再会に恵まれただけでなく、中国古代の儒教の一つ「周易」を通じて「陰陽五行説」をマクロビオティックの中心命題に据えることによって、それが桜沢の実践活動を一層説得力あるものに深化させたのです。正に桜沢はBergsonと並ぶ「温故知新」の実践者であったと言うことです。