農文館2

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ホタルイと稲もどき(続き)

2017-07-18 15:28:22 | 日記
 美術館の休館日となる月曜日と火曜日の午前中は、田んぼの雑草取りをしています。お相手は主にホタルイと稲もどきです。これまで、稲の表通りは手押しの除草機でそれなりに駆除したのですが、稲と稲との間に繁茂したホタルイは手で取るよりほかありません。そうしないと、稲に当たる日差しを遮ってしまうだけでなく、稲刈りの時に稲にごっそりと纏わりついてしまい、脱穀に際しても、ホタルイの種がお米に混じってしまうからです。
 
 そんなわけで今年はホタルイに難儀しているのですが、稲もどきもどうしてどうして、6月初めに草取りのために田んぼに入っておよそ一ヵ月半、初めの頃はなかなか見分けのつかなかった稲もどきが正体をあらわにし、予想以上に繁茂していることがわかったのです。そろそろ茎の中に実を潜める頃にも拘らず、稲もどきは背丈ばかりが伸びて茎も平べったく実がついていないこと一目瞭然でした。十年前ならば、何が何でもと頑張るのですが、残念ながら時間も体力も応じきれそうにないのが正直なところです。続きは来週にすることにします。

 それにしてもいつものことながら思います。農薬や殺虫剤、化学肥料が普及していない頃のお百姓さんは偉かった、と。

青木一香展―無から光へ(康花美術館ブログより転載)

2017-07-14 13:15:29 | 日記
先日(7月8日土曜日)、伊豆長岡のギャラリーnor/NOKTAで開かれている「青木一香展―無から光へ」を見に行ってきました。往復約10時間、少々疲れましたが、見ごたえのある作品たちとの出会いに癒され、帰途の車中ではかつて仏像巡りに精を出した来し方を想い起しながら心安らぐ時間を味わっていました。

作品は、和紙を墨で色付けしたものを固めて小さな仏像に造形化した作品たちが主人公で、京都広隆寺あるいは奈良法隆寺の弥勒菩薩を模したと思われる小仏像たちの他、縦2メートル、横1メートル近くの墨で描いた下絵の上に、曼荼羅絵図を思わせるような、幾つもの小仏像が張り付けられ、その上部には天女と思わしき造形物が配置された大作まで展示してありました。この作品は宇治の平等院の鳳凰堂の空間に繋がっているようにも見えました。

ちなみに小仏像と言っても、一体一体は目鼻立ちをくっきりと描いたものではなく、丁度江戸期の円空仏を彷彿させるような造形
で、京都の三十三間堂の千体仏のように様々です。その一方、紙のギザギザ観と黒を基調とした小像たちは、スイスの彫刻家ジャコメッティを想像させもしました。一香さんが油彩から墨の世界に転じて大分の年が経ちますが、年輪を重ねるとともに墨が描き出す美の奥行きは、一層幽玄閑寂の世界に近づいているようです。

お時間のある方は、是非ともこの愛らしい仏像たちにお会いに行かれるようお勧めします。会期期間は今月、7月6日(日)までです(伊豆長岡駅から徒歩10分、連絡先TEL:055-949-7821、ぎゃらりーnoir/NOKTA)が、年内に沼津にある「芹沢光治良記念館」でも同展が再び開かれる計画があると聞いています。

なお、来る8月2日から始まる康花美術館の「戦争と平和展」で、今回の「青木一香展」で展示されていた作品の中から、一点「平和の祈り」お借りし展示する予定にしております。

地域社会の再生と文化芸術―経済学視点から

2017-07-09 08:40:41 | 日記
表題は、先日7月6日木曜日、長野県池田町で小生がお話ししたタイトルです。内容は、持論としている”ゼロ成長”下の日本経済にあって、外部経済の劣化によって外部不経済が増大、結果的に経済成長が長い間限界状態にあるにもかかわらず、幻想がふりまかれてきたことを人間学(哲学)の視点から説くものでした。日本の地域格差とその崩壊、そして今日のアメリカファースト、イギリスのEU離脱、EU内諸国でのナショナリズムの台頭も、言ってみるならば、成長の限界の突破口としてのグローバリズムの負の側面が表面化していることであって、ISに見られるテロ活動もこの文脈と無縁ではなく、西欧型近代を支えてきた民主主義、自由、平等、人権そのものが問われているということを示すことでした。

とりわけ、明治維新以降、「脱亜入欧」、「和魂洋才」、と標榜しながらも、西欧の内実はもとより和魂をもないがしろにし、専ら「殖産興業」に偏向したわけですが、戦後は、伝統文化とは無縁の正に人種のるつぼ国家・アメリカ合衆国をモデルに、物の豊かさの象徴としての「GNP信仰」貿易立国を国是としてきたという点では、この150年、日本の歴史遺産としての伝統文化・芸術が軽んじられてきたことは否定できません。とするならば、遅きに失したの感はぬぐえませんが、経済界が漸く最近言い出し始めた成長指数としての「ウエル・ビーイング」「快適性」の中軸にこそ、伝統文化・芸術を組み込むことは理に適っていると言えるはずなのです。ダビンチやミケランジェロ、ヤン・ファン・アイク、ベラスケス、ゴヤそしてモネなどの印象派と並んで、薬師寺三尊像、広隆寺弥勒菩薩、藤原隆信の神護寺三像、長谷川等伯、北斎ら日本の伝統文化・芸術が決して彼等に劣るものでないことは明らかだからです。

残念ながら巷間、加計問題をめぐって、財務官僚OBや経済産業官僚OBが文部官僚を「三流」呼ばわりしていましたが、今日の日本の実態がそこにこそ象徴されているのも事実です。教壇に立っていた頃、チャップリンの『モダンタイムス』を教材に使うことがありましたが、スマホに熱中している若い皆さん、いや老若男女の皆さん、まだご覧になっていないとするならば、是非一度、カセットないしCDでご覧になって下さい。81年前の作品、皆さんにはどう映ることでしょう。