農文館2

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戦後72年を振り返る

2017-12-31 10:15:49 | 日記
 以下は『むすび』誌2018年1月号に掲載された短評記事の転載です。

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平和志向型の生活スタイルのために

 周知の通り日本の国民医療費は約40兆円、国家予算のおよそ半分、これに介護費の15兆円を加えると55兆円、社会保障費の半分を占めています。高い経済成長の終えんと少子高齢化・人口減少、さらに戦後のベビーブームで生を受けたいわゆる団塊の世代もそろそろ後期高齢者の仲間入りで、厚労省は、医療費、介護費を含めて2025年にはその額は74兆円に上ると予測。加えて1000兆円を超える国の借金、さらに原発処理などを考えると、オリンピックどころでは? 宴の後、イソップ物語のキリギリスもどきにならねばと祈るばかり。
 
 ところで私事、敗血症で九死に一生を得てから30有余年、齢77歳、世間でいう後期高齢者に属しますが、幸か不幸か、この間小生、化学薬剤のご厄介は一度もなし。それを支えてくれたのがマクロビオティックでした。そのマクロの世界は食生活に限らず、医食同源、一物全体、身土不二、経済学的に見れば今日のような暖衣飽食・浪費競争型社会とは無縁の平和志向型のシンプル・ライフがモットー。
 そろそろ消費者は王様という甘言や、生き残りという強迫観念から解放され、夫々が自分の生活スタイルを工夫することに軸足を転じたい。本誌の役割と期待はこれまでにも増して大きい。(2017年10月26日記)

農人作家・村上美緒さんは何処へー原発に追われて

2017-12-24 10:25:35 | 日記
 昨日、三重県に在住されている農人作家・村上美緒さんを訪ねてきました。村上美緒さんと言っても知らない方も多いかもしれませんが、知る人ぞ知る、福島で農業をやっておられる年配の方、あるいは日本有機農業研究会に加入している方々の中には知っておられる方もいる筈です。三重県在住と言いましたが、もともとは福島県のお百姓さんで、幼い頃から文学をこよなく愛し、暇を見つけては詩や散文を書き自作の著書も出版しており、小生は村上美緒さんとの知己を得て後、講義の中で、金子みすずとともに自然愛溢れる彼女の詩を朗読し紹介していたのです。一方ご主人は「エゴマの会」の会長さんでもありました。
 村上美緒さんとの出会いは、20数年前、東京で開催された日本有機農業研究会の大会でのことでした。当時有機農業に取り組むつもりでいた病弱の小生と娘にとって、身体に良いとされる「エゴマ」は関心品目で栽培したいとも考えていました。それを栽培し全国的に普及していた村上夫妻がこの大会で「エゴマ」の紹介をしていたのです。正に千載一遇のご縁となったのでした。その後、百姓の「ひゃ」の字も知らない私たち親子が、長野県の麻績村で初めて農業に取り組んでいる最中、「エゴマ」はもとより米作り、野菜作り、一から指導してくれたのが村上ご夫妻でした。しかも福島県の僻村田村から長野の僻村麻績村に出張泊りがけでのことでした。このブログを読まれている農作業に参加してくれた小生の教え子の中には、今は亡き村上さんが夜を徹して熱く語りかけてくれたことを想い出されている人もいるかもしれません。正に村上夫妻は、有機農業の在り方を教えてくれた大先生・恩人であったのです。
 
 村上美緒さんとは、同じ絵と詩を書く娘康花と歳の差を超えて特に深いつながりとなって行きました。二年前、松本の康花美術館に来館された折、ノートに残された康花についての詩が二人の仲を物語っています。
 
「画家であり主婦であり農人でもあった康花さん
 電動草刈り機で草を刈りxx「ギシギシ」を引き抜き
 種を蒔き何でも作っていた康花さん
 画家であり農人でもあった人
 心はいつも澄み相手の言葉を受け入れていつもにこにこしてた人
 いつまでも忘れ得ない康花さんです 
 麻績村に画家ミレーの弟子たちの村を作れたらと二人でよく語り合いました」

 その村上美緒さんが、三重県に在住している。しかも足を悪くしてリハビリを兼ねた老人養護施設にいると聞いたのは一月ほど前だったでしょうか。まず第一に村上美緒さんが三重県にいるのは、福島の原発爆発によるものです。福島原発に近い田村で先祖代々農業をやってこられた村上一家は疎開を余儀なくされてしまったのです。すでにご主人を亡くしていた美緒さんは、その後娘さん家族とともに山形の高畠に、そうして落ち着いた先が次男の息子さんが農業高校の教師として赴任した三重県だったのです。第二に考えさせられたのは、もともと足の具合が良くなかったとはいえ、勝手知らぬ他国での生活故なのか、仮に地元福島の田村で野良仕事を続けていたならば、推測の域を出るものではありませんが、上掲の文章の後に次のように綴っていた美緒さんが老人養護施設におられることでした。

 「私は八十七歳になっていますが心は未だ若いです
 生かされているうちに何か生き甲斐のある仕事がしたいです」

 二年後の昨日、お会いした美緒さんは、最初は小生が誰だったかわからなかった、というほどにやつれ弱っているように見えました。お話しできたのは約一時間半、心の若いいつもの美緒さんはそこにはいませんでした。でも約束してくれました。「ペンをとって下さい」という小生のお願いに、細い声でうなずき返事をしてくれたのです。でもやはり、原発事故さえなければこんなこと、美緒さんにお願いする必要もなかったに違ないとつくづくと思っています。

 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる  芭蕉




青木一香展ー和魂洋才を描く

2017-12-14 11:13:27 | 日記
以下は、康花美術館ブログからの転用です。

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青木一香展―和魂洋才を描く 
昨12月13日、青木一香さんと画家仲間3人が静岡県沼津から来館されました。この機会に改めて青木一香展の意義を説明、と言いうより11月29日に来館された地元「銀杏の会」の皆さんに、青木一香さんの画風の一面についてご紹介した内容をお伝えしたというのが正解です。
 
 周知の通り、東京芸大は明治維新後に創設された芸術学校です。時代は正に文明開化、殖産興業、脱亜入欧、その根幹は「和魂洋才」、和の心を大事にしながら科学技術を西欧から取り入れるというものでしたが、実態は「廃仏毀釈」にある如く、大和時代、日本の統一原理の一つとして取り入れた仏教、1200年に及ぶ時代経過の中で日本人の精神支柱となってきた仏教を廃棄するとういう、全くその反対と言ってもおかしくないほど、実態は「和魂洋才」とはかけ離れた時代状況になっていました。そんな最中創設された東京芸大、しかも文字通り、西洋絵画部門がそれを追い風にしていたことは至極当然のことであり、事実、とりわけ印象派に代表されるフランス絵画を中心とした西欧近代絵画を学ぶことに軸足が置かれていました。そしてその近代絵画と言えば、西欧の前近代を否定的に捉えた「啓蒙思想」の影響のもとに生まれてきた全く新しい作風でもありました。つい最近まで、日本の初等中等の美術教育が印象派の作家たちの紹介に偏ってきたのも故なしとしません。
 加えて戦後、美術界含めて日本社会全体が、「洋才」のみならず「和心」をも、ややもするとアメリカ一辺倒になりがちの70年であったことはこれまた否定のしようがないように思います。
 
 聞くところによると、青木さんは、表現の在り方について、生存中父上からしばしば疑問の言葉を投げかけられていたと言います。明治生まれの書家であった父上は、江戸期の禅僧良寛さんの詩歌と彼の生き方に強く心惹かれていたと言います。思春期に芸大の油彩科で啓蒙思想、印象派の影響を受けた娘青木さんとの表現の仕方に違いが生まれていったのは避けられないなりゆきだったのでしょう。しかし墨の香りの中で育ち、幼少の頃、菩提寺のお坊さんの言った「天上天下唯我独尊」という釈迦の言葉が今日まで胸に焼き付いている、と自身の年譜にも記しているように、和の世界、墨の世界に戻って行った、と言っていいかは別として、決して忘れていなかったことは、その後の足跡を見れば明らかです。青木さんは31歳の時、般若心経を裏文字で100号のキャンバスに描いています。爾来、仏教と墨の世界は青木作品とは切っても切れない関係として今日に至っているのです。
 独断的に言えば、明治維新以来、そして戦後70年、真の意味で「和魂洋才」の美学を追求しているのが青木作品だと言えましょう。しかもそれらの作品は、単に和に回帰するのではなく、常にアバンギャルド、前衛的でもあります。須藤康花の評論「現代美術一考」(『夢幻彷徨』所収)のアメリカン・グローバリズム批判の視点に立てば、青木作品はその対極にあるとともいえるのでしょう。今の私たちが忘れがちな風景と心を今回の青木一香展を通じて発見し味わっていただければ幸いです。(青木一香展は康花美術館で来年1月7日まで開催しています。)

横綱の品格、首相の品格、企業の品格、マスコミの品格、教育界の品格、などなど

2017-12-07 10:10:42 | 日記
 品格をめぐって何かと喧しい。幼い頃講談本で読んだ江戸の名力士「谷風梶之助」や「雷電為右衛門」は別として、「め組の喧嘩」や「任侠物」に登場するお相撲さんたちは、神事だとか品格だという前に、あくまでも大衆の娯楽・見世物として良くも悪くも人間味溢れるキャラクターであったような気がしています。
 それよりも、モリカケ問題やそれこそ戦争(暴力)をも辞さないと仄めかす品格溢れるトランプさんに追随する日本の首相・政治家の品格、嫌中嫌韓国排他的キャンペーンを続ける自己陶酔型政治団体の品格、「生き残り」という大義名分の下不正もどきをし続けていた、東芝、東洋ゴム、日産、神戸製鋼、東レなどなど、日本の超一流企業?の品格、それに日ごろ視聴率優先とばかりスキャンダルと仮にも上品とは言えないタレント(そうでないタレントもいるのだろうけれど)の学芸会もどきのワイドショー?、を垂れ流し続けるテレビ・マスコミの品格、そしてその要の大学を含めた教育界の品格などなど、今日もっとその本質を真剣に問わなければならない品格はいっぱいあるように思います。と言うのも、こうした分野で舵を握っている人たちのほとんどが「高等教育」?を受けたされているからです。

 なんだかこれ以上続けると、せっかく回復途上にある体調がぶり返しそうになってきたので、一言だけ付け加えて止めることにします。それは、小生が若き日に愛読していたイギリスの哲学者バートランド・ラッセルの言葉です。
 
 「知性抜きで知識を与えることに一番成功した国は日本である。」『懐疑論集』