農文館2

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

冗談ではない歴代首相の人気投票

2023-11-27 14:46:07 | 日記
 昨年来、持病の進行と、今年の賀状でもお知らせした通り、娘康花の特別展が松本市美術館で12月9から来年の3月24日まで開かれることとなり、その準備と、合わせて新刊『黒い絵―父と子が語る戦争』(同時代社刊)の上梓することに追われ、ブログにはまったく手が回りませんでした。
 それも市美術館の若い学芸員たちの献身的な仕事運びにより、少なくも小生たちの役割は、先週11月25日をもって片付くことができたうえ、新刊書も12月初旬には発行されることとなりました。ようやく一息ついているところですが、このブログでもたびたび取り上げてきたように、「日本の凋落とナショナリズムの台頭」は、ウクライナ戦争とイスラエル・パレスチナ戦争を我がごとに振り替えて一層露わになってきてる感があります。そんな中、忘雑誌社が行ったアンケートによれば、歴代の首相のうちで今なって欲しい首相が小泉純一郎さんだ、という記事が目に留まりました。
 
 冗談でしょ! と思いたいところですが、この声が今の日本を反映していると見るのが正しいのかもしれません。アベノミクスが今の日本経済社会の膠着状態を誘引したことは明らかになっているようですが、それ以前にアメリカの指導下、新自由主義を声高主張した竹中平蔵さんと二人三脚で進めた小泉さんを忘れることはできません。大量兵器のないイラクに戦争をしかけたブッシュ大統領の前で、小泉さんがプレスリーの館でギターを弾く真似をしている姿が、あたかもそれを象徴しているかの如く全国紙を飾っていたことが昨日のことのように目に浮かぶます。同世代に属する小生にとって赤面するばかりでしたが、それでも韓信の「股くぐり」(司馬遷『史記』)ではありませんが、彼が漢王朝の成立に多大な貢献をしたように、日本経済社会の復権に多少なりとも足跡を残したとすれば、良しとすべきなのかもしれません。郵政の民営化が拍車をかけたとは言えないのでしょうが、過疎地の農村に住む小生の眼には、新自由主義下肥大化する東京に比べて、寂れ行く地方の現場、耕作放棄が加速化している景色が色濃く映るばかりです。

 そんなわけで、つい一言憎まれ口をたたかざるを得なくなってしまった次第です。ちなみに、新刊『黒い絵―父と子が語る戦争』は、故人となった娘康花が描き残した「悪夢シリーズ」の29枚の戦争デッサンをもとに、今日の「きな臭い」状況を迂遠ながら透視しようと試みた内容です。書店などで見かけましたら、挿絵だけでも見ていただけたらと思っています。詳しくは、「特別展・須藤康花展」とともにご紹介するつもりです。

ネットからすぐ消される遠藤誉教授の論考とその内実

2023-06-20 12:49:35 | 日記
「嫌なことは聞きたくない。」 戦前戦後を問わず、「似非右翼」のか弱い体質です。勝った勝ったで原爆を落とされ、厳しい現実に耳を塞いできた結果が敗戦でした。ウクライナ問題もその例に漏れないのでしょうが、ことは最も身近な米中関係おいても、同じようなことが繰り返されようとしています。
中国問題の権威の一人、遠藤教授は、かねてから、日本の対中観と米国の対中観との違いを指摘しながら、かつて日本の頭越しに進められた米中対話、いわゆるニクソンショックの轍を踏まないよう、「好き嫌い」の感情論を超えて理性的な学者の眼で論評してきましたが、今回、と言うより今朝拝読した、ブリンケン国務長官の訪中をめぐり、誰にでもわかる言葉で解説した両国の思惑についての教授の論考も、含蓄あるものでした(こういう意見が日頃聞けないだけに)。

ところが、いつもの通り、小生が拝読してから数時間もたたないうちにネットから消えていたのです。いまのマスコミすべてが「似非右翼」と断ずることはできないのでしょうが、「見たくない聞きたくない、反対おや」の見解を封じ込めようとするなら、どこかの国と同じではないか、と思うことしきりです。と言って、遠藤教授の論評は事実を取り上げているのであって、どちらの側にもつく内容ではないことは一読すればお分かりいただけるでしょう。

開いた口が塞がらない、国際政治学者?

2023-06-19 11:19:57 | 日記
体調不良もあって最近は、ブログ入力も叶いませんが、戦争がどういうものか、体験も含めて多少は知っているので、さすがこの途方もない無責任な発言に目を瞑ることができず、キーをたたいた次第です。
発言の主は、著名大学の国際政治学者を肩書とする広瀬教授です。教授いわく。「ロシアはウクライナと同様に日本も主権国家として見ておらず、日本がウクライナの代わりに攻められた可能性も否定できない。長く続く戦争を風化させず、国際秩序の改善に向けて努力を続ける必要がある。」
教授の講演内容を全部目にしたわけではありませんが、天下の読売新聞が要約したに違いないこの一文が、燎原の火のごとく読者やネットを開いている人たちに届いたことは確かです。
わかったようでわからないこの文章に接して、小生が「開いた口が塞がらなかった」のはこの箇所です。「日本がウクライナの代わりに攻められた可能性も否定できない。」 どうしても、これがまともな国際政治学者の責任ある言説、というよりか「扇動」としか思えなかったのです。しかし、教授がオオカミ少年でないだけに、時節柄、これをまともに受け止める人たちが多いことも避けられないでしょう。少なくもこの問題については、これまで学者としての王道を外すことなく真摯に発言してきた、保守の論客かつ本物の国際政治学者・舛添要一氏の言説を、教授も含めてその賛同者も、再読してほしいと願うばかりです。
戦争は、時の流れに右顧左眄する学者の活字言葉合わせの道具ではないのです。広瀬教授が国際政治学者を名乗っている三浦なにがし女史の後塵を拝さないよう、老婆心ながら祈っています。

大江健三郎の思い出

2023-03-13 15:56:33 | 日記
 今しがた、大江健三郎が3日に亡くなったの知った。
 少し年上だが、同世代を代表する作家として、そして戦後文学の数少ない後継者のひとりとして僕は常に敬意を払ってきた。分野は違うけれど、先に西部邁の自死を耳にした時のように、言われようのない寂しさに襲われている。持病を抱え、いつ迎えが来るかもしれないわが身を振り返りながら、自分なりの戦後を総括する原稿に取り組んでいた矢先だけに、同時代人大江の死はことのほか胸を衝く。
 
 大江文学に接したのは十代最後の頃からだったが、当時すでに世に知られた(流行作家)でもあった大江が、僕が所属していた大学のペンクラブの依頼にこたえ、薄暗い地下室の部室で、数人、いや十数人だったか、年下の学生たちの大江文学だけでなく文学論一般についての座談に気軽参加してくれたことが、今では何よりも強く印象に残っている。それはその後、僕が大江文学を読み続ける契機にもなったからだ。
 だが、今の僕には、言われようのない寂しさが募るばかりで、その大江文学の読書遍歴について語る力は持ち合わせていない。
 ただただご冥福を祈るばかりである。


2023年迎春

2023-01-10 10:59:12 | 日記
迎春
 難解で理屈ぽいと思われがちな須藤康花の作品展示を中心に、細々と続けてきた小さな私設美術館も、昨年9月で10周年を迎えることができました。この間、地元井上百貨店での特別展、松本市立美術館とパルコ共催による「松本まちなかアートプロジェクト2021」への出展などを通じて、当美術館のすそ野が多少広がってきていることを感じているこの頃でもあります。これも偏に皆様の温かいご支援とご理解の賜物と感謝しております。
 お陰様で、本年12月9日より翌年の3月中旬にかけて、松本市内の別の施設の主催で「須藤康花展」を開催していただくこととなっております。没後15年、生前、現代美術の世界に居場所のないことを、自嘲気味に繰り返していた彼女の作品たちは、どう受け取っているのでしょうか。こちらの方面にお越しの折には、お立ち寄り観覧いただければ幸いです。
 皆様のご多幸をお祈り申し上げますとともに、本年もよろしくお願い申し上げます。
                              2023年 正月